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ショートショート『ふたつ』

ふたつ並んだマグカップを見つめ、ため息をつく。
私は向かって右のカップに手を伸ばした。後ろから差し込む陽がカフェのテーブルに影を作る。すべてがふたつになる現象が起こってから数ヶ月。ずいぶん慣れてきたと思う。
ココアの甘い香りが口の中に広がる。数ヵ月前、大きな地震があった。といっても、揺れたと感じたのに建物はひとつも壊れていなかった。その後からすべての物がふたつになるという現象が起こり始めたのだ。
ため息と同時に声にならない声がもれる。喫茶店でひとつ注文してもふたつになる。料金はひとつ分だ。
「1個でいいんだけどなぁ」
この現象に人々は戸惑っていたけれど、そろそろ慣れてきたころではあるだろう。ひとつ用意すれば、数秒以内にふたつになってしまう。上手く言葉では言えないけれど、どちらかというと分裂に近い気はする。もともとふたつのものはそのままだ。この現象は科学的に解明されていない。ペットの犬も2匹。車も2台。建物までふたつ建つもんだから、ただでさえ狭いこの国で国民はこの現象に対して恐怖の念を抱き始めていた。
「なんだかなぁ」
私はカフェのテーブルに頬杖をついた。ふたつ欲しいときはひとつ買えばいいけれど、ひとつでいい場合にはどうしようもない。最初は面白くてふたつを比べたりしていたけれど、どうやら全く同じようだ。
有難いことに人だけは1人だからぎりぎり正気を保っていられるんだと思う。隣に並んだもう一つの同じテーブルを眺める。
一個捨てると、残りの一個が二つになり、二個とも捨ててしまえばゼロにはなるけれども、疲れる。これからいろんな問題も出てくるだろう。
ふいにうすい影がテーブルの端をかすめたような気がして体を起こした。目を凝らしたけれど何もない。疲れているのかもしれない。
最後のココアを流し込み、立ち上がろうとした。途端にぐらぐらと視界が揺れた。私だけかと思ったら、「地震?」と誰かの声が聞こえた。とっさに机の下に入り込もうかと立ち上がったけれど、目の前にあるカップが微動だにしないので立ったまま、ぐらぐらがおさまるのを待った。
さっきまで誰もいなかった隣のテーブルに、頬杖をついている薄い影が見えた。ぼんやりと人の形をしたその影は次第に濃くなっていき、こちらを見た。
「わ、わたし?」
声が震え、私は自分の手を見た。その手は半分透き通っていた。

*たぶん数年前に書いたもの。画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。

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