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【2016年7月26日】

4年前の今日。相模原の知的障がい者施設で19名の命が奪われた殺傷事件が起きました。現在、この事件の犯人、植松聖が死刑が確定しました。

この事件の後、そして、この公判のたびに、障がい者に目が向けられています。それまで世間の多くは障がい者には目もくれなかった。せいぜい年に一度だけ大手テレビ局が「お祭り騒ぎ」をしている程度でした。そのマスコミが障がい者のことを「温かく」報じるようになり、また、パラリンピックにも注目が集まるようになったのは障がい者への関心が向きつつあると思って良いのでしょう。ただ、一つ思うのはそれが一時的な「ブーム」で終わって欲しくないということです。

例えば、2001年の大阪・池田小学校での小学生無差別殺傷事件。
例えば、2007年に起きた、知的障がい者の男性が歩道橋の上から小学生を投げ落とした事件。

これらの事件をご記憶の方はどのくらいいらっしゃるでしょう。そして、これらの事件の後に障がい者に対する何かが変わったでしょうか。マスコミが一時的に騒ぎ立てただけで、社会は何も変わっていない。
これらの事件で変わったことがあるとすれば、障がい者、特に知的や精神障がい者に対する世間の目が厳しくなったことかもしれません。

「障がい者は怖い」と。

私は重度・最重度の知的障がいを持つ方々が暮らす施設で月に1度ボランティア活動をしています。
相模原事件の犯人は知的障がい者について「意思疎通ができない」と言っているそうですが、私が経験する限り、決してそんなことはありません。むしろ、喜怒哀楽、そして、自分の欲求を素直に訴えるとても純粋な方々です。そして、それぞれが生きてきた背景が如実に表れています。

私が関わっている活動に参加している一人の青年。私と顔を合わせるといつも「〇〇さ~ん(私の名前)」と呼びかけてきます。それに対して、私が返事をし、今度は私がその方の名前を呼ぶと...恥ずかしそうに下を向いてしまいます。

暫くするとまた「〇〇さ~ん」が始まります。しかし、その方は決して私に近付いては来ません。この方を活動から送り出すときに「一緒に帰ろ」と声をかけると逃げるように走って行ってしまいます。いつも女性職員と手をつないで帰ってゆきます。

実は、この方は幼児期に父親から身体的虐待を受けており、それが故に男性、特に私のようにこの方の父親の年齢に近い男性に対する警戒心がとても強いのだそうです。

ある時、ほんの数秒だけ、私が押している他の方の車椅子の取っ手にこの方が手を乗せたことがあります。敢えて知らんぷりをしていましたが、またすぐに走っていってしまいました。少しずつでも、この方の警戒心を解くお手伝いができたら、と思いますが、月に1度顔を合わせるだけでそんなことができるかどうか。

私は人の行動の背景には必ず何か理由があると思っています。無意味な行動はない。それは障がいの有無には関係ありません。ただ、障がい者の中にはその表現の仕方が他と少し異なっている方がいらっしゃるだけです。

社会全体がこのような行動を理解するのは難しいかもしれません。しかし、少なくとも差別はしないで欲しい。まして「生きている価値がない」などとは思わないで欲しい。それが私の願いです。​