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医療的ケア児の親になって1年[1年経験して思うこと編]

息子が生まれてからの半年〜1年の間に起きた出来事の振り返りをまとめていたらとんでもないボリュームになってしまったのでnoteを
・[1年経験して思うこと編]←このnoteはこのパート
[7〜9ヶ月出来事編]
[10〜12ヶ月出来事編]
3つに分けることにしました。

気になるものを目次で見つけてつまむよし、写真だけ眺めるもよし、医ケア児との生活生後6ヶ月〜1年のN=1サンプルとして見てもらえると。

2つの出来事編は医ケア児家族や支援者さんへのN=1事例の観点書いているので個人の想いの振り返りや心境はこのnoteだけで完結しています。


息子との1歳記念フォト


一人息子の1歳をこの夏に迎えて、同時に自分自身も医療的ケア児の親として1年が経ちました。noteも本当は2ヶ月毎に更新して数少ないN=1サンプルの足しになればと思っていましたが6ヶ月で止まってしまいました。

と、いうのも8ヶ月の記事を準備しようとした頃に突然の交通事故で父を亡くしました。ようやく息子との安定が見えてきていた生活も0ベースでの再構築が必要になり気づけばそこから数ヶ月が経っていました。ただ1年の節目を逃すまいと思い立ちこれを書いています。


[これまで]を振り返って当時のことで思うこと

このことばに救われた

「最初から受け入れられる親はいないし、時間をかけて受け入れられない親もいない」

出産直後のタイミングでカミングアウトしたら
近い境遇で連絡をくれた知人から教えてもらった言葉


このことばに出会っていなかったら、違う世界線で今も生きているかもしれないし、この言葉をおまじないのように心に秘めて(信じて)たからなんとかやってこれた。

そしてこの通りだと心から思える。


障がい受容の話は一筋縄ではいかない。自分自身大枠では受容できていると思っているが、節々の場面で胸がうっっ!!となる場面は1年経ったいまでもある。

けど、この言葉が必要な人が目の前に現れたらバトンのように次の人に繋いでいきたい。


「障害の受容とはあきらめでも居直りでもなく、障害に対する価値観の転換であり、障害をもつことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて(中略)、積極的な生活態度に転ずること」

1980年にリハビリテーション医師、上田敏氏が定義づけたものより


[今]思うこと

外出にも慣れてきた。
車の乗り降り時は呼吸器チューブのさばき方が肝だった

なんとかなるかもの輪郭

出産直後や退院前に抱いていた「不安な気持ち」よりも今は『楽しく暮らせている気持ち』が上回ることのほうが増えた。
なんとかなるかも!?と感じる輪郭は見いだせるようになった。

一方で不安な気持ちとは別だが不便はたくさん。

人工呼吸器が24時間必要だし、EDチューブや口に入ってる持続吸引のチューブが抜けないように起きている間は基本誰か側にいないといけない。
行政、各支援者、業者、等々との日々のやりとり・・・あfgskgじゃがぎafgsnadgr(以下略)

あげだしたらきりがない。
ほんと気力と体力を片っ端から無尽蔵に奪われていく。


とはいえ、息子が生まれて2ヶ月のタイミングで思った
「障害は大変かもしれないがそれが=不幸ではない。幸せでありつづける、目指すことを諦めない。」

の気持ちは変わらずに思えるし、努力と工夫と縁と運+支えてくれる人の力があれば楽しい生活が送れる。
ささやかながら幸せだって見つけられるようになった。


幸せや楽しさはかくれんぼが大好き

楽しさも幸せも見つけにいかないと隠れている。
大きい小さいや多い少ないはあるとは思うが。
必ずある。

けど、探しにいかないと彼らは恥ずかしがり屋で見つけられないことがあるのでそこは処世術というか家族にチャレンジがありながら生きていく上で大事な心構えなのかもしれないとも思っている。


それに素敵な文章を書く岸田奈美さんの本にもこんなことが書いてあった。

・「人生は、ひとりで抱え込めば悲劇だが、人に語って笑わせれば喜劇だ」
・心のどこかでわたしは、「たしかにしんどいけど、これはこれで、おもしろいよな」って思っているのだ。数年後には笑い話になると信じているのだ。そういう明るい自分を、わたしは見失いたくない。でも、このまま1人で抱えとったら、もうあかんわ。
・だれかに笑ってもらいたくて書いた日記は、だれよりわたしが笑うための大切な作業になった。

岸田奈美. もうあかんわ日記 (p.8). Kindle 版


誰かに話すこと、書いて表に出すことで救われたり、消化・昇華できたり。つらい日々を1人ずっと胸の奥にしまって過ごしてたらまじでつらい。

「助けて!話聞いて!」と自分から言う事は大事。僕自身家族や友人に助けられている。ほんとに。吐露させてもらえることで救われる、次が見つかったりもする。
仮に近くにそんな人がいなかったとしても岸田さんのようにネットという大海にことばを投げかけることだってできる。


岸田さんのように毎日note投稿ができる文才はないが、最近は毎日18時に息子との日常の動画を1本あげるというのを自分に課すことを始めた。鬱憤の溜まった日々でどこか「楽しい場面を切り出そう」と思ってはじめた。

やっていくうちになにかハプニング・イベントが起きても楽しむというか楽しさを見出す癖が付いたのはよかったことかもしれない。
楽しいを切り出そうが、楽しく生きようにに転じて、その逆もしかりでループしてる気がする。
そして動画のを編集している間は過集中で他のことを忘れられる。


1歳過ぎても首座らないし、月齢ごとの成長曲線についていけてないので隣の芝は青いし、見比べたらしんどくなるときがある。

けど、
息子自身はゆっくりだがちょっとづつ出来ることが増えたり、

成長をしているので親心として自然に出てくる
「すごいね!がんばったね!うれしいね!」
の気持ちを大事にしていきたい


隣の芝と比べ始めるとしんどいので、
比べるなら息子自身の過去と比べる。


徐々にではなく、突然に

さらに、気づいたことは子どもの成長は徐々に出来ることが増えていくものだと思っていたがそうではなかった。

昨日まで出来なかったことが、突然出来るようになっている。
昨日まで持てなかったために興味を示さなかったおもちゃを、今日突然持ちたげて遊んでたりする。


それはきっと周りの大人達には見えていないだけで、息子の中では日々試行錯誤や挑戦を繰り返してて、レベルアップゲージがたまりきった瞬間にレベルアップしてるのだ。
だから徐々にではなく、突然に。

そんなときは親心フィルターがかかっているのかどこか息子の表情は誇らしいいい顔をしてたりする。がんばっているそんな息子をみると愛おしさが溢れてくる。


[これから]のことで思うこと

懸念とはともに生きていく

なんとか1歳までやってこれたけど、この先どうなるのか。時折、治験情報は目にするものの根本治療もまだない。

この先いつ何時呼吸状態が悪くなったり、肝臓を始め身体のパーツが駄目になる可能性割とある。
さらに肢体不自由の息子は体動かして得られたり五感を通じて偉える刺激が健常の子と比べたら劣る。ゆえに持病としては直接的な影響は無いものの間接的には知能の遅れや発達の遅れの(程度はわからないが)懸念は拭えない


選べる選択肢を持ち続けるために

元々自分がバリバリ働く・活躍するキャリアを前提に家のローンや支出計画を立てていたが、これからは物理的に今まで通りの働き方はできなくなる可能性が高い

物理的に稼働に制約が生まれるので同じ前提条件の中では同じ収入の水準は無理だ。非常に厳しい。

自分が仕事にコミットして、妻に家庭や息子の中心を担うこの昭和の日本の高度成長を支えた伝統的な選択肢も考慮に入れた。
けど、妻自身の体調や彼女のwill的にもそれは選択肢としてはない。

能力を磨くことで時間の制約を受けずに働けるスタイルを模索中だ。
ほんとどうしよう。

息子や家族が常に最良な選択肢を選べる環境を持っていたい持たせたい
という個人的な欲望のためにはただ生きる分だけの稼ぎでは足りない。
ちゃんと稼ぎたい。


ただし、どうにか働いて稼げるようなった先にもまだ課題は続く。
障害福祉関連の支援や補助金はいくつかあるが世帯年収600~700万円ラインでだいたい所得制限が引っかかり弾かれる。働き方や稼ぎ方をコントロールする必要があるのだ。(詳しくはこちら

所得制限が気にならないくらい稼げばいいじゃないかと健康にかつ自由に仕事にコミット出来たかつての自分含めストロングスタイルな意見が聞こえてきそうだが、
『全然割に合わない』
この辺は別途noteに切り出してもいいくらい思うことがある

その上で息子にとって、家族にとってベストな選択肢を常に用意できる自分でありたい


すごい人やあこがれの対象が変わった

生後2日目でNICUに入っていたときの息子。
ここから189日目の退院までずっと入院を

子供の頃はイチロー選手や松井選手のようなスーパースターがすごいと思っていて、社会時になるころは起業家や事業を作れる人、事業で成果出して活躍できる人がすごいと思ってた。


けど、それらもそうだけど子供産んで育てて働いて"つつがなく"暮らしている。それだけでも十分すごいことなんだと思うようになった。
これはめちゃめちゃすごいこと。
スーパースターだし、スーパーヒーロー。


時短で働きながら、子育てして、家事してるママさんやフルタイムでバリバリ働きながらも自己実現もしてるパパママのすごさは畏敬の念に変わった。


すごいという尊敬の念とともに羨ましいと思ってしまう感情も自分の中に見え隠れしたり。そこには健常児だったらこんなに苦労してないのかもなんという障がい受容が完全には出来ていない自分がいるかもしれない。


けど、息子が生き抜いて、大きくなったときにそれを言い訳に
『家族のやりたいことや自分自身のやりたいことを犠牲にして、、』
みたいな苦労丸出しの親にもなりたくないとも思う。
負けるものか。
とも思う


最後に

病気には意味があるとか、子供が親を選んで生まれてきてくれたとか色んな考え方があるとは思う。けど大変なものは大変だし、しんどいものはしんどい。

けれども、
・仮死状態で生まれて今もチャレンジを持ちながら生きる息子との出会い
・不慮の事故での父との別れ

を同じ一年で経験して思うこと。


”死”というものに直面して、はじめて人は”生”を意識する。
何気ないことにも『幸せを感じるし、心から感謝』するようになる。
「当たり前がそこにあるのは当たり前ではない。」

死別は、大切な何かを失うこと。
日常をぶっ壊されること。つらく、とてもとても悲しい。

でも、
死があるから生がはじまる。
命が永遠でない
ことも、奇跡と努力と縁と運の上で成り立っていることも。


ここには書けない、動画にもできない、ほんとうのしんどい話はたくさんある。落ち込むし、泣きたくなるし、恨みつらみを言いたくなるときもある。


けど、嘆いているだけだと社会は変わらないし、目の前にいる愛する家族も守れない。
なので、前を向きつつ、ガス抜きしつつ、希望を捨てず。
またnoteや動画を更新して息子の成長や自分たち家族の成長、安息を届けら得るように日々頑張らなきゃって気持ちでもいます。


「障害は大変かもしれないがそれが=不幸ではない。
幸せでありつづけることを目指すことを諦めない。」


ここまでの長文を読んで頂きありがとうございました。

2023年9月7日
新井正輝




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