見出し画像

小さなねずみと冬の日(童話)

小さなねずみと冬の日

森に木枯らしが吹き、木々に残っていた葉が全部落ちてしまうと、野ねずみの親子は木のうろの中で冬支度をはじめました。
「おかあさん」
子ねずみは、集めてきた綿の実を一生懸命ほぐしているおかあさんねずみに声をかけました。
「なあに」
「何をしているの」
おかあさんねずみは綿の実に入っている小さな種を取り出しています。
「冬は寒くて長いからね。いろいろ準備が必要なの」
「冬のあいだ、ぼくたちはどうするの」
おかあさんねずみは笑いました。
「もう忘れたの? ここでゆっくり眠るのよ、春が来るまで」
子ねずみは、前の冬のことを思い出そうとしました。けれど、思い出せるのは眠る前におかあさんにくっついていたこと、次はもうおかあさんに起こしてもらって、あたたかくなっていたことしか思い出せませんでした。
「ぼく、眠っていたことを思い出せないや。おかあさんはぼくを起こしてくれるけど、おかあさんは誰に起こしてもらうの?」
おかあさんはそれには答えずに、綿の実から集めた種を隅っこに運びました。そこには前にとってきたどんぐりやブナの実も一緒に置いてありました。
「もし、おまえだけ途中で目が覚めたら、食べていいからね」
ふわふわの綿はほどよくほぐれていい布団になりそうでした。子ねずみはふと、聞いてみました。
「おかあさんは、途中で起きたことがあるの? 冬を、見たことがあるの?」
「さぁ、どうだろう」
おかあさんはいたずらっこのような顔になりました。それからちょっと真剣な顔になって言いました。
「もし起きても外には出ちゃだめだよ。寒くてあっというまに凍えてしまうから」
子ねずみは頷きました。うろの中にいても寒いのですから、外はどれほどのものだろうかと思いました。
「今年は綿の実がたくさんとれてよかった。うんと寒くなるのかもしれないね」
おかあさんはうろの入り口を枯葉や細かい枝を使って丁寧にふさぎました。すると、風の音が消えてしーんとなり、うろの中は真っ暗になりました。
「さぁ、こっちへおいで」
おかあさんの声がするほうへ行くと、背中にぶつかりました。
「いつもみたいに、おやすみ」
子ねずみはおかあさんにくっついて丸くなりました。綿のふわふわが頭や背中にあたってぼんやりあたたかくなっていくのがわかります。目を閉じておかあさんの心臓の音を聞いているうち、子ねずみは眠ってしまいました。

突然、冷たい風が吹き込み、子ねずみは飛び起きました。うろの穴からうっすらと光が漏れています。どうやら塞いでいたものが飛んでしまったようでした。
「おかあさん、おかあさん」
子ねずみはおかあさんを起こそうと小さな手で背中を揺さぶりましたが、おかあさんは起きません。いつもより心臓の音はゆっくりで、いつもとなんだか違うなと子ねずみは急に恐ろしくなりました。それでも穴をふさがないとあっという間にここは寒くなって凍えてしまうでしょう。子ねずみはおそるおそる穴までのぼり、うろから顔を出しました。
大きな月がのぼっていました。そして月の光に照らされた森はこんもりと白いものに覆われていて、どこまでも静かでした。
子ねずみは自分はどのくらい眠っていたのだろうと思いました。その間に一体何が起こったのか見当もつきませんでした。いつもの森はなくなってしまったのでしょうか。子ねずみはあまりのことに身動きもできずに寒さも忘れて外の世界に見入っていました。
「あら、めずらしい」
かわいらしい声がして、子ねずみはびっくりして落ちそうになりました。小さな女の子がうろのすぐ側に立って子ねずみをのぞきこんでいます。
「こんばんは」
子ねずみは思わず声を出してから、しまったと思いました。人間の恐ろしさはおかあさんから聞いていました。前に一度、遠くにいるのを見かけたこともありましたが、こんなに近くで見るのは初めてでした。逃げなければいけないとわかっているのに体が動きません。
「眠っていない動物がいるなんて。あんた悪い子ね」
女の子は肌が透けるような白い服を着ていました。
「あなたは寒くないのですか」
子ねずみはやっとそれだけ言いました。女の子はふふっと空気のように笑いました。
「あたいは寒くなんかないわ。当たり前でしょ」
女の子はふっと息を吐きました。すると細かい粒がふわりと舞い上がり、月の光に輝いて消えました。子ねずみは星くずのようなその小さなものがあまりに美しいので、すっかり怖い気持ちが消えてしまい、興奮して叫びました。
「すごい、今のは、なに?」
女の子は得意げににやりとしました。
「あんた、雪を知らないの? まあ知らなくてよかったのかもしれないけど」
これは雪というのだと子ねずみは知りました。白く積もったものは全部、この雪なのでした。おかあさんが前に話していた気もしましたが、夢のようにおぼろげでした。
「あたいのおかあさんが雪を降らせているの。きれいでしょ」
どうやら女の子は人間ではないようでしたが、子ねずみにとってはどうでもいいことでした。
「あなたは、冬なの?」
子ねずみは尋ねました。女の子は答えずに微笑みました。
「おかあさんは全部凍らせてしまうの。川や湖だって凍らせることができるのよ。あんたなんかきっとひと息で凍っちゃう」
「ぼく、いつもは眠っているんです。だから何も知らなかったんです」
子ねずみは不安になり、急に寒さにおそわれました。女の子は頷きました。
「そうでしょうね、たいていの動物は眠ってしまう。人間だって気をつけてる。いつおかあさんが吹雪を起こすかわからないから」
子ねずみは震えながら言いました。
「ぼく、冬がこんなにきれいなら、眠らなくてよかったな」
女の子は手のひらにふっと息を吹きかけました。小さな雪はさらに細かくなり、結晶になりました。女の子がばんざいをするように手をあげると、それは月の光に反射して、まるで鈴が鳴るようにあたりに舞っています。
「ひとーつ、ふたーつ……」
女の子は歌うように数えます。子ねずみは、星は近くで見るとこんな形をしているのかもしれないなとうれしくなりましたが、どこかで見たことがある気がしました。ちょっと考えてから、
「あぁ、お花みたいだ」
と子ねずみはつぶやきました。
「あたいは、花を知らないから」
女の子はふいに遠くを見ました。
「あたいはね、かあさんみたいに何もかも凍らせて氷の世界を作るの。春になったって平気なくらいに」
「雪は春になったらなくなってしまうの?」
「当たり前でしょ、おばかさん」
女の子はつんと唇を尖らせました。子ねずみは恥ずかしくて黙ってしまいました。
「でもね、あたい、花を見てみたいから、少しだけやさしくするの。土の中に種が埋ってるでしょ。そこだけはね、やさしくするの。かあさんには怒られるけど」
急に子ねずみは太陽が恋しくなりました。あたたかく湿った土や木の肌に触れたいと思いました。女の子は大きな目で子ねずみをじっと見つめました。
「あんたぐらいなら、あたいだってすぐに凍らせられるけど。やめておいてあげるわ」
あんた、きれいだって言ってくれたから。女の子は急に空を見上げました。
「もうかあさんがやってくるから、あんたは中に入ったほうがいいわ。入口はあたいが氷でふさいであげる。とびきり分厚いやつでね」
子ねずみはうろの中へすとんと落ちました。手がかじかんでいて、まるで言うことをきかなかったのです。もう少し冬を見ていたい気もしましたが、体が冷え切っていました。ごうと音がしてうろの入り口がふさがれ、また静かになりました。女の子の作ってくれた氷はガラスのように透き通っていたので、うろの中には月の光がぼんやり差し込んでいます。
やっと手足があたたかくなってきたのを感じながら、子ねずみはおかあさんが起きたらさっき見た冬を話そうと思いました。それから女の子にもまた会えたらいいなと思いました。春になったら小さなイヌノフグリやハコベの花を集めて女の子に見せてあげたかったのです。
子ねずみはブナの実を少しだけかじり、体を丸めました。次に起きたときにはきっと、うろの穴をふさいでいる氷はなくなっているでしょう。花も咲いているでしょう。ひとつひとつ違って見えたあの雪の花を思い出しながら、子ねずみはゆっくりと深い眠りに落ちていきました。

◎写真はみんなのフォトギャラリーからお借りしました

#クリエイターフェス #ウミネコ文庫応募 #童話 #児童文学

いただいたサポートは創作活動、本を作るのに使わせていただきます。