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これからどうやって生きればいいかは、心と一致していれば自然に決まる

 2019年7月2日にマレーシアへやって来て、早3ヶ月、、、けれども、ただ暮らしているだけで、お金を稼ぐ活動は一切していません。
 起きて掃除して猫の世話をして買い物して食べ物作ってスポーツクラブへ行って洗濯して夕飯作って動画観て猫と遊んでたら、もう寝る時間という具合。48歳で退職するまでの会社員時代は朝9時から深夜まで働きつつ、人前に出て恥ずかしくない身なりを整え、部屋を片付け、猫を世話し、毎日会社へ行ける程度の健康をどうにかこうにか保つなんて、どうやってたのかしら私ったら?
 記憶にあるのは、深夜帰ってもすぐは眠れないので、ストレス発散をかねてキッシュを生地から作ってたことかなー。粉をこねたり叩いたりしていると気分が落ち着くので、大量に焼いて一人で食べてましたね(←バンバン叩いて作った怒りのキッシュで、深夜に食べるから体重もガンガン上昇)。
 今となっては会社員時代は前世ぐらいの勢い。あれと同じことをやれる気がしません。
 我ながら同じ人間の人生ではないと思うほど、別人の思考と生活スタイルになりました。そして、仕事も手放し、親兄弟はじめ旦那も子供もいない53歳独身ですが、今は心が穏やかでかつ幸せに生きています。

え、何のためのマレーシア?

 って、バリキャリの知り合いには聞かれますので、もっともらしい返しは

①投資の選択肢が増える
②英語を身につける
③英語圏の情報を得る

の3つを用意していますが、これはあくまでも後付の理由です。
それは、働かない罪悪感、目的のない人生を生きてると思われたくない見栄のため(この心のクセがマジしつこい。新月の今日スッキリ手放します)

今この瞬間の私の願いはただひとつ

魂本来の私に一致する

 というのも、もう自分に嘘がつけなくなってしまったからです。

 例えるのはおこがましいですが、浅田真央選手が体の成長でトリプルアクセルが飛べなくなって、イチからジャンプを練習したことに似ています。

1回ゼロにしないと次へ行けないほどの変容

 私は幼少期にいくつものトラウマを経験したことで、自己肯定感が限りなく低く、人に評価されることが自分を支える全てでした。
 そんな私が本質的な愛に目覚めていく過程で、これが幸せだと思っていたカタチこそが刷り込まれてしまった幻想でしかないと気づいていきました。さらに、幻想に自分を合わせるため、ドラマや映画のヒロインをツギハギしたようなキャラクターを演じ、服も言動も寄せていったせいで着たい服さえわからなくなりました。

今の自分も嫌だけど、何をやりたいか全くわからない

なので、

 会社にそのままいても仕事がどんどんできなくなっていったと思います。
 
そして、

 何にも先のことを決めずに会社を辞めてフリーになりましたが、心の状態は同じでした。

 ありがたいことに、そんな私に声をかけてくださるクライアントもいて、仕事に困ることはありませんでした。長年やっていた仕事なので、コスパに見合う仕上がりにすることはできます。けれども、要望に応える以上の意欲がどうしてもわかず、そうなると請負仕事になりがちで発展性はありません。

 そんな時に、3歳から親一人子一人で育ててくれた父が末期がんだと診断されました。すでに手遅れの状態で、診断からわずか3ヶ月半で亡くなってしまいました(がんのこと、父のことはもっと丁寧に振り返りたいと思います)。この期間は父と毎日過ごすために、会社を辞めていたのかも、と、あの時の自分の決断を褒めたいです。

いつでも直感が最良の結果をもたらす

 何をするにも石橋を叩き、データを取って検証した上で決めるのは、自信のなさからのクセなのですけど、いつでも「降ってくる」ようにひらめいた答えが最良だったと感じます。
 父が亡くなって実家をどうするか考えた時、家族も家も地元にないなら、海外に住んでみるものいいかもしれない、と思ったのが移住のスタートでした。

 その時に、一番最初にひらめいた国がマレーシアでした。結果的に、移住先を調べても私に合う選択肢はマレーシアしかなかったのですけど。。

日本から完全に離れることで集合意識からもリセット

 私にとって今の生活が必要だったのは、完全に誰の影響も受けないということ。
 複雑な話ができるほどの語学力がないので会話は最低限。あー今日は誰とも話してないわーって言う日がほとんどですし、日本の情報に触れる機会もありません。マレーシアで知っている人は日本人3人だけ。飲み会もお茶会も食事会も全然ありませんし、マレーシアは危険ではないですが日本ほど安全でもないので夜8時以降は基本家に居ます。


周りの人がどう思うか
周りの人が今何を考えているのか
そして
その人達が私に何をして欲しいか

いつだって空気を読んで先回りして期待に応えるから

私を認めて

って、無意識にやってたことも全部する機会さえなくなったら

日本人の私、仕事をしている私、娘である私、友達である私が

ぷしゅーと抜けて
いったん萎んで中から本当の私がジワッと出てきた今日このごろ。

面倒くさかっただけの料理が楽しくなりましたし
家をキレイにすることがスムーズにできますし
オタクだったはずがバスや電車でガンガン動きますし

早く効率よくやらなくても誰にも文句も言われないから
自分のペースでのんびりゆっくりジワジワと生きています。

自分に自由を許すことができて
人の親切を素直に受け取れるようになったおかげで
人にも心から何かを贈りたい配りたいと
ちょっとずつ思えるようになりました。

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UNIQLOセール980円の服とGUの帽子がマレーシアの定番アイテム。ここ最近は2着のみを着回している私。公共交通機関で動く場合は、目立つとスリや引ったくりに遭う確率が上がるので、ローカルの犯罪者予備軍の方々のためにも「私なんて襲っても労力の無駄ですよアイテム」がおすすめ。

 変化の後押しをしてくれたのは、間違いなくマレーシアの「寛容さ」です。
 土地はもちろん、そこに住む人たちのエネルギーは影響し合います。私は日本人の振る舞いを身につけて周りと同調していくしか自分を守る術を知りませんでした。
 もちろん日本に居ながら、魂と一致した生き方ができる人もいると思いますし、私は日本が好きで心から感謝しています(世界最強の日本のパスポートのおかげで猫もスムーズに入国できました)。

 人に諭すほどの何かは語れないのですが、もし、さほどモテない中高年バージョンの「凪のお暇」っぽい実話から、何か気づくことがある人がいれば、私が先に生まれて経験したしんどさの意味がわかります。私は本にいっぱい救われたから。

心の声を大切に。

 むしろ、これからは想像よりも速いペースで世の中が動いて変わっていくような感じです。なので、何か目標を定めるよりも、自分の軸をしっかり持っておいて、目の前で開いた扉の先に行きたいとワクワクしたら動く…みたいな軽さを身に着けておきたいです。

 だからこそ、幻想を追いかけている場合じゃなくて、私は魂に一致します。

 書くタイミングも内容もバラバラでごめんなさい。

 ひとまずマレーシアでの近況報告です。

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