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木に眠る

小学校で園芸係になった息子は、木の根元で死んだ鳥を見つけたらしい。
ほう、と思った。
「すずめ?」
「すずめじゃなくて、ちょっと灰色で青っぽい鳥」
「へぇ、じゃあすずめじゃないな」
それで、息子は木の根元を掘って、その鳥を埋めたらしい。
「埋めてから、石を並べて、白い花があったから採ってきて置いた」
お墓を作ってあげたんやな、そうか、それはいいなと、答えてから、そういえばわたしも同じことをしていたなと思い出したのだった。
祖父はわたしが生まれる前に亡くなっていて、そのころはまだ土葬だった。
薄暗い山の中にあるそのお墓を「さんまい」とみんな呼んでいる。
「山参に行かなあかん」
と母はお盆や正月に口にする。今ではわたしが車を出したりするし、小さい頃も母について「山参」に行った。薄暗くて気味が悪いのに加え、山なので虻もいるし、雨の当たらない砂場には蟻地獄の巣がたくさんあって、それもなんだか恐ろしかった。
わたしは土葬のお墓をよく知っているけれど、息子は知らないはずだ。
今ではほとんどが火葬だし、お墓の下には誰も眠っていない。
息子はお墓を作った。
どこかで聞いたのか、何度か一緒にいった山参を覚えていたのか。テレビやアニメの影響なのか。
おそらくその中のどれかなんだと思うけれど、土に埋めようと思うのは、単に弔うためなのか、それとも、自然の一部として土に還そうとする本能のようなものだったりするのか。
「お母さんも死んだ蜻蛉とか、持って帰って埋めてたなぁ」
息子は目を丸くする。
「どうやって?持って帰ったん?」
こうやって、とわたしが手で羽をつまむ仕草をすると、息子は短く笑った。
いろんなものを根元に埋めたあの木は、いろんな命を吸い上げていたのだろうか。
それは葉や実や、幹の一部になって、あの木を支えていたのだろうか。
いろんなことがわからないまま、木はもうなくなって、息子は大きくなっていく。
いろんなことを知りたいと思う欲求さえも、薄れていく。
せめて物語にでもしておきたいと、わたしは思ったりする。

#エッセイ #お墓 #鳥 #蜻蛉 #埋葬

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