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医療的ケア児の親になって1年[10〜12ヶ月出来事まとめ編]

息子が生まれてからの半年〜1年の間に起きた出来事の振り返りをまとめていたらとんでもないボリュームになってしまったのでnoteを
[1年経験して思うこと編]
[7〜9ヶ月出来事編]
・[10〜12ヶ月出来事編]←このnoteはこのパート
3つに分けることにしました。

気になるものを目次で見つけてつまむよし、写真だけ眺めるもよし、医ケア児との生活生後6ヶ月〜1年のN=1サンプルとして見てもらえると。


生後10ヶ月

(10)息子を連れて宿泊温泉旅行

  • 育休が終わる前にそれまでの総決算的なのと思い出作りを兼ねて外泊をしてみた。また喪中ではあったが忌中は開けていたのと少し休息を取らないと心が持たないと思いこのタイミングで調整をした

  • 事前に訪看や医師と相談したり、現地でもしもがあっても対応できるように紹介状も準備した。行けて事自体はよかったが当然医ケア児との外泊は簡単ではなかった。笑


(10)日中預かりの送迎開始による利用開始

  • 前述の日中レスパイト施設の送迎条件が緩和されたことで自分たちで送迎しなくても自宅から送迎つきで利用ができるようになった。

  • お陰で朝息子を見送って、夕方帰ってくるまで大人は仕事したり休めたりする時間を確保できるようになった


生後11ヶ月

(11)ベビーカー✕タクシー移動に初挑戦

  • 数ヶ月前に予約した「頭の形外来」の受診日に運悪く台風が重なってしまった。普段ならリスケする天気だったが次また数ヶ月先となるとどうしても行かざるを得なかった

  • 自家用車もなく、実家の車も調整つかず、いい機会なのでタクシー移動に挑戦してみることにした。

  • 結論だけいうと、『JAPANタクシー最強』ということがわかった。(ベビーカー程度であれ福祉タクシー使わなくてもなんとかなった)


(11)育休から職場復帰

  • 半年の育休を経て、復職をした。浦島太郎状態で仕事に慣れるまでに時間がかかることは言うまでもないが一日8時間以上の時間を向上的に捻出することや家庭との両立に想像以上に苦心した。


(11)はじめての電車移動&1人で移動

  • それまで徒歩移動や車移動だったが電車で移動することも経験した。

  • 混んでいなければ電車には車椅子スペース等があるので呼吸器等々持ったベビーカーでも利用できなくはないことがわかった

  • ただ、夕方や人手が多い時間帯はスペースが限られているので厳しいのも実感できた


(11)児童発達支援(療育)の利用開始

  • 保活と並行しつつ、息子の発育や刺激獲得のために療育にもいくことにした

  • 家ではできない経験や刺激をたっぷり受けれることで楽しそうに過ごす息子に出会うこともできた。

  • 退院した直後から積極的に外出の練習を積んできてので人工呼吸器や出る前の準備が大変だけど外に出ることのハードルを下げておいたので療育へ通うハードルも低かった

  • 早々に療育にもいけたのは子育てや横のつながり、各専門職さんにつながる観点でとてもよくひとつのターニングポイントになったかもしれない


生後12ヶ月

(12)育休の再取得

  • 妻にもともと持病があり自分の復職のタイミングで再度体調が悪くなってしまった。家事も育児も医ケアも行政含めた各関係者とのやりとりと仕事を全部ひとりでやることに

  • しばらくは耐えていた。が、長期育休で現場感を取り戻すのに苦労する中で朝4時に起きてもしもに備えてワンオペの準備はしていたのでやりくりするもののこれは長続きしないと悟った

  • 育休の制度上満1歳のタイミングで取得していないとその先延長ができない上にその誕生日が迫っていたことにも気づいた。それに気づいてからすぐに人事や上司に相談して半ば強引にというかたくさんの迷惑を掛けるかたちで育休の再取得をさせてもらうことにした。


(12)沐浴後に呼吸状態悪化→訪問看護の緊急時訪問

  • 退院してから風邪を引いたり大きく体調崩したことがなかった息子ですが風邪をこじらせて呼吸状態が急に悪くなった。沐浴してたら顔色が悪くなり、はじめてアンビュー使ったり、高濃度の酸素供給したりと応急対応を初めてした。

  • 普段日曜日に訪問はないが訪看さんへ緊急訪問をお願いして来て処置をしてもらいその後呼吸状態は戻った。これは本当にヤバいやつだと焦ったから本当にことなきを得てよかった。


(12)2週間以上の長期入院

  • 前述の呼吸状態が悪くなった次の日がたまたま月に一回のかかりつけ医への定期受診だった。受診中に再度状態が悪くなりそのまま入院し、さらにそれが長引いて長期入院になった。

  • ただの風邪だったがこんなに治るのに苦労するのかと、常に死というか急変する身体と一緒に生活していることを再認識させられた


(12)入院中にEDチューブ抜去

  • 普段は鼻に入っているチューブはテープで固定されているがそれを突破してとうとう自分でチューブを抜いてしまうという事件が発生した

  • 抜けること自体は生命に直接的に影響はないし、筋肉の弱い息子に力が付いたり、成長を実感できて嬉しい

  • しかし、NGチューブと違い看護師や医ケアで対応ができず病院で外科の先生が機械で見ながら挿入しないといけないので抜けると厄介

  • 幸い入院中だったのですぐに再挿入してもらえたが以後要注意ということで入院ベッドの上で手は拘束することに。しかし、その2日後に今度は手ではなく、足をつかい、サーカスにでも入るのか?という足技で2度目の抜去があった


(12)1歳の誕生日を迎える

  • 長期入院で誕生日を家なのか、病院で過ごすのかハラハラしたがなんと誕生日当日になんとか退院することができ家でささやかながら祝うことができた


(12)同じ病気の先天性ミオパチーの方が芥川賞を受賞

  • 息子と同じ疾患を持つ方が偶然とは面白いもので息子の1歳の誕生日に芥川賞を受賞したニュースが入ってきた。身体的にチャレンジのある生活を描いた作品で内容自体はスラスラ読めたが、なにか運命的なものを感じた

  • "生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていく。死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる、生き抜いた時間の証として破壊されていく。(本文より)"


(12)自宅でEDチューブ初抜去→緊急外来の利用

  • 入院中の2度の抜去で成功体験を掴んでしまったのか自宅で過ごしいて5分くらい側を離れたときにまた鼻のチューブを抜いてしまった。ベビーカメラでも後に見返したがしっかりと自分の目で確認しながら自分の両手で器用に抜いていた。

  • できることが増えた成長の喜びは一定あるものの、見守る親としては今後の心配の種がまた一つ増えてしまった笑


(12)医ケア児家族や同じ病気の家族とつながりはじめる

  • SNSを通じて出会いお話をさせてもらったり、先天性ミオパチーの分科会としてミオチュブラーミオパチーの会を作ったりと。家族内や友人だけだったコミュニケーションから徐々にその外の出会いも増えていった

  • ミオチュブラーミオパチーの家族会についてはこちら


(12)座位保持椅子のシュクレとの出会い

  • キッズフェスタでその存在を知りつつ、値段がネックで試すのを躊躇していた座位保持椅子のシュクレにサブスクがあることを教えてもらった。早速ポチって試してみたけど大正解。遊びの幅が広がったり、抱っこしながらのお座りは15分が限界だったがこれなら最大1時間近く座れるように

  • 座れることで身体の発育にも◎なのでほんとよかったなと


(12)保育園内定

  • 面談、面接、お試し保育を経てなんとか内定をもらうことができた。秋からの登園に向けて現在調整中。通うことがゴールではなく、通い続けてそこからの生活が目的なのでやっとスタートラインではあることに違いはないがひとまずよかった


(12)勉強会に呼んでもらい医ケアについて話す

  • 友人から機会をもらい医ケアについて医療関係の会社の人たちに勉強会をさせてもらった。自分自身の整理にもなったし、知ってもらうことそして実態を理解してもらうことは大事だと思うのでありがたい機会だと思う。登壇というの禍々しいが、今後もこういう機会があれば積極的に協力、画策していきたい


(12)訪問理容を利用してはじめて髪を切った

  • 生まれてからずっと伸ばしっぱなしだった髪を訪問理容を紹介してもらい切ることに。自分では切れないし、美容室にはいけないし困っていたから助かりました。

  • ヘルパー資格を持つ方が髪を切ってくれるので安心してお願いができました


(12)医ケア児やその家族のためにできることを模索中

  • 色々なご縁を紡いであれこれを試行錯誤したり、侃々諤々の議論したり、作ったりする時間を持てるようになりました。このあたりは共有できるようになったタイミングで別途noteを書きます

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