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幸せは感じるもの。

映画「めぐりあう時間たち」(2002年)

主演: ニコール・キッドマン

*オススメしたい人*

・生きがいが感じられない人

・無価値感を感じる人

・充実感を味わいたい人

*ストーリー*

「花は私が買ってくるわ」
という台詞から始まる、小説「ダロウェイ夫人」。
異なる時代に生きる3人の女性達の人生が、ひとつの物語を接点に交差する。

1923年、イギリス、リッチモンド。
ヴァージニアは、小説「ダロウェイ夫人」の執筆に頭を悩ませていた。
ヴァージニアは、精神的な病いに侵され、過去に2度の自殺を図る。
夫のレナードは、自殺を繰り返しかねない妻を見守るため、職を変え、ロンドンから地方に生活の場を移した。
しかし、ヴァージニアにとって、地方での暮らしは窮屈さ以外の何物でもなく、常に彼女を苛立たせた。
彼女の精神的な病いは悪くなる一方で、執筆活動もままならなくなるほど、彼女を苦しめた。
ヴァージニアは耐えきれず、夫に置き手紙を残した後、家を飛び出し、川岸へと向かう。
死に取り憑かれたヴァージニアは、水辺に立ち、川の奥へと歩みを進めていくのだった。

2001年、マンハッタン。
編集者のクラリッサは、友人リチャードのアパートを訪れようとしていた。
リチャードは、詩人として活躍し、名誉ある賞を受賞することがほぼ確定となっていた。
クラリスは、受賞の知らせを心待ちにし、自宅で受賞パーティーの準備に取り掛かっていたところだった。
クラリッサはある場所に出かける準備をし、花屋に立ち寄る。
花束を抱えながら、歩いて行くと、リチャードが暮らすアパートにたどり着いた。
アパートの扉を開け、狭いエレベーターに乗り込み、しばらく経つと、リチャードの部屋のある階でエレベーターは止まった。
エレベーターを降り、落書きがたくさん描かれた通路を通り過ぎると、リチャードの部屋にたどり着いた。
リチャードは、エイズに罹り、常に自分の死と向き合う生活を送っていた。
クラリッサの嬉しそうな様子とは対照的に、リチャードは受賞の話題に喜ぶ様子もなく、受賞したのは自分がエイズに罹っているからだと自虐的な様子を見せた。
クラリッサは、遠い昔、リチャードに「マダム・ダロウェイ」と呼ばれ、恋心を持ち始めた、若き日のことを思い出し、ほんの少しだけ甘い気分に浸った。
そして、変わり果てたリチャードの姿を思い、切なさを募らせた。

1951年、ロサンゼルス。
ローラは、夫ダンと息子のリチャードと共に暮らし、なに不自由なく過ごしていた。
しかし、ローラは家庭の中で、自分の居場所がないという思いに捉われる。
ローラはある日、夫の誕生日のためのケーキを作り、息子を知り合いの家に預けた後、ホテルで自殺することを考えていた。
ホテルで「ダロウェイ夫人」を読み、ひとり物思いに耽りながら、いつのまにか眠ってしまうと、悪夢で目が覚める。
ローラは死ぬことができないことに気づくと、ふたたび息子を連れて帰り、夫の誕生日を家族で祝ったのだった。

*映画の見どころ*

この映画に登場する3人の女性達は、恵まれた環境にいながら、どことなく満たされない思いを抱えて生きています。
ヴァージニアは、夫に愛され、小説家として活動していますが、精神病を患っているために、夫に管理される生活を強いられ、そこから抜け出したいと思っています。
また、クラリッサは、リチャードといるときが一番生きがいを感じられると自覚していますが、リチャードはエイズにかかり、常に自分の死と向き合っているため、クラリッサは置き去りにされたような気持ちで寂しさに苛まれています。
ローラは、優しい家族に囲まれ、何不自由ない暮らしを送っていますが、生きがいを感じることができません。
3人の女性達は、自分の悩みを解消しようとしますが、人生を充実させることができないようです。

*人生の好転レッスン*

生きていれば、自分の恵まれた環境には目がいかず、満たされない部分ばかりが気になり、理想を追い求めたくなるものです。
しかし、自分の理想だけを追い求めれば、自己中心的になり、孤独感が増していきます。
また逆に、他人に期待しすぎれば、自分の思い通りにならないことに苛立ちを感じてしまうかもしれません。
自分ではどうにもならないことをあきらめ、自分で変えられるところを改善していくように心掛ける、または、いろんな人と接してみれば、様々な人や世界があることを知ることができます。
自分の考えに拘らず、柔軟に対応していけば、孤独感も少しは軽減され、前向きに生きていけるのではないかと思います。


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