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私の金閣寺(2)

私にはとても難解な「金閣寺」。
一文一文、あるいは、段落ごとにその意味するところを考えながら読み進めています。

何度も何度も行ったり来たりしながら。

そんな中、特に時間がかかったのが、

『公開すべきものとは………つまり死刑なんだ。』

というくだりを含む、16行から成る段落。

この段落には他にも、

『戦争中の安寧秩序は、人の非業の死の公開によって保たれていたと思わないかね。』

『人の苦悶と血と断末魔の呻きを見ることは、人間を謙虚にし、人の心を繊細に、明るく、和やかにするんだのに。』

のように、私がこれまでの人生で抱いてきた感覚とは正反対の表現に戸惑い、理解に苦しみ、先へ進めなくなります。

残虐なことが「安寧」や「謙虚」「繊細」「和やか」につながるとはいったいどういうことなのだろう。
私にとっては、人の「非業」や「苦悶」を見ることは、自分の悲しみや苦悩といった気持ちの乱れにつながるものに他ならないのです。

こういうときにどうすべきなのか。
腑に落ちないながらもそのまま読み進めたほうがが良いのか、それとも、一つ一つ、自分なりに納得がいってから先へ進むのが良いのか。
今のところ、私は後者をとっています。

その結果、この段落については、その最後にある一節。

『悪夢はわれわれの苦悩ではなく、他人の烈しい肉体的苦痛に過ぎなくなる。ところで他人の痛みは、われわれには感じられない。何という救いだろう!』

もしかしたら、この文章が「答え」なのかもしれない、と思い、ようやく先へ進めています。