見出し画像

風を、切る。

誰に教えてもらうわけでもなく、人は時期がくれば歩き出す。そして、走る。
走り方なんて誰に教わるわけでもないのに、人は走ることができる。
小さい頃、犬に追いかけられて逃げているわたしを、犬が後ろから追い越して行った。
畑で見ていたおばあちゃんが笑った。
「犬のほうが先に行ってしもてるわ」
走っていた自分が馬鹿らしくて、惨めだった。
妹のほうが背が低いのに、運動会ではわたしのほうがいつも遅かった。
「お姉ちゃんの走り方、おかしい」
妹が笑う。母は首をひねる。
「なんでこんな走り方なんやろ、何があかんのやろか」
「お姉ちゃん、足はめっちゃ動いてるのに、進んでない」
知らん。走り方なんて誰にも教わっていないのだ。
教わっていないのに、妹は速い。わたしは遅い。悔しい。
生まれたときから、決まっている何かがあるんだな、とわたしはなんとなく思った。
今でも走るのは嫌いだ。頻脈なのでマラソンなんてとんでもない。
でも、走る人を見るのは嫌じゃない。
一緒に走っているような感覚になる。
追い風だろうが向かい風だろうが、がむしゃらに切っていく、その感じが好きなんだと思う。
嫌でもなんでも、走らないといけないときがある。
走り方なんてどうでもいい。スピードも、本当はどうでもいい。
いつ、走るべきか。わき目もふらず、人の目も気にせず、まだ走れるか。
朝の空を振り仰ぐ。
風が吹かなければ、自分で起こすしかない。

#エッセイ #風 #走る

いただいたサポートは創作活動、本を作るのに使わせていただきます。