見出し画像

【香港駐在で得たもの】

私は1993年8月から2000年1月までの約6年半、香港に駐在した。
最大の使命はまだ発売したばかりのコンピュータ関連商品を中国大陸に売るということだった。

それまでは日本の本社で中国にその商品を輸出する業務に携わっていた。しかし、現地には販売体制も何もなく、ただ売れるに任せて売っていただけだったので、月に数百台程度の販売量だった。
これではどうもまどろっこしくてならない。そこで、「これ以上中国向けの仕事をやるのなら現地に行かせてくれ」と上司に談判し、約1年後に香港に赴任することになった。

何故、中国ではなく香港か。
当時、中国では外国人による販売行為が禁じられていた。ただ、広告宣伝などの販売促進行為だけは許されていた。そのため、香港で中国の業者に商品を売り、その業者が商品を中国へ運ぶという形で中国への販売をおこなっていた。そのため、それらの業者との交渉など、販売を管理するには香港に拠点を構える必要がある、ということで香港への赴任となった。

その頃、私が勤務していた会社には他の商品を中国へ売る担当者はいたが、私が扱う商品を売る社員はいなかった。勿論、中国への流通の仕組みなどできていない。
また、中国国内には他の商品の販売促進活動をおこなっていた人はいたが私の商品に関しては誰もいない。
そんな中での赴任である。
香港に着任した夜。一人で簡単な食事を終え、夜景を眺めながら「さて、明日から何をしようか」「来ちゃったけど、どうしたら良いのやら」などとぼんやり考えていたのを思い出す。

思い悩んでいても仕方がない。先ずは中国に行かなくては、ということで早速北京へ飛んだ。通訳を用意してもらい、コンピュータ会社や販売店を片っ端から訪ねた。素直に「どうしたらこの商品が売れるだろうか」「この商品を扱ってもらえないか」等などと聞いて歩いた。何ヶ所回っただろうか。

どの企業も「是非、売りたい」とは言ってくれるものの、「その代わりに独占販売権を与えろ」などと無理難題も言ってくる。

そうしていろんな会社と話をしているうちに見えてきたことがある。それは、私の商品は「広告宣伝がない」「価格政策がめちゃくちゃである」「故障したときの保守がなってない」ということだ。そりゃそうだ。誰も何もしていないのだから。

そこで、この3つの問題を解決することから始めることにした。しかし、相手は何と言っても中国人だ。(中国人の悪口になってしまうが、あくまでも私が取引した中国人のことである)ごまかし、言い訳ばかり。

複数の業者に香港で商品を渡し、中国へ運んでもらうのだが、そこでは当然のことのように「ごまかし」が横行している。税金逃れである。その手口は、申告する数量をごまかす、他のモノ(野菜とか)の中に紛れ込ませて運ぶ等など。

ある中国人が言っていたことがある。「馬鹿正直に税金を払うよりも、見つかったときに罰金を払った方が安上がりなのだ」と。

その結果、その「ごまかし」をうまくやる業者とそうでないところとの差が出る。うまくやった業者は当然品物を安く売れる。すると「ごまかし」が下手な業者は「これじゃ、売れない。もっと価格政策をしっかりやれ。」と文句を言ってくる。
おまけにアジアの他の地域からさらに安く売る業者がはいってくる。
混乱の極みである。自分の担当地域外の業者の管理などできはしない。
最初から大きな壁にぶち当たってしまった。

私の赴任期間の6年半はほとんどこの問題の解決に費やしたといっても過言ではない。
今は中国国内で直接商品を販売できるようになったので、この問題は少しは改善されているとは思うが、なにせ中国人だ。何が起こっているか、分らない。

修理体制を作り上げるのも簡単にはゆかない。
店によって修理の質の違いが出るのは当たり前。適当に済ませて金だけ要求してくる店の多いこと。
それ以上に困ったのは、提供した修理部品を転売する店があることである。ろくに修理をせず、修理をしたことにして部品を要求してくる。そしてそれをまた転売する。あきれて言葉を失ったものである。

販売促進のために、商品におまけをつけたことがある。その商品の消耗品である。これでユーザーが喜んで買ってくれるだろう。と思いきや、そのおまけの消耗品を抜き取り、単品として売る業者が現れた。

こんなことの繰り返し。いたちごっこである。

世間(世界)知らずの日本人が中国人に勝てる訳はない。
そこで、「それなら」と、失礼ながらこれまで手足としてしか使ってこなかった中国人社員たちの「頭」を使わせてもらうことにした。

彼らにすべてを考えてもらうのである。
私の方針だけを伝え、あとは彼らが議論して決める。
すると、出るわ出るわ。
私などにはとても湧いてこない発想で様々なアイデアがでてくる。
「そんなことをしたら、こういうインチキをするやつが出てくる」等など。
「私たちがこう出れば、相手はこう出てくるにきまってる。だから...」といったことを盛んに議論していた。
私は感心しながら横で見ているだけ。その国民にしかない発想があるものだ。

それからは中国人社員たちも仕事への参加意識を感じて、生き生きと働くようになり、同時に少しながらではあるが販売政策もうまくゆくようになった。

そして、赴任当時は月に数百台の販売量だったものが、毎月10万台を超えるまでになった。
自分でいうのもなんだが、これは胸を張っても良いと思う。

私がいた会社は現在、中国に千人を超える社員を擁する支社を構えているようだが隔世の感がある。

中国には「飲水不忘掘井人」という諺がある。
「水を飲むときには、井戸を掘った人のことを忘れてはいけない」という意味である。

残念ながら、今の中国支社に私たちのことを知っている人はおそらく一人もいないだろう。


私の香港駐在は今から30年ほど前のことだが、その頃は「日本人が一番」と誤解している日本人が多かった。
東京からくる本社のお偉いさんたちを街に案内すると北京や上海の発展ぶりを見て「日本と変わらないじゃないか」という言葉が良く聞かれたものだ。
「(世界で一番の)日本と変わらない」という意識だ。

しかし、その頃も、そして、今も。
けっして日本人は一番などではない。
むしろ、世界を知らない「井の中の蛙」と言っても良いだろう。

その日本人が他国で孤軍奮闘してもうまくゆくわけがない。
その国にはその国のやり方がある。
その知恵を借りずしてうまくゆくわけがない。

これが私の6年半の香港駐在経験で得た結論である。