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悪魔の子供たち①

あらすじ
 
 札幌有数の進学校である茜灯(あかねび)高等学校は現在、開校以来最大の危機に直面していた。生徒間によるいじめとPTA会長による娘への虐待が立て続けに告発されたのだ。二度にわたり説明会が開かれ事態が紛糾する中、時を待たずに三つ目の事件が発生した。バドミントン部の顧問による度が過ぎる叱責の様子が隠し撮りされ、その動画が世に出回ることとなったのだ。不祥事に慣れていない進学校の対応は後手後手となってしまい、茜灯高校はいつしか「呪われた学校」と蔑まれるようになってしまった。
 新聞部に所属するハルとナツは優等生揃いの茜灯高校が抱える唯一無二の問題児コンビとして名を馳せていた。学校一の秀才でありながら自分の目的以外には一切動こうとせず、人を貶めるのが何よりも好きという奇人、部長の桜井波流(はる)と、学校一のオチコボレであり、怠惰で自堕落で誰からも見下されているというある意味無害な劣等生、ハルの下僕の白沢南都(なつ)。二人は職員室の制止など気にも留めずに三つの事件について調査しようとしていた。
 
 自分の正体を誰にもバレることなく、事件の裏側を知られることもなく、自然発生的に平和を混沌に変えてしまう存在。そしてそれを愉しもうとする存在。ある高名な僧がそのような性質の子供たちを称して「悪魔の子」と呼んだ。「悪魔の子」は人のフリをするのが上手いだけで、実はどこにでも潜んでいるのだとその僧は言う。
 そしてもう一つ、彼はこうも言った。悪魔と悪魔は共存し得ない。もし出会ったなら互いに食い合うだけだと。
  
 
1 悪魔の子
 
 人里離れた山奥でもなく、霧のかかった幽玄な渓谷でもない。
どこにでもある住宅地の新しくはない民家。
 そこに聖人と称される一人の僧が住んでいた。
 今日、私はその僧に会いに来ていた。私の身内の一人を三年もの間彼が引き取ってくれていたからだ。幼い頃から同じ屋根の下で一緒に暮らしていたその子のことを、私たち一家は「悪魔の子」と呼んでいた。元々は聖人がそう呼んでいただけのはずが、自然と私たちもその呼称を使うようになってしまったのだ。
 家族の一員を「悪魔の子」呼ばわりすることにもはや違和感など無かった。それだけのことをあの子はやったのだから。
 私たち一家には手に負えそうもないあの悪魔の面倒を見てくれたのが他でもない彼(か)の聖人だった。あの子が中学校に通う丸々三年間、私たち家族ではなく、聖人と呼ばれているだけの赤の他人があの子と一緒に暮らしていたのだ。
 少し古ぼけた平屋の玄関を私は見た。
 ここに三年もの間「悪魔の子」が幽閉されていたのだ。昭和の趣と老朽とを同時に感じさせるこの時代遅れの一軒家に。
 外はまだ肌寒かった。北海道の春はいつまで経っても本物の春にはならない。この時期の風物詩たる本州の桜前線到来の報道は、道民にとっては他国の近況と同義である。この地に開花の一報が訪れるのはもう一か月は先のことだろう。
 四月になろうが周囲に生き物の気配はまるで無い。人間以外はまだしばらく冬眠している。民家を区切る汚く茶けた生垣も、自己の存在を主張する緑色となるにはまだ少し時間が足りていない。
 函館はもっと暖かいところだと思っていた。北海道から唯一そこだけ南に飛び出たような配置になっているというのに。
 私はふと道央の地を思った。
 札幌の冬は今年も寒かった。
 木製の表札には『竜胆直志』と刻まれてあった。「りんどうなおし」と読むらしい。
 かの聖人に妻子は無く、まだ四十代だというのに隠居のような生活をしているのだとか。だが一人暮らしと言うほど彼は一人ではなかった。ひっきりなしに私たち一家がしたような要請があるからだ。
 ここを再訪してみて思ったのは、彼が隠居じみた生活を送っているのは、そういう依頼が絶え間なく舞い込んでくるのを見越してのことではないかということだ。つまり、いつでも時間は空けて待っているということ。それはどうせすぐに埋まってしまうものなのだから。
 聖人、竜胆直志。人格者であり、博識であり、聡明。しかしそれだけで聖なるを称されているわけではない。
 彼は人と世の流れの行く先を知りすぎる程よく知っていた。人という生き物と世の中というこれまた生き物の生態や性質を、誰よりも深遠、深長に知り抜いていた。
 彼の人並み外れた聡明さが注がれるのは科学研究でも創作活動でも政治でもなく、常に人そのものだった。何よりも人を知り抜き、そしてそれを正すことにのみ彼の能力は使われていたのだ。
 人の更生、そしてその先にある社会の更生、いわば人間の邪悪さの封殺。それこそ彼の得意とするところだった。彼の手にかかれば魔法でもかけたように、驚くほどきれいさっぱりと人の悪性が霧消してしまうのだ。
 教育、矯正、更生。これまで彼は何度となく人間というものを正してきた。人と世の動きを知り尽くしている彼にしかできない的確さと正確さ、そして溢れ出る程の優しさによって。
 現役の総理大臣や日本有数の大企業のトップが自ら足を運んで彼の助言を聞きにくることもしばしばあるほどなのだとか。
 竜胆直志にはそれほどの信頼と、何より実績があった。もしかしたらシリアルキラーになり得たかもしれない人格破綻者でさえも彼は真っ当な人間として更生させてきたのだ。
「おや、お久しぶりですね」
 インターホンを鳴らそうと突き出していた私の手が止まった。
 声のした方に目をやると、玄関右手の庭先に竜胆氏がいた。無為な様子で縁側に腰かけている。
 パッと見ただけでもこの人こそが竜胆氏であると私の脳は認識してしまった。三年前にあの子を連れてここを訪れた時と何も変わっていない。何年も新調していないような作務衣と、頭に巻いた白地のタオルと、スタイリッシュでもなんでもない、視力の矯正以外何の意味も持たないような黒縁の眼鏡もあの頃と同じ。持て余している暇を楽しんでいるみたいなヘラヘラとした陽気さが貼り付いているその顔は、私の三年前の記憶の中にいる彼よりもはるかに若々しく、年相応のしわも在るのか無いのか分からない程に曖昧なものだった。一分の隙もなさそうな精悍な顔立ちをしているのだが、目だけは常に隙がありそうな楽天的な輝きを放っているのが不思議だった。
「お久しぶりです、竜胆さん……」
「そのままこっちに来ていいですよ」
 どうしようかと迷っている人間に、その迷いよりも一歩早く道を指し示す。会って五秒で彼の掌の上に移動したような錯覚に囚われた。
 私は言われるがまま、縁側の彼の隣に腰かけた。そこだけは何故か日が当たって暖かく感じられた。
 私は三年前、「悪魔の子」をここに引き渡しに来た。そしてそれ以来三年間ここを訪れることはなかった。正直、会いたくなかった。あの子がここを去ったことを知って再びこうして会いに伺ったのだ。あの子がここにいないと知ってから訪れようという気になったのだ。それくらい私はあの子の存在を忌避していた。
 私は今日、謝罪をしにここに来たのだ。家族のくせに三年間も音沙汰が無かったことをこの聖人に一言詫びようと。
 私が頭を下げ、迷惑をかけたことと無責任だったことに対し率直に謝意を表すると、彼は一度はそれを止めようとしたが「まあ、いいや」と一言つぶやいてポリポリ頭を掻いていた。
「こういうのって僕がそれを受け入れるかどうかより、あなたがそうすることで楽になれるかどうかの方が重要ですので」
 私が謝罪した後で照れ臭そうにそんなことを言っていた。
「三年ほど前、私はたしかにあなたがたから一人の子を預かりました。そしてあの子はもう私の手を離れて自立しています。今はあの子が残していった手の温もりを惜しんでいます。それだけ私が愛情を持ってしまったということでしょう」
 愛情――。
 ため息が出る。あの子に対し私はそんなもの抱かないからだ。あの子に対し愛情を注いだところで底に穴の開いた鍋のようなもの。残らず出尽くす。あの子には愛とか情とかを受容する機能など初めから無かったのだ。
 そうやってあの日以来私たち一家が諦めていた愛情というものを、この聖人は名残惜しむほどにかけてやっていたわけだ。あんな子に。
 こちらが不可能だと匙を投げたものをこの聖人は実践している。凄い人だ。
 そしてそんな私の心境もまた見透かされてしまったのだ。
「まだ怖いですか? あの子が」
 眼鏡越しのあの脱力した瞳が何でも見通してしまう。
「はい」
 返事はすぐに私の喉から出てきてしまった。
「どうして先生はあんな悪魔の申し子のような子供を愛せるのですか? それも赤の他人の……」
 私はそう言いかけて、突如として罪悪感に言語野を支配されてしまった。私としてはどうしようもないほどに答えを切望している疑問のはずなのに、それを問うこと自体が道徳や倫理といったある種の社会規範に対する背信のような気がしてしまったのだ。
 家族でも見放した悪魔をどうして他人であるあなたが愛せるのか……?
 これを逆に言えば他人が愛せたそれを家族が見放したという事実にぶち当たってしまう。
 それでも私たち一家が抱えている苦悩に対する答えをこの人なら知っているかもしれないと、淡い期待を抱いていたことは確かだった。
「では、あなたがたがあの子を愛せない理由は分かりますか?」
 心地よい距離感の視線が、それでも的確に私の心を射抜いた。
 それはとても正しい質問だと私は思った。
「私は……、あの子のやったことを知った時、恐怖を覚えました。私と同じ血が流れているはずのあの子が悪魔に見えました。家族とか同種とか、そんな範疇には無いものと思いました。紛れもなく別種の生き物。十年以上一緒に暮らして、ずっと愛情とやらを注いできたはずのあの子は、実は何も受け取っていなかった。十年以上、ずっと、私の理解の及ぶ生き物ではなかった。しかもそれはひどく残酷な生き物だった。人の不幸を栄養源にする奇怪な生き物。それを理解した時、急にあの子のもたらした数々の凶事にも納得がいったのです。人間からは愛も情も受け取らない悪魔のごとき生き物であるのなら、そういうこともやりかねないなと。私は、私たちは、そのような悪魔を愛することなどできません」
 私はすっかり告白してしまった。再び罪悪感が足止めしようとしたのだが、怒りにも似た「悪魔の子」に対する私の感情が私を前に前にと押しやったのだ。
 ああ、そうでしたか、そうですよねえ、などと、春の陽気を態度で表現したかのようにそれは呑気に聞こえてきた。
「じゃあなんであんたはその悪魔を愛せるのってことですよね」
 そう言って照れ笑いを見せてきた彼を私は真剣な目で見つめていた。
「それはまあ、どこからどこまでが人間なのかという定義みたいなものが、私は広いからなんでしょうね。どこまでいっても悪魔ということはない。人間はどんなことでもやらかす生き物だと分かりきっているからですよ。何をしてもそれは人間です」
 だから許容できるのです――。
 一瞬だけ目が合った時、背中まできれいに刃物で刺されたような鋭さと冷たさとが私の脳裏を駆け抜けた。
 私には辿り着けない境地でこの人は「悪魔の子」を愛しているのだ。ならばやはりこの人に預けたことは正解だった。納得はしたが悔しさは残る。私自身の不甲斐なさに対する悔しさが。
「先生はあれを人間だと仰いますか? あの悪魔を許容範囲だと?」
 つくづく自分が情けなくなる。自分らの過去の裁断を、どうにか、わずかでも肯定したくて私は足掻いているのだ。
「残念ながらあなたはあの子の三年間を見ていない。すっかり人間ですよ」
 彼は自信満々でも謙虚でもなく自然体でそう答えた。そしてそれが私の問いに対する明確な解答でもあった。
「それでも」
彼は一度眼鏡を持ち上げ、話し始めた。
「私は今でも脳裏に焼き付いていますよ。あの子と初めて会った時のあの瞳の輝き。沈んでいたのでも翳(かげ)っていたのでもない。一切の迷いが無かった。あんなことをしでかして、なお」
 私は息を飲んで先生の話を聞いていた。先生の今の言はあの子の闇を端的に表している。
「あの子は小学校六年次の二月にあなたに連れられてこの家に越してきた。翌年度から近場の中学校に通いながら卒業までのおよそ三年間、私の監視下で育ちました。私の言葉遊びのような指導の下、あの子は問題を起こすことなく無事に三年間の義務教育を修了できました。だがさすがに三年間は長かったですね。私が一人の子に費やした時間としては最長でした。ですから、私にとってもあの子の更生はかつてない大仕事となったことは確かなのです。私はあの子を人間として引き取りましたが、あなた方がそれを認められないことにも納得しているのです。むしろあなた方の基準の方が正しい。あなたはまともな倫理観をお持ちです」
 先生は力強くそれを言ってくれた。そのことを誰かに認めてほしかった私のその願望をきっと見抜いたのだろう。
 そう、誰の目から見てもあの子は「悪魔の子」なのだ。そう呼んでいるのは無論、私たち家族だけなのだが。その悪魔の気配を私たち家族以外は誰も気付いていなかったらしい。あの子の背中から生え出た羽と尾を。
 あの子はあまりにも多くの悲劇を巻き起こしてきた。あの子が通っていた小学校には数えきれないほどの不幸が降り注いだ。恐ろしいのは、どの罪業もあの子のやったこととして認知されていないということ。あの子の行状は今もって誰にも知られていないのだ。学校内ではそれらの悲劇は全て偶然によってもたらされたものであると思われている。意図的及び人為的なものではない。ましてや子供の手による悲劇などとは誰も考え付かなかったのだろう。
 あの初顔合わせの日、私の口から聞かされたそれらの驚異の情報を脳内で反芻しながら、竜胆氏は括目していたのだ。それでも純真無垢な汚れなきあの子の眼差しを。
 あの子の通っていた小学校で巻き起こった悲劇の全てはあの子の手による策略だった。実に賢い、下準備の整った計画的犯行。
 あの子が最後に起こしたある悲劇がきっかけで、私たちはこの先生の下にあの子を預けることを決心した。いや、その悲劇を目の当たりにしてようやくその子が「悪魔」であることに気付けたのだろう。目を覆うような数々の悲劇が「悪魔の子」の犯行であることにようやく気付けたのだ。
 そのきっかけになった最後の悲劇とは――。
あの子が小学六年生の時だ。冬休みも明け卒業も近づいてきた寒い寒い季節に、あの子のクラスメートの四人の児童が、ほぼ同時に別々の場所で自殺未遂を起こしたのだ。
 幸運なことに四人とも死に至ることはなかったが、中には集中治療室の中で生死をさまよった子もいたようだ。
 被害者となった四人はいずれも四十人学級の中では特に目立つところのないカースト下位の児童ということだった。四人とも人付き合いが薄く、友人は一人もおらず、それを立証するかのような冴えない風体をしていた。外見的にも根暗でどことなく卑屈な子たち。
 そんな日陰者の四人はクラス全体に対し漠然とした恨みを抱いていた。それはもちろん楽しいことの無いやつらが楽しくやっている人々に抱く筋違いの逆恨みと同様なのだが、自分が正しいという考え方しかできない「子供」がその筋違いの逆恨みに疑問を感じることなど決して無いのだ。私はそれをよく分かっている。
 よくテレビの報道で子供の起こした事件を大人の物差しで測り、大人の物差ししか持っていない出演者が感情的に意見している番組を目にすることがあるのだが、つくづく大人とはかつて自分が子供だったこと、子供の感覚で生きていたはずのことを忘れてしまうものなのだなあと感じてしまう。
 大人の道徳、大人の合理、大人のルール、社会のルール。どれも子供の真実に辿り着く材料には該当しない。適さない、と言うべきか。
 子供は我々大人が思っているほど「人間」ではない。我々が思っている以上に「動物」なのだ。これを子供の時分に自覚できる子などほとんどいない。だからこそ、人間(おとな)になった後に顧みてそれを悟るのが人の子を持つ親の学習であり、そうでなくてもかつて動物的な生き方をしていた全ての大人が理解しておくべき現実でもあるのではないだろうか。
 被害者四人の抱いていたクラス全体に対する嫉妬的な逆恨みは、大人の物差しからすれば褒められたものではないのだろう。だがそんなもの、動物として当たり前に抱く感情の一つに過ぎないのだ。
 そんな感情を「悪魔の子」は利用したのだ。
 あの子はまず言葉巧みに(本人の述懐どおりの表現)四人に近づき、友情を育んだ。もう一つ利用された感情があるとすれば、それは四人が本当は心を開いて話し合える相手に飢えていたということか。あの子はもちろんそれも見抜いた上で近づいたのだ。しかも、あの子以外に彼らに友達のいない状況では、唯一の友人である自分の存在が大きなウェイトを占めるであろうことも、あの子は当然見切っていたはずだ。実に怖ろしい子供である。
 そうやってあの子は仲良くなった四人をうまく唆(そそのか)した。地獄へといざなったのだ。
 クラスでは四人ずつ十班に分かれて卒業制作に取り掛かっていた。期日までに各々自由なモチーフの像を作るのだとか。彼らが卒業してから一年間、校内の広いロビーや階段の踊り場、廊下の行き止まりといった邪魔にならないスペースにその像が展示されるらしい。後輩への置き土産ということで、みな張り切って取り組んでいたそうだ。
 はぐれ者の四人は当然そんなものに興味は無かった。ただ班活動としての強制的な付き合いがあるだけだった。
 そこで悪魔が囁いたのだ。空想の中での復讐計画を。
 それは完成したクラスのオブジェを日時や手順を決めて破壊するという、四人にとってはワクワクするような空想話だった。もちろん、彼らには実行する気などさらさらなく、ただ四人ともうっぷん晴らしのネタを話しているだけでも楽しかったのだ。クラスに逆恨みを抱いている子たちだからこそ、それは確実に楽しいものだった。実はこの空想の復讐計画の架空の日時を、四人が四人ともあの子に合わされていたとも知らずに。
 彼らはみな同じ日時にオブジェの破壊を決行する空想をしていたのだ。四人が同じテーブルに着き一緒にその空想話をしていたわけでもなく、あの子が四人にそれぞれ個別で話していたことのはずなのに。
 まさしく言葉巧みに誘導されたのだ。
 そして、あの子は恐ろしいことをやった。
 その日時に、本当にオブジェを破壊して回ったのだ。
 しかも、四人の所属する班のオブジェだけはきれいに残して。
 なんと周到なことなのだろう。
 四人はそれぞれあの子が他の三人と仲の良いことも知っていた。自分と同じ空想計画で遊んでいたであろうことも容易に想像できただろう。
自分以外の三人の誰かが本当に実行してしまった! そして同じ計画を立てて遊んでいたことが発覚したらいずれ自分も吊し上げに……。
 四人は恐怖に陥った。
 あの子の異様なことは、この件に警察など介入してこないことを当初から見切っていたことだ。学校というある意味閉塞的な場を熟知していたのだろう。プロが本格的に捜査をすれば誰がオブジェを破壊して回った犯人なのかはすぐに割れるはず。だが、学校側が児童生徒に対する配慮や事なかれの措置に奔走すれば、自分たちだけで、こじんまりと解決しようとするのは目に見えている。ならば自分の注意力を最大限発揮して犯行に及べば、学校側が真犯人に辿り着くことなどありはしない。
 学校の中であれば、そして刑事事件でもなければ、完全犯罪などいくらでも可能。あの子はそれを見抜いていた。
 現に私も学生時代に似たような体験がある。教室内で何か物が盗まれたという事件が発生したことは結構あったが、犯人が捕まったという一報は終ぞ聞こえてこなかった。学校とはそういう空間なのだ。良くも悪くも。
 犯人探しは大人達よりも児童らの方が過熱するであろうこともあの子は見抜いていた。
 事態は紛糾し、四人の所属する班のメンバーが当然疑義の中心となった。彼らのオブジェだけが破壊されずに残ったのだから。四人は絶望し、恐怖した。自分たちの架空の復讐計画がバレたら終わりだと。
 あの子の事件後の立ち回りもまたうまかった。不登校になりそうなその四人を、それだと疑われる材料になるからといって元気づけて登校させていたのだ。何故なら、四人が家に引きこもってしまうと面白くないから。台無しになってしまうから。
 あの子は人の不幸が大好きだったのだ。もっと追い込みたかったのだ。
 真犯人であるあの子が疑われるようなことは一切なかった。たとえ四人の誰かがあの子も共同計画立案者であることを告発したとしても、あの子にしてみれば自分はそんなことはやっていないと突っぱねればよかったのだ。ただ君たちがその計画を立てるのが楽しそうだから付き合ってやっただけだと。何故なら、あの子は犯行の下準備として誰よりも真剣に卒業制作に取り組んできたからだ。居残りも何度もした。そういう姿勢をクラス中に見せつけてきたのだ。
 そうして苦心して作り上げたはずのあの子のオブジェは粉々に破壊されていた。
 疑われるわけがないのだ。その完璧な下準備のお陰で。
 なにより、あの子には普段からクラスメートからの友好と信頼の目が向けられていた。スクールカーストでは確実に上位だったわけだ。それだけで十分なのだ。大人とは違う、子供達のルールの中では。
 そしていよいよ犯人探しはあの四人に絞られ、学級裁判の呼び出しを待つだけの状態となった。
 飛び降り。飛び込み。リストカット。睡眠薬。
 八方塞がりの絶望と恐怖をこじらせた彼らは、それぞれ別々の場所で同時期に自殺を図った。
 あの子にすればこの結末は芸術的でさえあったのだろう。あの子の本当の卒業制作はここに完成したのだ。
 もしかしたらあまりの完成度の高さに笑みが漏れてしまったのかもしれない。その笑みのおかげで私たちはいよいよ内なる悪魔の存在に気付き、しかもそれを誰にも知られることなくあの子の身柄をここへ移したのだ。
 この卒業制作の事件は「悪魔の子」が人知れず犯した悪行のほんの一例に過ぎないのだ。それ以外にもあの子はあまりにも多くの悲劇を生み出していた。あの子が通っていた小学校は陰で「呪われた学校」と呼ばれていたそうだ。
「ここで共に暮らした三年間であの子は私に多くを語ってくれた。あの子がもたらした悲劇の数々、その顛末をね。耳を塞ぎたくなるような告解ばかりでしたよ」
 耳を塞ぎたくなるなどと表現したはずの竜胆氏の口からはあの子を責めるような響きは一切感じられなかった。更生に重要なのはそういうことではないと知っているのだろうし、本当にあの子の味方をしてやっているのだと私は思った。
「話を聞くたびに、話をしている最中の何の罪もない無垢な瞳を見るたびに、私は理解したものです。ああ、なるほど。家族からしたら本当に「悪魔の子」なのだ、この子はと」
 更に竜胆氏は自分の経験から言っても珍しいタイプであると続けた。
「珍しいタイプ?」
「この世にはいるんですよ。悪魔の心を持った子供が」
 子供。
 彼はそれを強調した。
「通り魔的に人を殺したりする投げやりな凶悪犯や、人の命を我欲の為に弄ぶシリアルキラーとは違う、天使の顔を持つ悪魔。彼らはただ人の不幸が好きなだけなんです。人の困惑が、恐怖が、慟哭が、絶望が、彼らの生きる動機となるのです」
 聖人の語る悪魔像が徐々にあの子のそれと一致していった。恐ろしい。体の底から恐怖が駆け上ってくる。
「ただそれを味わうためだけに人間界に降り立った悪魔。だがその正体には誰も気付かないのです。何故ならそいつは外から見ただけでは清らかな天使にしか見えないから」
 ああ、これもそうだ。
 全部やつと同じだ。
「天使とまでいかなくとも、それはせいぜい人にしか見えない。悪魔たちは人の振りをしているのです。人を振る舞うのが実にうまい。そして社会に溶け込むのが実にうまい。何不自由なく社会生活を送っている」
 その通りだ。
「凶悪犯などとはそこが違う。平然と溶け込めるのです。この人間界に。しかもそれはあの子だけに限らない。悪魔はきっとこの社会に大勢紛れているのです。何故なら、人の不幸が好きなのは悪魔だけではないから。それも人の正体だから。人を振る舞うのも悪魔だけではないから。それも人の正体だから」
 人とは悪魔をも内包する存在。竜胆氏の一貫して変わらない主張である。
 それを認めたいと思わないところが私の未熟さだ。
「あの子は生まれ変わりました。この三年間で」
 彼は目だけ、その優しげな目だけでこちらを見てそう言ってきた。
「かつて「悪魔の子」だった子供はもういません。いるのは仮面などではない、正真正銘の清らかな天使のみ。まだ子供でよかったですよ。大人なんかよりも遥かに矯正が効きやすい」
 ここで彼はため息を吐いた。ホッとしているとでも言いたげに。
「この春からあの子は私の下を離れ、札幌の茜(あかね)灯(び)高校という偏差値の高い優秀な私立学校に通うことになっています。今のあの子ならきっと、誰を傷付けるでもなく平穏な学校生活を送れることでしょう」
 私は己の懐疑的な心情に従い、この聖人の結論に安易に頷くことをしなかった。
「私が常に懸念しているのは、もしあの子と同じ「悪魔の子」と呼称されるような生徒がどこかの学校に紛れ込んだのなら、そこには悲劇的な事件が溢れ返り、すぐさま「呪われた学校」へと変貌を遂げることになるということです」
 彼は意味あり気に私を見てきた。
「どうしてそんなことを仰るのですか?」
 すると、彼の眼鏡越しの穏やかな眼光が怪しげに光った。
 彼は眼鏡を持ち上げこう言った。
「「悪魔の子」はどこにでもいるからです」

――続く。

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