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効率的でなくていい。無駄がいい。自分の気持ちに従うことを大切にしたい。

今は効率化が重要視されているから、無駄がいいってタイトルに、そんなわけあるか!とツッコミたくなった人もいるだろう。

でも、自分の気持ちに従うことは気になる。皆、心の奥底ではできるならそうしたいよと思っているだろう。

無駄なことだと避けてしまうと、自分の気持ちに従えない場合がある。
効率良くばかりを目指して本当に幸せになれるんだろうか。

無駄なことだけど、自分の気持ちに従うことの方が、私が幸せに生きるためには大事だと思ったので無駄をよしとするよという話をする。


自分と向き合う

昨年、私は会社勤めを辞めてから、というか、辞めようという決断に至る少し前から、自分自身と向き合ってきた。

一般的にこうだからとか、周りがこうして欲しいと思っているからじゃなく、自分がどうしたいか?どうしたら自分は幸せだと感じられるのか?と考えてきた。

なぜ自分と向き合うことに取り組んできたかというと、子どもが生まれて、このままの自分では、親子共倒れになってしまうという危機感を持ったからだ。

大好きな息子が、彼らしくのびのびと生きていけたらいいなと思う。
自分は真逆の環境で育ってしんどかったから。

そんな息子を見守るためには、私が元気で笑顔で人生楽しんでないとなと思ったのだ。

それから、自分なりにこうした方がいいんじゃないかと思うことを試してきた。


会社勤めを辞めたのも、その方が心にゆとりができて、息子と過ごす時に息子の気持ちを受け止められると思ったから、夫を説得して退職。
自分で仕事を作る道を選んだ。

すぐに稼ぎにつながらなくて、今はアルバイトもしているけど、今後息子の成長を見守るには、自分で仕事を作れた方がいいので、時間がかかってもこのやり方で行く。

また、同居する両親、特に母親とぶつかり、関係に悩んだ。両親と喧嘩して傷つけたくはないけど、私の気持ちは逆撫でられるから辛い。どうやってこの関係を続けるかと試行錯誤して、適度な距離を保ちながらの同居を続けてきた。


いつだって私の幸せは夕飯から

話は突然夕飯のことになるけど、
私が大事に思っていることなので、このまま読んで欲しい。

会社勤めをしている時は仕事の日はやむ得ず母親に作ってもらっていた夕飯。野菜嫌いの母親が作る夕飯は、揚げ物が多く、野菜がほとんど無いおかずだったので嫌だった。
そこで、退職後は私が一手に引き受けて作ってきた。

自分の食べたい野菜多めのおかずを作って食べれたのは良かったし、料理は仕事とは違う部分の脳を使うので、気分転換になって楽しかった。

1年これを続けてきたところ、事情が変わってきてしまった。

まず、一緒に美味しいものを作って食べたい夫が、仕事終わりの深夜帰宅してから夕飯を食べると太るし、身体に負担がかかるから、仕事の日の夕飯は要らないと言い出した。

私の中で夫のために美味しい夕飯を作るというのがモチベーションになっていたので、ここでガクッとなった。

次に、息子が離乳食から通常食に移行していく過程で、かなりの偏食であることがわかる。
私が好きな野菜をなかなか食べず、私が嫌がっていた揚げ物が大好きときた。

作るメニューに悩むようになった。
私が食べたいもの、息子が食べたいもの、
父親が食べたいもの、母親が食べたいもの、
みんな違うからだ。

極めつけは、毎日の夕飯の食卓を囲むのは、夫とではなく、居心地の悪い両親とであるということ。

両親の生活リズムに合わせて夕飯の時間が決まるから、そこに合わせて夕飯の支度も間に合わせなきゃならない。
やりたいこと(仕事)もそこそこに夕飯支度に勤しむ私。

そして、その夕飯の時はどうかというと、

父親は自分の話したいことだけ話しているし、
おかずが少ないとこれだけか?と言う。
美味しいのかどうかの反応もほとんどない。

母親は私の作ったおかずの中で、これは嫌いだから要らないと言って、自分の食べたいものを別で用意して食べる。私と息子のやり取りに口出ししてきたりで、全くもって楽しい食卓ではなくなっていた。

私は自分の時間を自分の思うように使って、笑顔で過ごせる人生にしたかったのでは?

これじゃただの飯炊きばばあではないか。

私はご飯が作りたかったんじゃなく、楽しい食卓が欲しかったんだと気づいた。


そこで思い切って方針を変えることにした。

夫が休みの日はみんなで食卓を囲める。
私にとって楽しい時間になる。
だからその日は夕飯をみんなの分を作る。

でもそれ以外の夫が夕飯時に不在の時は、
私は息子と自分の分だけの夕飯支度をして、
両親の分は作らないことにした。
もちろん一緒に食卓も囲まない。
別々に食事をとる。

両親は、といっても作るのは母親だが、自分たちの食べたいものを用意して自分たちの好きな時間に食べたらいい。

私は、夫がアレを食べたいだろうからと気にすることなく、息子が食べたいおかずだけを作る。
たまに私が食べたいおかずもちょっと作って、息子にもチャレンジとしてよそってあげる。

忙しい時は、パパッと簡単に用意して済ます。
何がなんでも夕飯を作っておかずも複数用意しなきゃというプレッシャーもなくなり、息子とリラックスしながら夕飯を食べる。

実に良い。

親の分の炊事を放棄して、なんと酷い娘だと言われても構わない。
私は私がしんどくなることはしないと決めた。

また、夕飯を別々に用意するから、
電気もガスも使用料が2倍になるかもしれない。
無駄な行為と言われても仕方ないと思う。

それでもやる。
なぜなら私の心がそう望んでいるから。
私が幸せであることが息子の幸せにつながる。

もっと無駄なことをする

これは序章に過ぎない。

実はもっと無駄なことをするつもりだから。

実は両親との同居を解消して、別にアパートを借りて夫と息子と3人で暮らす計画を立てた。

私も40代半ばなので、両親は70前後。
今は元気ではあるけど、高齢者と言われる部類になる。
そんな親を置いて家を出ることにずっと抵抗があった。なんと酷い娘だと言われることが怖かった。
でも、自分が幸せに暮らすには、同居しながらの適度な距離を保つという方法には限界を感じている。

先日のコロナ罹患でみんなで自宅療養していて痛感した。

いずれ介護が必要になった時には再度同居しなきゃならなくなるかもしれない。

だったらあと数年我慢して同居すればいいじゃないか。
アパートを借りて別で暮らすのにもコストがかかる。無駄なお金と言われればそれまでかもしれない。

でもその無駄のために頑張りたいと思う。
なぜならそれが私の望む生き方だからだ。


試行錯誤と変化と継続


この答えにたどり着くのに1年かかった。
かかったけど、自分なりに考えて試してきたからこそわかった答えだと思う。

そして、一度決めたことも、違うなと思えば変えていい。自分も周りもどんどん変化していくから。

そして、常に考え続ける。試し続ける。答えはあくまで通過点。最終目的は自分が幸せで、息子や夫が幸せであることだから。



一見無駄に思える対話も、自分の気持ちに従う大事な時間です。

ここまで読んでくれたあなたからの連絡お待ちしています。

私と一緒におしゃべりして、非効率で楽しい時間を過ごしましょう。

自分の中に眠る想いに気づくことができるかもしれません。

私もそんなお手伝いができたら嬉しいです。

まずは体験セッションから。


【まさみ 人生を「面白がる」人/ライフコーチ】

現在:地方で、夫(再婚)1人、子1人、実親と同居。
過去:中学生の頃に2年間海外(シンガポール)住み。
進学のタイミングで上京、DV、結婚、離婚を経験。
転職多数。地元へUターン。

育休中にコーチングを知り、復職1年半後に退職。
ライフコーチとして活動開始。



”踊る”ライフコーチを応援してもらえたら嬉しいです。 私にとってのフラは、趣味というより人生の一部。 踊ることで、人生が豊かになり、また自分の人生経験が踊るフラを深くしていく… いただいたサポートは、フラを楽しむために使わせていただきます。