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「最っ低」と言われて最高に嬉しそうな父の話

強敵と書いて、「とも」と読むんだっけ、「ライバル」と読むんだっけ。

4歳半の息子が、最近(おそらく人生で初めて)そんな存在を見つけた。

祖父である。


息子にとっての祖父、つまり私の父はいわゆる「良い父」ではなかった。

詳細は省くが、バブル期に事業で色々あった父は、私が小学生の頃に失踪した。
およそ10年後に日本に帰ってきて「おう、弟ができたぞ」と悪びれずに言われたのが今でも忘れられない。
口も悪いが、目つきも悪い。おまけにスキンヘッドだ。


海外で経営していた工場を数年前に閉めて、今は週末だけ海の近くで民宿のジジイをやっている。
私が息子を連れて行くとめちゃくちゃ嬉しそうにする。

今や世間はイクメンじゃない男を許さない風潮にある。でも子供の側から見れば、父の性格や人間性を考えると、幼少期や思春期にほとんど一緒に暮らさなかったのは悪いことばかりではなかったと思う。一緒に住んでいたら今の関係は築けていないと思うからだ。 


父は、私の母や祖母、親族にものすごく迷惑をかけた。おまけに身内を褒めるのがすごく苦手だ。

私は承認欲求の強い子供だった。
毎日、自分の行動やアイディアを母や祖母に語って、気持ちを受けとめてもらうことで満たされていた。
そんな子供の頃の私が父と過ごしたら、確実に大嫌いになっていただろう。


最近、数ヶ月ぶりに息子を連れて父の民宿で過ごした。

父はとにかくよくしゃべる。
息子は、到着してすでに、悔しそうだった。週末はママと水入らずだと思っていたのに、どこからか現れた、この変なジジイがいるせいで私を独り占めできないからである。


滞在中、父はほとんど息子に対して何も言わなかった。しかし、最終日に夜桜を見に行った帰りに一波乱あった。

眠くなってぐずり始めた息子に対し、「そんなに抱っこが欲しいならじいちゃんがしてやろう」と言って、ゾンビスタイルで追いかけ回したのだ。(息子は強烈なママっ子で、私以外の抱っこを受け付けない)

まるでなまはげと、逃げ惑う子供のようだった。時間にして数分間の出来事だったが、久しぶりに息子の本気泣きを見た。
「泣きやんだら抱っこを辞めてやる」と父が言うので、歯を食いしばって泣きたい気持ちをこらえた息子は解放された。

まるで親のカタキでも見つめるような目で、息子は自分の祖父をにらみつけ、「じいじ、サイッテー!」と言い放った。

それを聞いた父は満面の笑みを浮かべた。

この目が見れただけで、充分だ」と。
もうあの世にいっちゃうんじゃないかと思うくらい満たされた顔をしていた。

驚いたのは翌朝の息子の様子だ。
食堂で父を見かけた途端、「おはようございます」と、聞いたこともないようなはっきりした声で挨拶をしたのだ。

息子は東京に帰ってきてから「次はいつ遊びに行く?」と言っている。
レゴのミニフィグ(人形)の髪の毛のパーツを外して「見て、じぃじだよ!」と大笑いしている。

男って、本当によくわからない。


Photo by Johan Mouchet on Unsplash

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