見出し画像

障がい者とは

私は今、障がい者雇用枠で働いています。

これまで、障がいや障がい者関係の書籍を読んできました。
いろいろな方の話を聴いたり、話し合ったりもしました。
そのような中で自分の障がいについて考えたところ、こんなことを思っています。

障がい者を障がい者たらしめているのは障がいそのものだけではなく、障がい者に対する社会の無理解や差別・区別が理由であることもあるのではないだろうかということです。

私の場合で言えば、双極性障害という病気・障がいのために気分に変調をきたし、頭が重くてならず、「仕事に行きたい」という気持ちとは裏腹に動けなくなるという「機能障害」が起こります。
そして、それが故に働くことが困難という「能力障害」が起こり、例えば就職活動においても面接すらしてもらえないといった「社会的不利」な状態になったことがあります。

今、働いている職場は障がいについて理解していただけており、休んでも嫌な顔をされず、また、それでもある程度責任のある業務を任せていただいています。
「機能障害」が起こり、それが故に「能力障害」が起こります」が、「社会的不利」にはなっていません。
このような配慮があれば働くことができます。

私たち障がい者は「普通の生活を送ることが困難な特殊な人」ではなく、「特別な配慮が必要な普通の人」であるという見方はできないでしょうか。
そうすれば、私たちがもっと社会参加できるようになるのではないかと思います。

かといって、話が矛盾するかもしれませんが、障がい者は社会が助けるのが当たり前、とは思っていません。
そういう極論を唱える人もいます。社会が助ければ、障がい者はいなくなる、と。
しかし、私はそうは思いません。
自立できる部分は自立する。
その上で、助けていただく部分については援助をお願いする。
この「お願いする」という言葉に抵抗を感じる人もいるかもしれません。
でも、それが現実です。
私はそう思っています。