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破壊の女神④

 4

 校舎の取材と称して美琴ちゃんの学校に潜り込み、そこでモンペ捜索をやろうと目論んでいた私たちを、他でもない美琴ちゃんが止めた。
 まあ、正確には止められてはいないのだが。
「止めたって止まらないのがあなたたちなんだから、私は止めない! けどやるなら私の目の届くところでやって!」
 なんと信頼されていることか。監視付きで許されることになるとは。美琴ちゃんとしてはただ白石君に復讐したいだけなのかもしれないが。
 こうして冒険に旅立つ前に強力なメンバーがパーティに加入することになったわけだ。聖林高校に侵入しようとしている我々にその在校生が手を貸すというのだから。
 来たる三者面談の日、私は日向家の親戚筋として同席することが許された。もちろん本当の親戚などでは全然ない。そしてモンペ探しはその面談の日に限り許された。どうせ学校へ悪魔の侵入を許すのならいっぺんにやってしまえということだ。三者面談の直前に音々のポケットに盗聴器、もしくはICレコーダーでも忍ばせようとしていた私に美琴ちゃんがそう提案してきたのだ。
「うち両親いないし、保護者代理のお姉ちゃんはまだ若いから、親戚も同席させるって言えば多分あっさりOKしてもらえるはず」
 どうしても自分の視界の中に私と姉を置いておきたいのだろう。一人で二人の人物を同時に監視するとなると、どちらとも視界の中に入り込ませるようにするしかないのだから。
「ただし条件があります」
 美琴ちゃんは姉とそっくりな顔をしているくせに、姉にはできない険しい表情で顔を近づけてきた。
「あら何でしょう。楽しみ」
「カンナさんは先生から質問された時以外は何も喋らないこと。飽くまで付き添いを通すこと。お姉ちゃんが火を吹いて暴走した時はそこに油を注がないこと。爆薬を投げ入れないこと。むしろ消火活動に専念すること」
 この可愛い顔をしたJKは私の仕事をことごとく的確に奪い去っていく。悪魔祓い(エクソシスト)の才能があるかもしれない。
 まあそれでも同席できるだけよしとするか。音々が炎上させたその火の揺らめきをそばで眺めているだけでも私は生を実感できるのだから。
 そしてその日の放課後、私と音々は面談時間よりも一時間はやく校内に上がり込んでいた。三者面談の時期に保護者が校内を徘徊している様子はさほど珍しくないのだろうが、音々ほど若くて美しい保護者はかつてなかったのだろう。通り過ぎる生徒のほぼ全員が音々を均等に二度見してきたのだ。特に男子。王侯貴族の社交界にもこれほどの上玉はいないのだろう。
 聖林高校は校舎の真新しさからすると少なくとも築十年以内の若造なのだろうが、合理的になりすぎたせいか、玄関も廊下も校舎の外見もただ白いだけの殺風景にしか見えなかった。学校よりも病院に近い。
 必要の無いものを削りに削った結果なのだろう。だが必要のあるものだけを残しても、それは機械か動物のどちらかになるしかないのだ。不必要なものに心血を注いだ挙句滅びの運命を選んだ崇高な生命体こそ人間なのだから。
 我々勇者一行は面談まで教室で待機することになっている美琴ちゃんと合流し、学校側に無断でモンペ捜索を開始した。モンペ捜索というか、これは白石君捜索だ。本日、彼の母親が三者面談で学校に来ているという情報を事前に美琴ちゃんがキャッチしてきてくれたのだ。なんと協力的なことか。いや、消し去ることのできない復讐心ゆえか。
 まず美琴ちゃんは白石君のクラスに残っていた女子二人に声をかけた。二人とも美琴ちゃんと同じ可愛らしいブレザーを着ていた。こうして同じものを着せられると、必然的に人々は残酷な現実を突きつけられてしまう。美琴ちゃんがいかに恵まれた容姿をしているのかがよく分かるのだ。
 二人とも机に向かって参考書を読みながらタブレットを指でなでているようだった。目がその二つのアイテムの間を忙しく移動している。その動きに合わせて両手の指も動いている。進学校の上位連中はこうやって空いた時間も必死に勉強しているのだ。ああ、やだやだ。
 こいつらの表情の無さが人生における遊びの無さをそのまま表しているのだろう。もちろん私の偏見でしかないけど。
「あの」
 教室の外から遠慮がちに二人に声をかける美琴ちゃん。ものすごく申し訳なさそうにしているのは、本当にそう思っているからだろう。
 二人が一斉に、不快そうな目つき顔つきを隠すことなく美琴ちゃんの方に顔を向ける。この反応を予期していたからこそ美琴ちゃんは殊更申し訳なさそうに声をかけたわけか。美琴ちゃんは家でも学校でも気苦労が絶えない。
 声をかけられた二人は何か用、とも訊かない。ただじいっと鋭く冷めた視線で話しかけてきた対象を見るのみ。
 怖っ。
「あの、白石君どこにいるか知らない?」
 それでも質問する健気な美琴ちゃん。
「知らない」
「さあ」
 言うと同時に美琴ちゃんから視線を外すその素っ気なさ。こいつら、知ってたとしても知らないって言うんじゃないか。
「白石君、今日、三者面談だよね?」
 めげずに確認する美琴ちゃん。
「さあ……」
「……」
 返事をした方もハナっからこちらを見ておらず、これ以上日向美琴などと会話を続ける気はさらさら無いということを言外にアピールしているようだった。
 おそらく、彼女たちは美琴ちゃんのことを知っているのだろう。こんな美人なのだから校内での認知度は相当のはずだ。そして彼女たちは必ずその人物の成績を気にする。それだけで日向美琴という女子生徒を値踏みしてしまうのだ。美琴ちゃんが下位だと知れば付き合う気も失せる。加えて美人は女の敵なのだからこういう反応にもなる。
 そういう人間性と引き換えに彼女たちは将来、弁護士やら官僚やらになるのだろう。彼女たちに気を遣っている側の美琴ちゃんの方が大人であるという考えは彼女らにはないのだろうか。
 美琴ちゃんがバレないように舌を出しながら顔を引っ込めようとしたとき(なんと可愛らしい!)、彼女の後ろに突っ立っていた恐怖の姉が動き出した。
「美琴、あの二人は美琴のお友達ですか」
 気遣いのできる妹とは違い、その遠慮の無いよく透る声。
 美琴ちゃんに対する敵愾心を分かりやすく示すためだけに、先ほど意図的に視線を参考書に移した二人が、反射的に、今の発言を認めないという姿勢をアピールするために、さっと顔の向きをこちらに戻した。
 気遣いのできる妹はこの事態に狼狽。私はわくわく。
「お友達ではないのですか?」
 質問に答えないと先へ進めない恐怖の音々ルール。
「いや、お姉ちゃん、全然、そういうのじゃないから……」
「お友達ではないのですか?」
 本当に恐怖だな、これは。
「違う。違います。私は、ほら、そんな成績良くないし。頭の出来が全然違うから。人民だから」
両者ともに聞こえる位置にいる気遣いの少女は必死に言葉を選んでいる。姉の質問攻めという関門をクリアしつつ、後ろからの視線も気にする。地獄のサンドイッチ。それよりもなんだ人民って。
「頭の出来」
「そう」
「美琴はあのお二人より料理が上手だから嫌われるのですか?」
 その一瞬で教室の中の二人の視線が嫌悪から憎悪に変わる。
 妹の頭の良し悪しをただ料理の腕前だけに集約するこの姉の頭はどうなっているのか。自分の生活に関係あることだけを気にして生きているのかこいつは。
「そうじゃないのよお姉ちゃん! 勉強! 勉強ができるかそうでないか!」
 必死の美琴ちゃんと無風の姉。この対比。
「では、美琴は勉強ができるから嫌われるのですね」
「逆! 逆だから! できないの! 私!」
「できない方が嫌われるのですか? 踏んだり蹴ったりではないですか。逆の方が平等になりますよ」
 何だその理屈は。思わず笑ってしまう。
「ではお友達を作るためにみんな必死で勉強しているのですね」
「はあ?」
 音々が一人で納得してしまう。そして勝手に友達作りに励んでいることにされた教室の二人。めちゃくちゃこっちを睨んできている。
「いや、そうじゃなくて、みんな将来、医者とか、弁護士とか、国家公務員とかになるために必死で勉強しているわけで……」
「お友達を作るためではなく?」
「ためではなく!」
「では他に何のメリットがあるのですか?」
「はい?」
「その医者とか、弁護士とかになることに、一体何のメリットがあるのですか?」
 本当に分からないことを訊く時の無垢な音々の瞳が困惑する妹を見つめる。人々が目指して止まない、いわゆる「上級職」には何の旨味があるのかを本気で問うているのだ。  
 これの完璧な答えなど、そういえばあっただろうか?
「何してんの……」
 沈黙を破ったのは男の声だった。
 背の高い、髪が長めの、少し世を皮肉ったような冷笑の顔付きが固定された男の子。その視線が我々三人を順繰りに、蔑むように眺めまわし、最後に美琴ちゃんのところに止まった。
「し、白石……」
 いかにも歓迎していない表情と声で美琴ちゃんが相手の正体を告げた。彼こそが噂の少年だったのだ。
「美琴のお友達ですか?」
 雰囲気など一切察しない女が、突如現れた少年にも同じ質問を繰り返した。
「え? いや……」
 美琴ちゃんが白石君と姉に目線を転じながら分かりやすく混乱していた。
「違えし……」
 不機嫌さをアピールするかのように視線を横に投げ出しながら、白石君は吐き捨てるようにそう言った。彼は右側の口角の機微で態度を表明するのが好きらしい。なんともいやらしいその口の形が絶妙に彼の心の中を表してくれている。
「お友達ではないのですか?」
 白石君ではなく、音々は飽くまで美琴ちゃんの返答待ちなのだ。
「ち、違います」
「では、彼も勉強ができるのですね?」
「それはもう、かなり」
「では、彼も医者やら、弁護士やらを目指しているのですね?」
「ええと……」
 美琴ちゃんはチラリと白石君に視線を向けた。
「医者志望だけど、何? つーか、何これ?」
 上から目線で、少しキレ気味に美琴ちゃんを見据える白石君。この態度から推測できることは、彼にはどうして美琴ちゃんなんかにこんなわけの分からん時間を取られないといけないのか、という不満がまずあり、その見下すべき女に対し高圧的にその不満を放つことで、お前が俺をこんな不快にさせているのだぞということを当人に分からせてやりたいのだ。
 まあ、ガキの感情図だ。
「いやあ、ちょっと三者面談で……」
「どうでもいいけど、こっちの邪魔すんなよ。お前と違うんだからさ」
 しかめっ面で、吐き捨てるように言う白石君。
 こっち。
 お前とは違う。
 短い文章の中にこうも差別表現を詰め込めるとは。しかも恐らくはわざとであろう。
「ああ、うん、ごめんなさい……」
 しゅんとなる美琴ちゃん。口角をわずかに持ち上げてそれを見据える白石君。彼としてはこの構図が何よりも好きなのだろう。
 だが、彼は甘かった。
「医者になるメリットとはなんですか?」
 外の世界の動きをまるで気にしない女は止まらないのだ。何故なら外の世界の動きをまるで気にしないから。
 質問の内容も先ほどと同じ。自分の頭に浮かんだ疑問をただ処理したい。それだけの動機。
「は? 何?」
 常に相手に非を押し付けるような、お決まりのうざったそうな顔をしながらも、やはりどこか困惑の色を隠せていない白石君。化け物との初遭遇。
「医者になるメリットとはなんですか? 何かメリットがあるからこれほどまでに必死で勉強しているのでしょう?」
 真っ直ぐな音々の視線。そこから逃げるように、白石君は人民の方に目をやる。お前がなんとかしろと言わんばかりに。
 今度はその視線から逃げるように、美琴ちゃんがフォローに必死になる。
「あ! お給料! お医者さんはいっぱいお金がもらえるよ、お姉ちゃん!」
「私や響さんの方がきっともらってますよ」
「う……」
 即答。妹までバッサリと斬り捨てる姉。
「本気でお金が欲しいのであれば、創作物の売り上げで得られる印税、動画配信による広告収入、株の配当、権利使用料、等々、正攻法ではない方が儲かりますよ。今の時代はお金を稼ぐ手段がたくさんあるのです。わざわざ青春時代をすべて勉強に注ぎ込んでまで医者になるメリットがお金稼ぎだとは思えません。美琴、ちゃんと医者になるメリットを教えてください」
 何故か注意されてしまう美琴ちゃん。二次被害者でもない、謎被害者。
「必死に勉強してまでなりたいと思えるそのメリットとは何なのでしょう」
 美琴ちゃんが考えあぐねていると、我慢がならなかったのだろう、白石君が入り込んできた。
「それは医者にしかできないことがあるからだろ。手術とか、薬の処方とか、医者以外にやっちゃいけないことで、同時に誰かがやらなきゃいけないことが山ほどある。病気やケガで困っている人たちを治せるのは医者だけだからな。誰かがやらなきゃいけないなら、医者を目指してずっと勉強してきた人間がやるしかないだろ」
 強いプライドを胸に秘めた白石君が高らかにそれを宣言してきた。
 この白石君の主張は実に筋が通っている。これは彼を褒めねばなるまい。非の打ちどころのない立派な社会貢献である。しかもこれは弁護士や官僚なんかにもあてはまる汎用性の高い理念でもある。
「……だからメリットがどうとかは全然関係ないんだよ。みんな病気で苦しんでいる人を治したいって想いだけでやってることだ。そのためだけにみんな必死で勉強してんだから」
 珍しく真顔の白石君だった。自分は本気でそう思っていると顔中に書いてある。この時だけは彼の譲れぬプライドが感じられた。
 どうやらこの白石君は困っている人を医療の力で救うために勉強しているらしい。
 おそらく、これが全国にいる立派なお医者様たちの正体であろう。ただそのためだけに彼らは必死で勉強して医者になったはずなのだ。ただ困っている人を救いたいその一心。
 そしてなぜかしゅんとなる美琴ちゃん。立派な目標を胸に頑張っている白石君を前にし、成績だけではなく、人としての圧倒的な差を感じてしまったのだろうか。
「なるほど、偉いですね。いわば自己犠牲の人生ですか」
 音々が感心して言う。
「そうだよ。悪いかよ」
 冷静に真顔で勝ち誇る白石君。己の中の格好の良い矜持を見せつけてやれたのだから当然か。
「それだからさんざん利用されても何も言わないのですね。偉いですね」
 音々が事も無げに言う。
「は?」
「は?」
 私を含め、これを聞いていた全員が「は?」である。
「利用、とは?」
 これは私が訊いた。
「美琴は彼ほど必死に勉強しなくても、痔とか盲腸とか脱腸とか膀胱炎とか痴呆とかになっても彼に治してもらえるんですよ」
 どこか嬉しそうに音々はそんなことを言った。病名を口にしている時は特に嬉しそうだった。
「いや、まあ、それが医者だからね」
「彼、または彼のような人が幼少の頃より多大な時間を費やし、必死に勉強して医者になってくれるのです。人体の治療に関することは医者にしかその実行を認められていないというのであれば、その方々が青春時代を棒に振ってまで得た資格を利用するしかない社会ということです。これを換言すると、彼が必死にためこんだ知識をみんなが利用できる世の中であるということです。これは医者でなくてもそうですね。小さい頃から強制労働のような勉強をさせられ、医者になったらなったで勉強など何もしてこなかったような手合いを治療してやらなければならない。こんな散々な人生は誰だっていやでしょう。それなのに文句の一つも出ないのは、やはり困っている人を助けたいという社会奉仕と自己犠牲的な精神がそうさせているのではないでしょうか」
 感心している。
 変人が独特の理由で感心しているのだ。
 まるで医者志望は青春時代をすべて搾取されるかのようなその考え方。しかも勉強してこなかった人間に自分の人生の大半を利用されるような逆転の構図。
 そして恐ろしいものに気付いたような表情で口を半開きにして固まってしまう白石君。そしてそして同等の表情を浮かべる教室の中の二人。
 音々のこの極端な視点からの意見は、意表を突かれることはあるかもしれないが、それでも別に正解でも正当でもなんでもない。
 音々の吐く暴論や極論や変論は、それがすべて正しいということでは決してない。これは当然である。何故ならそれは暴論であり極論であり変論でしかないのだから。常識を一つも知らない女からもたらされる意見など悉皆(しっかい)この三つのどれかになるしかないのだ。
 ただ、音々の視点からもたらされたその極端な意見というものは往々にして否定し切れるものではない場合が多いのだ。いや、多いではなく全てそうなのかもしれない。
 正しくは決してないが、全否定することもできない。音々の口にする意見の大半がこういった特色を持っているのだ。
 その否定し切れない部分にこそ常識人たちは毎度混乱させられてきた。
 きっとそこに埋まっているのだろう。
 常識人たちが触れることを恐れてひた隠しにしている真実とやらが。
 今しがたの利用する、されるという考え方に対しても、実のところ効果的な反論はないのではないかと私は思う。学生時代にただただ遊び惚けていただけのやつらの病気も治さないといけないのが勉強漬けの人生を歩んできたであろうお医者様の役目だからだ。そして白石君はついさっきまでその言い分で満足していたはずなのだ。自己犠牲と社会貢献の精神で医者を目指してますよと。それで納得していたはずなのだ。
 ではなぜその通りだと言い切ることができないのか。
 その言い切ることのできないところに埋まっているものこそ……。
 私はふと、その埋まっているものを掘り出してみたくなった。
「じゃ、音々。例えば、人の上に立ちたいだけに医者とか弁護士とかになろうとしているやつがいたら、そいつらは実のところ全員利用されるだけの可哀想なやつらということね」
 私はわざと大き過ぎる声量で音々に問うた。
「それはそうでしょう。青少年期の貴重な時間を勉強だけに潰してしまい、その後もあらゆる種類の人々に医者として利用されるだけの人生を歩むことになります。お金を払って治療してもらっている以上それほど感謝する人もいないと思います。それは当たり前のことと思われてしまうのです。果たしてこれで人の上に立っているといえるのでしょうか。私はそれだから医者やら弁護士やらになることに何のメリットも無いと考えていたのです。もちろん、みなさんは社会貢献と自己犠牲の精神で医者を目指していると思うので、本当に人の上に立てるなどと思っていないのなら何も気にすることのない話なのですが」
 音々は首を傾げて白石君の方を見ていた。そうですよね、と脅迫しているのだ。
「そ、それは、そうなんだけど……」
 白石君は明らかに混乱していた。
 なぜ何も言えなくなるのか。目の前にいる人外に「はいそうです」と言い切ってしまえばいい。自己犠牲だけが理由ならたとえ誰に利用されようがその人の病気を治せるのだからそれでいいじゃないか。
 ということは、そうではないということ。
 白石君の目はどこも見ていなかった。もしかしたら彼はその目で初めて自分というものを見つめているのかもしれない。
 すっかり謎の解けた音々はそれでも何やらブツブツと呟いていた。
「もし本当にそのような職業差別的な理由で医者を目指している人がいるのなら、やはりどうして彼らが勉強しているのかが分からなくなりますね。どうせその先に待っているのは搾取され続ける人生です。それは上位ではなく下位の人生です。何のメリットも無いというのにどうして必死に勉強などをするのか……」
 どうやら追い打ちの爆弾をミサイルに詰め込んでいるようだ。
 耐え切れなくなった美琴ちゃんは力任せにそんなイカレた姉を押し出し、引っ張り、その教室から距離を取ろうとした。
 私もそれについていった。白石君の口角は二度と動かないかもしれないと思いながら。
 ひと気のないところでくどくどと姉に説教をする美琴ちゃんだったが、姉が聞いているはずもなく、ぶっちゃけ美琴ちゃんの白石君に対する溜飲が下がっていることもあり、本気の説教とはならず、ただただ無駄な時間が流れていくのだった。
「にしても、モンスターペアレンツなんてそこら中に溢れているけれど、身近にはいない存在なのね」
 説教も終わった空白の時間に、私の空白の脳がぼやいた。
 欲しい時に無い。会いたい時にいない。でも確実に遠くに見えている。そんな例はいくつもある。
「ここにいるじゃん」
 妹はどこか落ち着きのない姉の方を指差した。
「あ、ホントだ」
 などと納得してしまったが。アレは別枠扱いだろう。
「まあコレは特殊例だから。カウントしなくていいでしょ」
「いや待って。そういや、石像にはバレてるんだった」
 美琴ちゃんは少しだけ肩を落とした。なんだかよく分からないけど漏れがあったようだ。
「顔の形が直方体の男性教諭を見かけたら注意して。お姉ちゃんを見かけた瞬間、石になって崩れ落ちるかもしれないから」
 それは是非とも見てみたいので、できればその石像なる者とエンカウントしたいものなのだが。
「てかあんた何さっきからキョロキョロしてんのよ」
 私は音々の様子が気になっていた。
「昔、こんなところにいたような気がするのです」
 音々は要領を得ないような顔でそう言った。
「お姉ちゃん、それ学校ってところじゃなかった?」
「そうです」
 私と美琴ちゃんは顔を合わせた。
「じゃ、問題解決ね。ちなみにあんたここに何しに来たか分かってる?」
 そういえばこの確認がまだだった。
「モンスターペアレンツなる者を探しにです」
「正解。よく分かってるじゃない。それが難しくなりそうだから邪魔しないでよってこと」
「ですが、先程の話ですと、私がそうなのではないのですか?」
 とても無垢な音々の瞳。
 またまた目を合わせる私と美琴ちゃん。
 こいつ、聞いてやがったのか。
「私がそうなのであれば、その石像とかいう存在が私のことをよく知ってらっしゃるというではありませんか。その石像なる存在を見つけて私のことを訊ねた方が効率的ではありませんか?」
 何だこのアホな提案は。それに何だこの真顔は。アホなのか。
「で、その石像の話を他でもないお前が聞くと」
「はい。目的は果たされます」
 私は何故かドッペルゲンガーを思い浮かべた。何故だ。
「はあ、面談が心配……」
 美琴ちゃんは姉のこのいつにも増してのアホっぷりに、ついつい暗い未来を想像してしまったらしい。
 そういえば、我々は白石君のお母さまに用があったのでは?
 私がそんなことを思い出した時、廊下の向こうから友好的な声が響いてきた。
「美琴ー。何してん?」
 この学校では珍しい、茶髪の子。スカートも短め。
「あら、カレン。地獄の三者面談よ」
「え? そもそも天国って無くね?」
 このカレンと呼ばれる少女もおそらく人民なのだろう。美琴ちゃんとの砕けた会話がそれを如実に物語っている。
「てか、そっちの廊下で面白いもん見たよ」
 少女は悪そうな笑みを浮かべながら今下りてきた階段の方を指さす。
「なにそれ? 校長のカツラでも落ちてた?」
「えぇ? いっつもハゲなのに? 違います。石像大先生よ。めっちゃオバサンに詰められて石になってた。あれきっとモンペよ」
 私たち三人はハッとなり、その階段の方向を見た。
「そうだ! 白石のクラスの担任、石像だった!」
 美琴ちゃんがそれを思い出す。当初の目的の人物、白石母の可能性大。
というわけで、カレン何某を置き去りにして階段を上る私と美琴ちゃん。音々を忘れてきたので、途中で私が戻って、回収し、無造作に引っ張っていった。
 教えられた廊下には誰の姿も見えなかった。しかし数学準備室と呼ばれるマイナーな一室の中から穏やかではない声が聞こえてきたので、私たちはそこに近づいた。
「石像は数学の先生なんだよね」
 移動しながら美琴ちゃんが教えてくれる。つまりそのマイナーな部屋は石像なる数学教師のホームということになるのだろう。廊下でモンペに急襲された石像が、すぐ近くにあったホームに慌てて引きずり込んだというところか。人の目のあるところで騒がれてはたまらないだろうから。
 というか、その前に石像という謎の呼び名の説明をしてほしいのだが。
「ミヤマ先生。去年から何度も言ってるじゃありませんか」
 険のある女性の声がドア越しに響いてきた。どうやら石像なる数学教師はミヤマというのが本当の呼び名らしい。
 私たち三人はピタリとドアに張り付いた。三匹のメスの出歯亀。
「私はね、もう何度も言いましたよ。何度も。なのにそちらは改善する様子など一切見せない。無視ですよ、無視。学校側は保護者の切実な訴えを聞いてくれないのですか。それはとても傲慢な態度だと思いますよ」
「いや、そうはいってもですね。カリキュラムを変えるなどというのはさすがに……」
「無理だというんですか? こちらは大事な大事な息子をあずけているんですよ。そちらの授業の方針に不備があるのなら、改善を要求するのは当然のことじゃないですか。あんな授業計画では受かる大学も受からなくなります。私はね、ちゃんと他の学校のカリキュラムも調べてきているんです。いろいろ勉強してきているんですよ。その上で、聖林の授業計画では物足りないと申しているんです。むしろ、私はあなたたちに教えてあげているんですよ」
 なるほど。これはモンスターだ。モンスターペアレンツだ。
 これがそうなのかと瞬時に理解させてくれる存在なのだ。
「ああ、これ。懐かしい声」
 この母親のことを中学の時から知っている美琴ちゃんが感慨にふけっている。
「しかしですね、そのために学校行事をいくつか取り止めにするというのはいささか突飛すぎるというか……」
 抵抗するミヤマ、もとい石像。声からして腰が引けている。
「どこがですか!」
 一喝。
 怒るタイミングがちょっと急な気がする。
「要らないイベントを無くして足りない授業の穴埋めにしろと言っているんです! そのどこが突飛なんですか! うちの子が受かるよりも年間の行事予定を変えないことの方が大事とでも言うんですか! もう二年生ですよ、二年生! 一年生の時からずっと訴え続けてきたのに、結局二年生になってしまったではないですか! 今すぐ変えてください! 今すぐ!」
「いや……」
「それにね、前に言いましたよね! あの日本史の先生を替えてくれって! どうして優秀な進学校として名高い聖林高校があんな教師を雇っているのですか! 見ましたか? あのテスト問題! 全くバカバカしい! あんなレベルの教師が授業やってるようじゃ生徒もみんなバカになってしまいますよ! 一体いくらあなた方の学校に学費を払っていると思っているんですか!」
「いや、ですが、人事権は私には……」
 声量も小さく、私には涙声にしか聞こえない。もう石像先生は風化しきった後の石くれになっているのかもしれない。
 しかし日本史の教師の更迭などというピンポイントの要求に何の意味があるのだろう。
「白石ね……」
 と、美琴ちゃんがウキウキした口調で話し出した。
「この前のテストもその前のテストも、日本史だけ悪かったみたいよ。そのせいで学年二位に落ちちゃったんだって。ずっと一位だったのに」
 このように美琴ちゃんが嬉しそうに内実を暴露してくる。
「美琴、美琴」
 ここで音々がニヤニヤするのに忙しい妹の肩を叩いた。
「これは一体何をやっているのですか?」
 これ、とはこの出歯亀行為のことだろう。盗み聞き、盗聴、傍聴ともいう。
「あんた忘れたの? 私たちはモンスターペアレンツを取材に来ているのよ」
 これは私が答えた。私の仕事の範疇でもあるからだ。
「それは覚えていますが、それとこれと何の関係が?」
「だから、さっきからこの中で喚いているオバサンこそ私たちが狙ってる獲物だって言ってんのよ」
「ああ、モンスターペアレンツ?」
「そう。モンスターペアレンツ」
 ガチャと、いきなり。
 本当にいきなり、音々が中に入っていったのだ。
 もう本当に、いきなり。
 私はもちろん、美琴ちゃんも凝視しながらの停止。現実に追いついていけていない哀れな子羊が二匹。
 ドアの向こうには、すでに石と化している三十代くらいの朴訥な男性教師。そしておそらく五十手前くらいの、化粧の濃い、フォーマルスーツを着  込んだオバサンが一人。
 数学の参考書で埋め尽くされた棚が並んであるだけの、少々狭苦しい殺風景の部屋の中で、顔の形が直方体に限りなく近い男性教師が明らかに奥の方まで押しやられており、オバサンの方はそこまで攻め込んだだけでは我慢ならず、さらにその先生に指さし詰め寄ろうとしていたのだった。
 そんな中に入っていった破壊神音々。そしてドアの開く音がしてから音々が彼らの近くに寄るまでの数秒でようやくこちらに視線を移した二人。それほどまでに音々の動きはあっという間だったのだ。
 切羽詰まった顔の石像先生は音々の姿を視認した瞬間、もっと名状しがたい表情になってしまった。どうやら美琴ちゃんの言った通りになったようだ。
 オバサンは困惑というよりも邪魔されて心外だという、無軌道な怒りの視線を音々にぶつけていた。
 このあたりでようやく私も美琴ちゃんも我に返った。
 音々は上から下へとその怒りのオバサンを眺めまわしていた。もはや無礼とか無遠慮とかの次元ではない気がする。無頓着が一番近いかも。
「なんですか、いきなりあなた……」
「声から察するに、こちらがモンスターペアレンツですね?」
 声を張り上げようとしていたオバサンを全く無視して、音々はあろうことか、その恐るべき確認を、オバサンの目前に手の平を差し出しながら、私の方に顔を向けて迫ってきたのである。
 突然すぎる衝撃のせいでオバサンは絶句してしまったようだ。
 美琴ちゃんは自分には当てられていないとばかりに目を強く閉じてじっとしていた。
 さて、私はどうするか――。
 などと考える前にすでに私の頭は縦に振られていた。自分でも気が付かなかった。
「やはりこちらの方がモンスターペアレンツでしたか」
 と言いつつ、何故か横から、あるいは後ろから、何かを探すかのようにオバサンを見渡す音々。
 こいつ、さては角やら牙やらを探してやがるな。
「だ、誰がモンスターペアレンツですって!」
 オバサンは予想通り、烈火のごとくブチ切れた。
「絶対許さない! あなたいったい何のつもり! 今の言葉、取り消して謝罪しなさい!」
 オバサンは標的を石像から破壊神に変えて再度詰め寄ったようだが、音々は詰め寄られたところで、他者の反応というものを一切気にしない女であるので、ピンと直立したその姿勢を崩すことなどまるでなく、表情も特に変化するでもなく、詰め寄ったオバサンの方が何故か不思議な間を空けた後でわずかに距離を取ってしまうのだった。
「では、奥さまはモンスターペアレンツではないということですか? カンナさんはそうだと仰っているのですが」
 などと丁寧に確認する音々。
 おい、私の名前を出すな。
「断じて違います!」
 拳を握り込んでこれを否定するオバサン。あんたもあんたでよく否定できるな。
「違うのですか? しかし、本で読んだモンスターペアレンツの特徴と奥さまは、ほぼ一致しているようですよ」
「な、なんですって?」
「傲慢で、わがままで、短気で、自分の主張を通すこと以外目に入らない。中年の女性に多い。モンスターペアレンツと呼ばれると一段と怒る。日本語がまるで通じない。あ、通じてますか?」
「いい加減にしなさい! 何よその言い草は!」
「私ではありません。私の読んだ本にそう書いてあったのです。カンナさんも先ほどお認めになったことですし」
「その本が間違ってるのよ!」
 白石母は怒りに目を燃やして叫んだ。
 それよりも、さっきからアイツは意図的に私の名前を出しているような気がする。
「私はね、子供のために筋の通った要求をしているだけです! 学校側の間違いを正してあげているのよ! それをモンスター呼ばわりするなんて、悪口にしても筋違いだわ!」
 などと自分を正当化するセリフを堂々と大声で読み上げる白石母。
「それはつまり、学校という教育のプロの集団よりも、奥さまがお子さんを指導なされた方がお子さんのためになる、ということですか?」
 音々がこれまでに入手した情報を整理した上で確認を取る。この言い分は間違っていない。さっきまでそこのオバサンはそのような主張を石像にしていたのだから。
「ええ、そうですよ。私は母親ですので、私が一番あの子のことを分かっています。もちろん学校の先生方よりも遥かに分かっているのです」
「それは仰る通りだと思います。母親ですからね」
「ええ。ですので、学校側は私の言うことを真摯に聞く必要があると言っているのです」
「つまり、奥さまはお子さんのためにしていることであると? そのためだけに学校側に色々と要求していると?」
「もちろんです」
 なんの臆面もなくこのオバサンは……。
「そうですか。では母親が全員、一人一人、奥さまと同じようなことを学校に要求すればよいのですね」
 音々が妙案を思いついたようにその暴論を発した。
「はあ?」
 と、しばらくぶりに声を上げた石像。それも音々の暴論に対する非難を表明するような声だった。母親が全員モンペになればいいと言っている女に対し、その一番の被害者になるであろう教師側は文句を言わないわけにはいかないのだ。
 この音々の意見には白石母も目が点になってしまっていた。
「子供のことを一番よく分かっているのは母親です。学校でも先生でもありません。それは先ほど奥さまが仰ったことです。その一番よく分かっている母親が子供のために考え、その意見を学校側に受け入れてもらうというのは至極真っ当なことであると思いますよ」
 あっさりとモンペ側の主張を受け入れてしまう怪物音々。むしろモンペ側が戸惑ってしまっている。
「ええ、まあ、でも、そういうことなのかしら」
「しかしそうなると問題が生じてしまいますね。もちろん奥さまはそれに気付いてらっしゃると思いますが」
「え?」
 さらに戸惑う白石母。
 奥さん、しっかりと音々の脳味噌についていかないと異世界に置き去りにされてしまいますよ。
「先ほどまでこの部屋の中で奥さまが先生に仰られていた要求は、他のお子さんにも影響を与える要求でした。奥さまのお子さんだけではなくです」
 音々はモンペがひた隠しにしている急所をこうやって簡単に突いてしまうのだった。
 モンスターペアレンツは無理な要求をする生き物である。その「無理」の具体的な説明を音々は今披露したのだ。お前のとこの子供だけでなく学級、学年、学校全体もその要求に付き合わないといけなくなるぞと。
 先ほどこの奥さまが要求していたのは、学校行事の短縮等による授業計画全体の変更。そして日本史教師の更迭。どちらも白石家の息子一人だけの問題では全然ない。
 分かりやすく苦虫を噛み潰したような顔になる、怒れるオバサン。
「それは……」
 教師に対してはそれでも無理を押し通してしまうのだろうが、音々はオバサンにとって立場的に何のアドバンテージも無い存在である。無理には踏み込んでこないようだ。
「この場合、奥さまは他の保護者全員に許可を取る必要があると思われますが、それはもうお済みですか?」
 真っ直ぐな目で何を訊いているのかこの女は。全員の署名を取るような手続きをきちんと踏んで改善を要求してくる女はクレーマーでもモンスターでもない。それはもうやり手の活動家である。
 それでも音々の言い分は間違ってはいないのだ。全員に影響を及ぼす要求なのだから全員の許可を取ってこいよと。これは間違ってはいない。
 だが間違っていないのに間違っているように見えてしまうこの感じは何なのだろう。恐らく、モンスターペアレンツの要求を、それも恫喝や脅迫などという卑怯な手段を用いないそれを、なんとか肯定的に受け入れようとすると、唯一こういった手順が正しいというだけの「正しさ」がそこにあるからだろう。
 恐るべきは音々が持つ究極の客観視だ。世の中のあらゆる先入観を排除して物事を見る力。それにより導き出される、モンペは関係者全員に許可を取ってくればよいというその異質な結論。
 正しいわけでもないが否定し切れることでもない。これぞ音々にしかできない音々風の変論。
 毎度毎度、私はこれが面白いのだ。
「許可なんて、そんなもの、何のために……」
 痛いところを突かれっぱなしのモンスターは見るからに先ほどの烈火のごとき勢いを消失してしまっていた。
「え? 取ってないのですか?」
 本気で驚く音々。
 おいおい。許可はきちんと取っているものと思っていたのかお前は。ずいぶんとモンスターペアレンツは音々に信頼されているものだ。
「しかし、母親である奥さまの要求を何としてでも学校側に通さないことには、お子さんのためにはならないというではありませんか」
 もはや何も言えなくなるモンスター。このオバサンの言い分のみを参考にするならば、音々のこの発言は圧倒的正論となる。母親こそが子供のことを一番に理解している。だからこそ子供のためになるような要求を学校側にする。そのための手続きを踏んでいないのであれば結果子供のための改善要求もおじゃんになる。それでは子供のためにはならない、という理屈。
 総じてアホか。
 美琴ちゃんが先ほどから小刻みに震えているのだが、いつから彼女は笑いを堪えていたのだろうか。
「では、お子さんは学校を辞めた方が良いようですね」
 音々の暴論は続いた。それも先ほどまでの暴論を遥かに凌駕する暴論。
学校を辞めた方がいいだと?
 がんばらないと私もどんどん追いつかなくなってくる。
「あなたは、あなたは何を……」
 奥さんは完全に追いついていないようだ。
「奥さまは学校側が間違っていると言います。その学校側に要求した改善案が通らないとなると、お子さんのことを一番理解している奥さまが指導、教育なされた方が良い、という結論に辿り着くのは自明の理のような気がしますが」
 これもまた白石母の言い分のみを採用すると導かれる解答なのだろう。採用するわけにはいかないし、導く必要のない解答なのだが。
「義務教育はもう終えているので、それは可能なはずですよ?」
 目線を合わせ、親切ぶってそんな基礎的な助言をしてしまう音々。お前の親切は常に他者の心の奥底をえぐることを知れ。
「こ、こんな学校でも、辞めてしまうと、それはそれで志望校に合格するのが難しくなるのです!」
 なんとか反論を見つけ出したような白石母だったが、むしろその理由が全てだろうと私は言いたくなる。
「なるほど。辞めることもできないと。つまりは八方塞がりということなのですね」
 何やら一人でよく分からん理屈に納得し、それならばどうすればよいのかと思案する音々だった。なぜお前は先ほどからモンスターに親身になろうとするのか。類友というやつか。
「奥さま。奥さまに残された選択肢はどうやら四つだけのようです」
 また目線を合わせて親切ぶる音々が指を四つ立てた。
「一つめは保護者全員を無視して要求を通す。二つめは保護者全員の許可を取って要求を通す。三つめは大人しく学校側に従う。四つめはお子さんが学校を辞める。このどれかから選ぶしかありません」
 指を順番に折っていき、グーになるとともにそう言い切った音々。何も言えなくなっている目の前の女性を無視して音々はさらに続ける。
「四は志望している大学に行けなくなると言いますし、三は間違った学校にお子さんを通わせることとなるので、オススメはしません。お子さんのことを思うのならやはり一か二ですね。保護者全員と法的に争って勝つか、保護者全員に頭を下げるか、どちらかということです。どちらもお子さんのためになることだと思うので、頑張ってください」
 圧倒的に不可解な結論で締めくくった音々。
 だがこのグチャグチャの結論こそ、モンペの歪(いびつ)さを形を変えて表したような気がしないでもない。彼らの無茶苦茶な要求の、その無茶苦茶の部分を取り出して内容を細分化するとこんな滅茶苦茶なものになりますよと、当人に提示しているかのようだ。
「カンナさん」
 目の前にいる目の焦点の合わなくなった女を無視して、音々が私の名を呼んだ。
「何よ、モンスター」
「この方はモンスターペアレンツではないようですよ」
 もっと驚愕の結論が待っていた。
 何故か奥さんの方が驚いた顔をしているではないか。
「ええと、どうして?」
「私の読んだ本の中では、真のモンスターペアレンツは己のことしか考えておらず、自ら子を滅ぼす存在と書かれてありました。しかしこちらの奥さまはお子さんのために厳しい道を歩まれるようです」
 この決めつけのような発言を聞き、もっと驚いた顔になる奥さん。一か二の選択肢のことか。
「子を思う気持ちの強い、こんなにも自己犠牲的な母親がモンスターペアレンツなどとは思えません。そうですよね、奥さま」
 真っ直ぐな眼差しで、狼狽と困惑と驚愕を同時進行でやっている女性を何の思惑もなく見つめる音々。狼狽しているのも困惑しているのも驚愕しているのも、根っこには自分で自分のことをちょっとはモンペであると自覚している故であろう。それに見て見ぬふりをしてクレームをつけまくっていたのがこのちっぽけな女の正体なのだ。
 だが音々にその内実をことごとく暴かれ、その暴いた女がこともあろうに宇宙一純真な瞳を向けてきて、はっきりとモンスターではないと言い切ってくるこの名付けようのない感情の淀み。
 一体彼女はこの時、己の中の何に気付かされたのだろう――。
 白石母からの返答は無かった。無かったことが答えだと私は思う。これまで刻ませたことのないであろうしわを刻ませ、したことのないであろう表情をして、ただ言葉を詰まらせていた。
「やはり角も牙もないようですし、火を吹くこともなかったです。カンナさんは間違った決めつけをしてしまったということです。今のうちに謝った方がいいですよ」
 音々の中で白石母はモンスターペアレンツではないという結論に至ってしまったようだ。これは自分の取材対象ではないと。どうでもいいが不必要に私に話を振ってくるその悪趣味なやり方はいい加減改めてほしい。
「カンナさん。他にモンスターペアレンツを見つけないと取材ができません」
 そう言い募ってくる音々。違う違う。せっかく見つけたそれを、お前が何故かモンスターペアレンツだと認めなかっただけだ。
 本気で角も牙も生えた何者かを用意しないとコイツは納得しないというのか。
「あのね、音々……」
 ここでタイミング良く、あるいは悪く、校内放送がかかった。
「二年、三組、日向美琴さんと、その保護者様。二年、三組、日向美琴さんと、その保護者様。二階、進路相談室までお越しください」
「あ!」
 呼び出された美琴ちゃんが何かを思い出した。
「時間! 三者面談の! とっくに過ぎてた!」
 というわけで、破壊された石像と、魂を抜かれたモンスターを置き去りにして、私たちは三者面談の場である進路相談室へと駆け足で向かった。
「石像なる人に私のことを訊かなくてよろしいのですか?」
 理解する必要のない質問が、廊下に響く足音に潰され消えていった。

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