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老眼

「障害」とは何でしょう?

例えば、誰もが歳をとれば老眼になります。
物が見えにくくなります。
或いは、年齢に関係なく、近視の人もいます。
それが「障害」とされないのは何故でしょう。
誰もがなるものだから?
みんながそうだから?

では、もし、この世に「眼鏡」というものがなかったらどうでしょう。
今、多くの公共施設には老眼鏡が用意されています。
図書館には数は少ないながらも大きな活字の本があります。
パソコンや携帯電話、スマートフォンは文字の大きさを変えることができます。

このような環境がなかったらどうでしょう。
多くの老眼や近視の人たちの生活に支障が出るでしょう。

誰もが何らかの不自由な部分を持っています。
私たちはそれを互いに補いながら、助け合いながら生活しています。
社会にその不自由さを補う仕組みができているからその不自由さに気付くことなく生活できている部分もあるのではないでしょうか。

そのことに1人でも多くの人が気付くことでより多くの人たちが住みやすい社会になると思います。