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あのとき思い切って日本を飛び出していなかったら。(その2)

美容師さんに恋をして、オリンピック選手になるという夢を諦めて美容学校へ行くことを決意したというところまで前回書きましたが・・・

決めたはいいけど、まず誰も美容師になることを賛成してくれませんでした。学校の先生も、母親にさえこの時ばかりは反対されました。うちには大学に行くお金もないのに、美容専門学校なんて美容師を辞めてしまったら無駄になってしまうし、学費だって安くないと。

部活を引退した後、進路をギリギリに変えたおかげで推薦入試はすでに終わっていて、私は一般入試まで時間があったのでとにかくアルバイトに励んだ。ガソリンスタンド、居酒屋、コンビニを掛け持ちして無事に入学金を貯めることにしました。(残りの学費は奨学金を借りて、32歳になった今も返済中なのです。)

12年前の春、日本美容学校昼間部に入学。今までの学生生活の中で、美容学校が一番楽しかった。たくさん友達もできたし、とにかく変なやつばっかりでした。

そして卒業後、念願のSHIMAに入社。ちなみに大好きだった美容師さんはそのちょっと前にご結婚されて退社されました。この想いは誰にも言わずに・・とは言ってもSHIMA時代の先輩たちにはバレていたらしい。先日日本に帰った時も、私が大好きだった美容師さんと同期の奈良裕也先輩に「いやいや、バレてないと思ってたの?」って言われたくらいです。

始めた理由は何にせよ、私は美容師の仕事が大好きでした。SHIMAは本当にいいサロンだし、一緒に働く先輩たちはとにかくヘアを作るのが上手で、とびっきりお洒落で、あの環境で働けた経験は本当に今も役に立っていると思います。今も東京に一時帰国すると、大大大先輩が今でもきさくに会ってくれて、本当に素敵な関係が築けたと思っています。

私はその時、日本人の女の子と付き合っていたのですが、数少ない友達以外は誰も私たちの関係を知らなかったけど、私と彼女は本当に楽しい時間を過ごしました。彼女に会っていなかったら、本当の自分をちゃんと認めてなかったと思うし、こうして今自分が自分らしく生きていくことのきっかけになったと思います。

その時私は新宿二丁目でも遊び始め、CHIGAさんという人生の恩師に出会うことに。今もニューヨークで一緒にプライドパレードに参加したり、日本に行ったら家に泊まらせてもらったりと、本当にお世話になっています。とは言っても当時はそのような身近な人だけに自分のセクシャリティを打ち明けていて、公にカミングアウトすることは想像もつかず、常に本当の自分を隠しながら生きていました。

自分は、人と違うかもしれない。

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Penisと大きく描かれたTシャツ笑


そして日本ではそれは簡単に受け入れてもらえない。そんな居心地の悪い環境から解放されたいという気持ちが少しずつ自分の中で強くなってきていた頃でした。

住む場所を変えてみようかな。海外はどうだろう?元々、海外の音楽やファッション、文化に興味深々でした。雑誌や映画で見るだけの情報だけど、「ニューヨーク」が私にとってはとても魅力的に見えたのです。

New York・・・あの場所はきっとマイノリティの集まる場所に違いない。(直感)

色んな国や州から、みんな夢や目標を持って集まる異色の街。さらに当時日本で流行っていた、日本人が言う“外国人風ヘア”ってなんだろうと違和感を持っていました。

あぁ、実際に行ってみて、この目で感じたい。そこからの私は、もう誰にも止められない。そう・・私はそういう性格なのです。

今思うと、やり方が本当に若かったなぁと思います。そう思い立ったら次の日には当時の店長に「私、ニューヨークへ行くので辞めます。」と伝えていました。先輩にも、同期にも、その突然の決意に驚かれたし、何よりみんな口を揃えて私に同じことを言いました。

「やめとけ。海外で美容師をやるなんて、簡単なことじゃない。」

それは、ある意味では正しかったなと思います。海外でうまくいくなんて、本当に簡単なことではないからです。
でも覚悟を決めてやれば、私には「できる。」気がしたのでした。

そのちょうど3ヶ月後の夏、私は初めてとったパスポートを握り締め、成田空港へ向かっていました。

つづく。

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