美しくない戦後日本の風景 01: 樹木希林

戦後日本の風景は美しくない。家の中も家の外も。

イギリスとスウェーデンに計14年住み、二年ほど前に日本へ帰ってきて、毎日のように思う。

大多数の日本に住んでいる人には、理解できない感覚かもしれない。美しいかそうでないかは、主観の問題だと思うかもしれない。

だが、同じように思っている日本人は結構多い。驚くほど多い。一つ一つ記録していこうと思う。

樹木希林の生前最後のインタビュー。自身最後の出演となった映画『日々是好日』について語る中で、以下の言葉を残している。

「多くのシーンを撮影した一般家屋の中のお茶室、よかったわね。畳に床の間、床の間の花、外から季節の光が射し込んで。戦後、日本の家が醜くなったのは、ああいう『美』を無くしてしまったからでしょうね。多くの人が映画を観てそれを感じてくれたらいいわね」(春岡勇二「樹木希林 芝居を観れば生き方がわかる」『Meets Regional』2018年11月号。太字は引用者による) 

この映画を見たのでわかる。樹木希林の言う『美』とは、以下のような、室内の風景のことだ。

部屋の正面には、床の間。季節に合わせて、お客さんに合わせて、掛軸を架け替える。ここでは「瀧」の文字。夏の暑い日に、少しでも涼しさを感じられるように。籠に生けられた花も季節を伝える。(画像元:『日々是好日に学ぼう!』)

床の間の右手には、違棚。障子が、壁でもあり、隣の部屋への入口でもある。(画像元:『日々是好日に学ぼう!』)

床の間の左手には、雪見障子。晴れた日には、日光が差し込む。これは冬の様子。(画像元:『映画の時間』)

一日の中の時間の変化や季節によって、日光の差し込み方が変わる。こちらは夏の様子。(画像元:『ニコニコニュース』)

雪見障子の向こう側は、縁側。茶室には、本来はこちらから入る。茶の湯は日常とは異なる空間を楽しむものなので、その演出として。(画像元:『シネマトゥデイ』)

こんな部屋は、もうほとんど存在しない。お寺に行くしかない。

別に、床の間や障子や畳である必要はない。でも、物を飾る場所、日光の差し込み方を楽しめる窓、紙や木やイグサといった自然素材の壁と床。江戸時代までに完成した日本の住宅建築がすごいと思うのは、これだけの贅沢を様式化することで、誰にでも真似すれば作れるようにしたこと。住んでいる人の個性は、掛軸や花瓶の選び方で発揮させる。

戦後日本の価値観は、それを否定した。

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