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悪魔の子供たち⑤

 5 ハイエナ
 
 翌日、ハルは万全な状態であの十字路に現れた。いつも通りの微笑みと、その中にちょっと毒気を含ませた美人。どうやら昨晩はよく寝たらしい。
 幹線道路に出ると、今日もまたいじめ事件のいじめられっ子、高屋美樹が向こう側の歩道をトボトボと歩くのが見えた。目の大きな愛嬌のある丸顔に学校指定無視のミニスカート、毛先の撥ねた髪の毛、等々……。前まではこの道になかったその景色。
 高屋美樹は以前は仲間と共に別のルートから通学していたのだ。
彼女は世にも珍しい、仲間が大勢いるいじめられっ子だったのだ。いじめ事件以来コースを変え、一人でトボトボと通学している。
 俺と同じく彼女も「とっつきやすい」と呼ばれる部類の生徒だったことは間違いない。それだから友人も多かった。どの生徒も彼女になら気軽に声をかけることができた。
 今回の事件で高屋美樹はいじめを受けたとされている。だが普段から彼女はいじられる子だったのだ。これは周知の事実だった。だからみんな気楽に彼女と接することできたのだ。
 いじられるといじめられるは全然違う。先生方にすらいじられまくっている俺だからこそ分かることだ。
 後者は完全に被害であり犯罪でもある。だが前者、いじられるは有力なコミュニケーション手段の一つであり、本人も含め仲間内で楽しむ為の効果的な方法論の一つでもある。しかもいじられることは本人も了承済みのことなのである。場に「いじられキャラ」が一人でもいればコミュニケーションもカンバセーションも円滑に進む。なんせ「いじられキャラ」とは、話を振られた時に面白おかしく応答することに手慣れた稀少な人材のことなのだから。その人に話を振る、つまり誰かがその人を「いじる」ことで、いじられることが好きなその「いじられキャラ」は面白おかしく応答し、場を盛り上げることができるということだ。相手のいじり方がきつい場合はヘコむこともあるが、いじってきた方も攻撃してやろうと思って強めに当たってくるわけではなく、悪ノリが過ぎただけという場合の方が多い。
 ちなみにハルの俺に対する当たりの強さは完全にいじめである。
 きっと高屋美樹はいじられ過ぎたのだ。本人の許容範囲を超えて。
「同じなのかな」
 ハルが遠目に彼女を見ながらふと口にした。
「何が?」
「高屋さんと吉田さん」
 俺は軽くうなずいた。
「人に見られたくない、会いたくない?」
「そう」
「だからコースまで変えて一人で登校してるのか」
 ハルはどうしてか少し嬉しそうに微笑んだ。
「かもしれません。高屋さんの場合は周りからいじめられっ子に見られるのが耐えられなくなった。いじめられっ子だと思われることで、もう誰も以前のように景気よく自分をいじってくれない。いじめ被害による絶大な同情はコミュニケーションに躊躇(ちゅうちょ)を生んで気軽さと気楽さを遠ざけてしまう。そのせいで自分の存在価値ともいえるいじられによるコミュニケーション手段が崩壊したのよ」
「存在価値って、大げさだな」
「残念ながら真実です」
 私だって他人には理解できない細かいことを大事にすることがある――、とハルはおどけるでもなく言ってきたので、からかうのはやめておいた。
「不公平ですね」
 ハルがぽつりと何か言った。
「何が?」
「昨日吉田さんをあれだけいじっておいて、高屋さんのことは放置することがです」
 ハルの平等観念はどこかズレている。こっちにちょっかいをかけたのだからこっちにもちょっかいをかけて天秤を水平にしようとしているのだ。それなら初めから何もしなければいいだけなのに。
 というか、コイツは公平を愛しているのではなく、その倫理観を口実に不幸を負った人間に話を聞きたいだけなのだ。腐ったジャーナリズムだ。
 ハルは渡る必要のない信号を渡った。こういう場合、俺としてはひたすらハルに追従するのみ。
 ハルは早歩きで高屋さんの背中を捉え、後ろから話しかけた。
「おひとりですか?」
 高屋さんは振り向いてきて、大きな目をパチクリとやった。その後彼女は口の形を「あ!」にして俺たちを交互に指差してきた。
「変な記事ばっか書いてる新聞部コンビ!」
 おやおや、悪名高いとはこのことか。
 それにしても高屋さんは遠目で見るよりは全然元気そうだった。声も大きいしリアクションもでかい。仲間内では間違いなく盛り上げ役だったのだろう。
「変な記事書いてるのはコイツだけ!」
 俺は目を吊り上げて抗議した。
「自ら名誉を捨てるとは何事でしょう」
 ハルが冷静に不満を発する。
 このやりとりをどこか呆けた表情で眺める高屋さんがいた。
「へえ。桜井さんってそんな声してたんだ」
 的外れな感想が彼女の口から漏れ出てきた。
 この人はきっと理性よりも感情が口からこぼれ出てしまうタイプだ。
「私の喉(のど)笛(ぶえ)に興味があるの?」
 ハルがからかい半分の質問をした。しかも真顔で。
 俺は会話が頓挫すると思い、ハルの前に出て俺から話しかけた。
「てか、俺は意外じゃないんだ。俺の声は見た目どおりなんだ」
「え? 白石君はだって、みんな知ってるよ。有名人じゃん」
 俺は褒められてるのか貶(けな)されているのか判断に迷っていた。
「騒がしくてみんな迷惑しているということよ、ナツ」
 ハルは慰めるような口調で迷える俺にそう告げてきた。俺は半分本当のような気がして反論をためらってしまった。
「この女だって十分騒がしいでしょう? 何で俺だけ?」
「ハル差別ですよ。ハル差別」
 得意気にバカげたことを抜かしてくるバカ女。
「え? 何だって?」
「柔らかいキャベツのことですよ」
 俺はここで会話を諦めた。ハルは気分よく微笑んでいる。
 高屋さんはハルのこのいじり方を面白がってクスクスと笑っていた。
 俺たちは三人で歩きながら話をした。
「高屋さん、最近この道でよく見かけるわ。私たちは入学当初からここを通って登校してるんですよ」
 ハルがいきなりそれを切り込んだ。コイツの無感情的なキャラには無遠慮を無礼にしない魔力があるのだ。何を考えているのか分からない感じ。正常な常識力を諦められている感じ。
 高屋さんは苦笑いを浮かべて答えた。
「なんかね、あんなことがあって、それまで一緒に学校行ってた友達とかとは居づらくなっちゃって」
 結構本音を口にしてしまっているが大丈夫なのだろうか。
 これが吉田さんと高屋さんのキャラの違いか。吉田さんは考え過ぎて本音を隠すが、高屋さんは無考えに吐露してしまうのだ。
「みんな遠慮してるんですよ。というか、恐れているんです」
 ハルが微笑を絶やさぬまま続けた。
「恐れている?」
 高屋さんは真っ直ぐにハルの目を覗き込んだ。
「もしかしたら自分が糾弾されていたかもしれない。今後も罪を遡及されて断罪されるかもしれない。あれもこれもいじめと捉える風潮のある昨今、些細な攻撃をしただけの人間が吊し上げに遭うかもしれない。特に今の茜灯高校はいじめに過敏になっているから」
 ただし、とハルが強めに言った。
「あなたが気にすることは何一つとしてありません。客観的に見ても高屋さんが責任を感じることなんて一つも見当たりません」
 ハルはそれをハッキリと言い聞かせた。
「そう、なんだよね……」
 それでも俯いている高屋さんだったが、ハルはじいっとその様子を窺っているようだった。ハルは高屋さんの反応を見て彼女が責任を感じているかどうか測っているのだ。
 そしてそれは当たりだった。ただ元お仲間さん方と疎遠になっているだけではなくて、高屋さんは確実に何かを気に病んでいる。自分のせいにしている。意識せずともそんな雰囲気が伝わってくるのだ。
 ハルが俺の背中を叩いてきたので、今度は俺が適当な慰めの言葉をかけてあげた。
「面倒なことって誰かの責任にしちゃえばすっげー楽になれるし、高屋さんはそれを許される状態にあるんだから、思いっきり誰かのせいにしちゃえばいいんじゃね。例えば学校とか」
 すると高屋さんは驚いたように俺に顔を向けてきた。
「白石君て、すごく優しんだね」
 この感想、裏を返せば俺は優しいと思われてなかったということか。ただの騒がしいやつってか。
「ええ、そう、すごく優しいのよ。もう何でも頼っちゃっていいから」
 ハルが勇気づけるかのように力強く言い聞かせる。面白半分の血が騒いだか。
 それでも高屋さんはまんざらでもないような表情で俺を見てきた。そのタイミングでハルが俺の背中に右フックを叩きこんだ。返事をしろという合図だ。ハルはかなり拳を握り込んで殴ってきている。
「本当に相談に乗るよ。でも、時間がある時……」
 右フックが飛んできた。
「ええ、そうね! 例えば今とかね。今、ナツ時間あるものね! あなた歩行しかしてないものね!」
 俺が怠惰になりかけた瞬間に手綱を握ってくるスパルタ騎手。鞭を打つタイミングも絶妙だ。
 高屋さんと言えば、なんだか乞うような目でこちらを見てきている。俺と不器用に目が合うとすぐに目を逸らした。
「私、やっぱり怖がられてるんだ」
 急にテンションと肩を落として悩みの核心をつぶやく高屋さんだった。
「知ってはいた?」
「うん。いじめられっ子っていうイメージが付いちゃうと、一気に誰も近寄らなくなるっていうか……」
 言いたくないことなのだろう、感想は尻すぼみになってしまった。
「家庭的なCMにバンバン出てた人気女優が、不倫発覚で一気にスポンサーから手を引かれていくみたいな、でしょ?」
 ハルが真剣な顔で割り込んできた。
「おい、キャベツ。丸まって黙っとけ」
 俺は項垂れている女子に謎の喩えをかましてくるアホを強くたしなめた。
「あら。私はただイメージ次第で状況が一変してしまうことを言い表したかっただけよ」
「他に色々言いようがあるだろうが。嬉しそうにゲスな週刊誌みたいなこと言ってんじゃねーよ」
「それは新聞部ですから。ゲスなゴシップだろうが経済情報だろうが、食わず嫌いはよくないですよ」
「新聞部がどーとかじゃなくてお前自身の趣味嗜好を問題にしてんだよ狂女!」
 がなる俺を無視してハルは高屋さんの方を向いた。
「高屋さんはゲスな芸能ニュースは好きですか?」
「何訊いてんだおい!」
 苦笑しながらも高屋さんは答えてくれた。
「まあ、それなりに興味はあるかも……」
「高屋さんの場合もアレと一緒です。本人の中身は不倫の前後で何も変わってないのに、というか元々そういう人物だったのに、見る側の印象が変化しただけで本人を取り巻く状況さえも変わってしまう……、あなたの現状の解説です。いじられることを得意としていることは事件の前後で変わってはいないのに、誰もあなたをいじらなくなった。かつて頻繁にあなたをいじってきた人達までもがあなたを避けている。変化したのはあなたの印象。あなたがどう見られているかが変わっただけ。不倫話と何も違いません」
 残念なことにハルの説諭には納得させられることの方が多い。高屋さんも目を丸くして傾聴している。
「ただし、これに関してナツには何か異論があるみたいですね。さっきからぎゃあぎゃあとまあ。意見があるならどうぞここで仰ってください。日本語でどうぞ。日本語でチャレンジしてください」
 腹の立つ手口で俺をいじめてくるハル。言いたいことは理解できるし、論に間違いもないと思うので反論も何も無いというのに。
「高屋さんは、その、事件の前と後とで自分が変わってるって思う?」
 俺は考え考え、高屋さんに話しかけた。そして大きく首を振る高屋さんを俺は見た。
「やっぱりそうか。元々不倫する女優は元々非難されるべき大馬鹿者だけど、高屋さんは元々が良い人。みんなを盛り上げる役を自ら買って出る良い人。今の高屋さんみたいに嫌な思いをする理由なんてどこにもない」
 俺が元気よくそれを言い放つと、高屋さんはヒーローでも見るような眼差しで俺を見てきた。勘違いではないはず。
「いやいや、もう、私より白石君の方が良い人じゃん」
 彼女は感心しながらそう言ってくれた。何故かハルに対しざまあみろと思い、俺は無駄に勝ち誇った。
 それでもきっと、ハルは高屋さんが不倫女と違って元々良い人などということはすでにお見通しなんだろうなとも思う。
「高屋さん、不倫とかしてない?」
「バカは黙っとけ」
 しつこいハルを再度黙らせた時、後ろから聞き覚えのある声がしてきた。
「あんたらは、二人合わせて四倍騒がしいのね」
 三人一遍に振り向くと、そこには聖女萩原がいた。表情が豊かで目の大きな活発そうな女の子。ただ今は呆れた表情を浮かべている。
「瞳ちゃん」
 萩原さんを見つけた高屋さんの目が見るからに輝き出した。そういえばこの二人は同じクラスだったっけ。
 そうか。仲が良いんだ。クラス内でのいじめを見かねて告発したのも誰あろう萩原さんなのだし、前々からこの二人は仲良しだったのだ。それだけではなく、今でも仲良しというのが高屋さんにとって大事なポイントなのだろう。状況が変わった今でもというのが。きっとそんなクラスメイトは萩原さんだけなのかもしれない。
「ちょっと、美樹ちゃん、大丈夫? 新聞部に絡まれると不幸になるって定説があるくらいなのよ?」
 強引に俺を押しのけて(わざとだろうが)、ハルを牽制しながら彼女は高屋さんの隣に陣取った。
「それは否定できませんね。現に津崎殿下はずっと不幸ですから」
 ハルがまたしれっと誰かの悪口を挟み込み、聖女の稚気に付き合おうとする。俺もそうしようかと思った。
「萩原さんも近日中に不幸になるよ、きっと」
 インタビューを受けたのだから。
「げ。そうだった。死ぬ前にやりたいことやっとかなくちゃ」
 しくじりの表情を浮かべてニコリともしない萩原さん。ピエロに徹しているのだ。
「あれ? 萩原さん、この道だったの?」
 俺はふと疑問に思った。そして今が何時何分かということに気付き、発言を追加した。
「てか、こんな時間に登校してちゃ駄目じゃん。これ遅刻ギリギリのペースだからな」
「それはあんたらだって同じでしょ」
「俺たちはいつも遅刻スレスレを狙ってるからいいんだよ」
 これは俺たちなりのチキンレースなのだと俺は言い張った。自分でもバカ丸出しだと思う発言だ。ハルにはバカ丸出しねと言われた。
「あら白石君。さっきまでイメージの悪影響を論じていたくせに、私に対しても「遅刻しない女」のレッテルを貼るつもりなのかしら。桜井さんはよくて私はダメなの?」
 心外ねえと言わんばかりの顔を見せてくるのだった。
「ハルは元々の人間性がダメダメだからいいんだよ。イメージとかじゃなく人間が腐ってんだから。言っても聞かない腐れバカ」
「それなら大丈夫! 私も元々ダメ人間だから! 勉強嫌い! 授業中寝る! 宿題はサボる! なのにご飯はたくさん食べる!」
 萩原さんは誇るように並べ立てた。
「なるほど。完全にダメ人間だ……」
「私をできる女扱いしてきたら、完璧に論破しちゃうんだからね!」
 正義を誇るように主張してきた萩原さんだった。
「二人が並ぶと圧巻ね。貫録が段違いだわ」
 ハルが遠目から感心するように何か言った。二人、だと?
「では萩原さんも毎日遅刻チキンレースに出走してらっしゃるのですか?」
 ハルが異常な問いかけをした。普通に遅刻スレスレなのかと問え。
「え? いや、まあ。いいじゃないの」
 意表を突かれた目の動きをした後、彼女は下手くそなごまかし笑いを浮かべて取り繕った。その後も表情だけで「訊くな」と訴えかけてきた。
 ここで高屋さんが申し訳なさそうに割り込んできた。
「きっと瞳ちゃんは、私のこと心配してコース変えたんだよ。登校時間も。そうだよね?」
 言われた聖女は頭をポリポリと掻く仕草をした。
「ああ、そういうことか。お優しい。人間が腐っている私には無理だわ」
 ハルがわざとらしい口調で囃し立てる。何故か俺の方をじいっと見ながら。
 すると萩原さんは突然むぎゅっと高屋さんに抱きつき「美樹ちゃーん」と叫んだ。
「だって、心配だったんだもん! それで朝一緒に登校しようと思ったらハイエナが群がっててさあ!」
 高屋さんは痛い痛いと言いながらも、やはりまんざらではない顔を浮かべているのだ。萩原さんの心遣いが嬉しいのだろう。意外と萩原さんがいるからこうしてちゃんと学校に通っているのかもしれない。
 ハルは俺の袖を引っ張って呼び寄せた後、わざわざ耳元でこんなことを言ってきた。
「ハイエナって実はライオンよりも狩りがうまいんですって。テレビでやってました」
「お前嬉しそうな顔で何言ってんだ?」
 抱擁を終えた萩原さんは思い出したようにこちらに話を振ってきた。
「そうだ、お二人さん。先ほどのあなたがたの話、後ろの方で聞いてました。私に聴覚神経が存在する限り、私の意志に関わらず人の声は耳に入ってきてしまうものだからね! 全然私のせいじゃないからね! 鼓膜が勝手にやったことだから!」
 真面目な顔で出歯亀の言い訳をしてくる聖女さん。
「誤解しないでほしいのは、学校側を責めるよりもまず美樹ちゃんを過度にいじり倒していたクラスメイトこそ反省すべきだということ! 私が言いたいのはそれ!」
「瞳ちゃん……」
 言わなくていいよ、という目を高屋さんはしていた。とても感情が分かりやすい表情。
「美樹ちゃんの厚意に甘えてあの人達、ちょっとSになってたのよ。もうドSもドSよ!見てて目に余るくらいのいじり方だったわ。私たちもそうだけどさ、若い人って楽しいことを見つけるとどんどんそれ以上を求めて、脇目も振らずに一直線になっちゃうでしょ。あのままエスカレートしていたら本当に危険だと思った。あれはいじられてた美樹ちゃんが何とかその場が楽しくなるように振る舞ってあげてただけなのにね」
 確かに子供はそういうところがあると俺は思った。楽しいこと以外何も見えなくなっちゃって、周りに迷惑がかかっていることなんて気にも留めない。
 高屋さんはきっと頑張り屋さんなのだと思う。
 耐久度がなまじ強いものだから、どこかでいじりといじられのバランスが合わなくなってしまったのだ、きっと。
 萩原さんの話は続いていた。
「さっき桜井さんは美樹ちゃんが元々付き合いのあった人達から恐がられてるって言ってたけど、ある意味それは本当かもしれないの。今度は自分が吊し上げにされると思ってビビっちゃってんのよ。なのにいまだに誰も一言も謝罪しにこないの。クラスの大半は美樹ちゃんに対して似たような扱い方してたはずなのにさ。先生もそうなら生徒も事なかれなのよ。ムカつくわあ、あの態度」
 目を細めながら拳をバキバキならす「聖女」などかつてこの世界にあっただろうか。
 その横で申し訳なさそうに顔を伏せる高屋さんがいた。あなたが申し訳なさそうにする必要はないとハル先生がさっき仰っていたじゃないか。
「これ、言うかどうか迷ってたんだけど」
 俺は頭を掻きながら宙を仰いだ。ハルが「何よ」と目で訝(いぶか)んでくる。
「実はあの事件で高屋さんをいじめてた子、木田涼子だっけ?」
「リョウちゃん……」
 高屋さんが憎しみではなく、親しみを込めてその愛称を呼んだ。間違いなくこれは親しみのはずだ。木田涼子は現在、あの事件でただ一人やり玉に挙げられ不登校になってしまっている生徒だ。彼女こそ、高屋さんのことを攻撃的にいじり倒していた最たる人物だったのだ。
「その子がさあ、うちの姉ちゃんが運営してるフリースクールに通ってるらしいんだよね」
 三人は一様に驚きを見せた。だがハルだけはおそらく二人とは別のポイントで驚いているのだろう。
「あなた、お姉さんがいたの!?」
 ハルは目をひん剥いて絶叫した。俺は俺ですばやく嫌そうな顔をした。これだから黙ってたのに、とでも言いたげな顔を見せつけてやった。
「お姉さんフリースクールやってるなんて! へえ!」
 ハルは笑みをこぼしながら再度絶叫した。俺はますます嫌そうな顔になった。どうせコイツは今後俺を料理する方法が一つ増えたことで喜んでいるのだろう。最悪のいじり役に最悪の情報を漏らしてしまった。
 姉が言うには、フリースクールとは様々な理由で学校に通えなくなった生徒児童の為の非難場所のような機関なのらしい。学校という社会との唯一のつながりを絶ってしまった子供達に新たな居場所として第二のそういう場を提供するのが日本のフリースクールの主な使命なんだとか。
 俺はそれを三人に説明した。中でもハルだけが大げさに頷きながら話を聞いていた。
「そこに、リョウちゃんが……?」
 驚きというより困惑気味に確認する高屋さんだった。
「うん。間違いないよ。名前も一緒だし、入った時期も一致する。何よりこの辺に他にフリースクール無いしね」
 だが俺は言いながらちょっと違和感を覚えた。
 いじめられた側は今も登校していて、いじめた側が逃げ場所みたいなところに追い込まれている。
「罰という点では正しい立ち位置なのかもしれませんが、なんか納得がいかないですね」
 ハルも同意見のようだ。
 その原因はおそらく、いじめられた側の高屋さんがいじめた側の木田涼子のことを気にしているということ。それもトラウマとして敵を恐れているのではなく、どう見ても心配している感じで。ちゃんとあなたを害した罰を受けているというのに。
 つまり、これもまた類似点だ。
 吉田さんもそうだったのだ。
 今のこの状況に納得がいっていないのだ。
 彼女たちの傷心の元凶はそれぞれの加害者よりもそこにあるような気がする。いわば「周りの状況」という敵。現実という敵。
 だが聖女は気丈に言い放った。
「いい、美樹ちゃん。それで美樹ちゃんが思い悩むことなんか一切ないんだからね。木田さんの自業自得よ」
 その顔が怒っているように見えたのは俺だけではないだろう。
 しかもそれは高屋さんの表情までもそうだった。自分の為に怒っている萩原さんを、同じような表情で――。
「現状に不満がありそうな様子ね」
 ハルが俺の耳元でささやいてきた。コイツにとっても十分な収穫だったのだろう。
 そして茜灯高校は再び混乱の渦に巻き込まれることになる。
 いじめ事件、虐待事件、立て続けに起きた二つの騒乱。これらが沈静化する前にまたもや爆弾は投下されたのだ。前二つの爆弾に匹敵する破壊力を持った爆弾が。
 その結果、山尾先生は謹慎処分となった。

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