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何必館 「北大路魯山人展 和の美を問う」を見終えての感想

北大路魯山人の陶芸作品の良さを理解するには、桃山時代までの陶磁器の良さを自分なりに理解しておく必要がある。

京都の美術館、何必館での展示を見終わっての感想である。去年のMiho Museum での「The 備前」展で、備前焼の美しさを知った。今年初めに東京の実家に帰った際に立ち寄った出光美術館「やきもの入門」展で、猿投窯から瀬戸焼への発展の上に桃山時代に開花した、黄瀬戸、志野焼、織部焼の美しさと斬新さを理解した。

その目で魯山人の器を見ると、この人が、桃山時代までの名もない陶芸家たちの作った焼き物の美しさの本質を取り出し、その本質が最も輝くようなデザインを考えて、作品を作ったのだとわかる。

そのためか、まだ良さを理解できていない信楽焼の作品は、全く興味が湧かなかった。

以下、個人的に気に入った作品。

北大路魯山人「黄瀬戸あやめ鉢」(1938年)

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黄瀬戸の魅力は、薄い黄色の地肌に緑のアクセント。

日本のやきものの歴史は、褐色に焼き上がる陶器の上に、窯の中で灰が積もって高温で溶けて緑色の模様が偶然できたところから始まる。そこから、長い年月をかけて、今の愛知県の瀬戸地域の土が白っぽく焼き上がることを発見し、緑色とのコントラストを追求していった。黄瀬戸は、この歴史の延長線上にある。(というのが、出光美術館「やきもの入門」展を観たあとの、私の理解。)

魯山人は、その緑色を、葉に見立てて、枝や葉脈を掘った上に被せる。輪郭線と色の塗る位置が完全には一致しない、でも説得力のある、セザンヌのような、自然描写を陶器で実現している。

北大路魯山人「黄瀬戸茶碗」(1950年)

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こちらの作品では、緑がもはや抽象画のような役割を果たしている。しかもミニマリズム。この茶碗で、お茶のお点前の末に、抹茶を差し出されたら、途轍もない緊張感を持って飲むことになるだろう。

北大路魯山人「阿ふぎ鉢」(1939年)

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緑と、白地に黒の絵のコントラストは、織部焼の特徴。白地に黒の絵は、絵志野と呼ばれる焼き物の手法から、おそらくは来ていて、そこへ、日本のやきもののメインテーマである緑を豪快にぶっかける。釉薬が溜まる部分は当然濃い緑色になり、その重力や器の形によって自然に出来上がった色のムラを愛でるのが、織部焼の真骨頂。(というのが、出光美術館「やきもの入門」展を観たあとの、私の理解。)

魯山人は、その織部焼の真骨頂を、この作品では忠実に再現している。

北大路魯山人「織部野草長鉢」(1949年)

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こちらの作品では、織部焼の「緑」と「白地に黒の絵」の対比に新しい解釈が加わっている。草むらの向こうに広がる池かもしれないし、苔の大地かもしれない。織部焼の手法を忠実に踏襲しながら、その手法で表現できる自然の風景を探した結果が、これだったのだろうと思う。

北大路魯山人「志野水指」(1957年)

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志野焼については、まだ完全には理解していない。なので、この作品を深く理解することはできないのだが、凄味は伝わってくる。そして、赤茶と青味がかった灰色のコントラストが美しい。

「水指」とは、お茶を点てる時に釜の湯の温度を調節するために注いだり、抹茶を飲み終わったお客さんが返してくれた茶碗で茶筅をゆすいだりするための水を入れておく容器。最もシンプルなお点前の方法である「運び点前」では、一番最初に運び入れ、一番最後に茶室から下げる、という意味で、茶道具の主役。

その主役がこんな形相をしていたら、その茶会の雰囲気を一発で決めてしまうだろう。

北大路魯山人「備前直方皿」(1955年)

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備前焼の特徴の一つである「牡丹餅(ぼたもち)」模様が入ったお皿。備前の土は火に弱いので、低温で10日以上かけて焼く必要がある。だから、頻繁には焼けない。窯に火を入れるのであれば、その機を逃さずなるべく多くの器を窯に詰め込んで焼かないといけない。そこで、平べったい皿の上には、壺などを置いて、窯の中のスペースを節約した。その結果、壺が置いてあった場所だけ、牡丹餅(おはぎのことです)のような赤っぽい色で焼けた。これが面白い、ということで、模様としてわざと他の器を上において焼くようになった。(Miho Museum 「The 備前」展で得た知識。)

魯山人は、この作品で、その牡丹餅模様に一工夫加えている。牡丹餅の中に線が入っている。これは、上に置く器の底に溝を掘ったのだろう。牡丹餅模様は平坦なので野暮ったくなりがちなのだが、そこに線が入ることで、緊張感が生まれ、備前焼特有の荒々しい緊張感と調和する。

北大路魯山人「備前筒花入」(1957年)

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魯山人の備前焼には、引っかき傷がある。これは、桃山時代までの備前焼には観られなかった特徴(Miho Museum 「The 備前」展で見た限りの印象)。しかし、備前焼の荒々しさに、ある種の上質感を与える役割を果たしている。そして、花入として使った場合に、その引っかき傷が、枝のカーブと見事に調和する。

他にも魯山人の備前焼作品は幾つも展示されていて、Miho Museum 「The 備前」展で見た20世紀の備前焼の作品のほとんどよりも、美しかった。備前焼の美しさの本質を見定めた上で、奇をてらったことをせずに、美しさを引き出すように素直に研ぎ澄まして作っているからだと思う。

北大路魯山人「つばき鉢」(1938年)

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最後に、日本の焼き物の歴史とは、直接には関係のない作品。この器、でかい。その大きさを伝えるために、あえてはみ出す構図で撮影したのだが、椿という花の美しさをうまく表現していると思った。

椿は、こんもりと生い茂った葉の隙間に、一つ一つの花が、無秩序な方向に向かって咲く。見ている人に向かっては咲かない。その無秩序さの美が、巨大な鉢の外側にも内側にも描くことで、うまく表現されていると思う。

民藝運動批判の理由

北大路魯山人という人に興味を持ったきっかけは、日本のやきものの話をすると必ず出てくる、民藝運動を、辛辣に批判した人だと知ったから。ほぼ誰もが肯定する民藝運動を、なぜ批判したのかを知りたくて、この展示を見に来たのだが、確かに民藝運動の向かう方向とは逆方向だと思った。

出発点はどちらも同じ。名もない人が、実用性を重視して生み出したデザイン。民藝運動は、それをありのままに受け止めて「美しい」と評価するのだが、魯山人は、そこから、洗練されていない部分を削り取ることで「美しさ」を引き出す。

そりゃー分かり合えないよな、と納得した。

この記事を書くにあたり参考にしたウェブ上の文献

北大路魯山人と柳宗悦-その陸」『雑学三昧のブログ』(2013年1月16日)

北大路魯山人が見た民藝運動は、マリー・アントワネットの農民ごっこかも。」『読書は眠れぬ夜の友、時々ネコ!?』(2018年03月02日)

魯山人 vs 民藝派。」『三昧境(さん・まい・きょう)~自分らしさを鍛える、利かす、そして愉しむ~』(2006年9月29日)



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