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縄文時代の所有感

小学校6年生になる娘が授業で歴史を習ってきたようだ。後ろから声がする。

「縄文時代の縄文とは何でしょう」
「弥生時代の特徴をあげましょう」
ご飯を作っている側から質問責めに合う。
縄文は縄の模様、農耕が始まったのが弥生時代でそれとともに貧富の差ができ始めた、と私は答えた。
娘はニヤリとして、正解、と答える。
お母さんは縄文時代と弥生時代、どっちがいい?と聞かれて、迷わず縄文時代と答えた。
娘は私もそう思う、と頷いた。
「だって争いがなかったんだもん」

所有の概念は、弥生時代ごろから生まれたと何かの本で読んだことがある。自分の財産を残したい、とか自分の家を繁栄させたいという思いから貧富の差が生まれ、争いも起きる。権力も支配も生まれる。
アイヌ文化は縄文文化を色濃く引き継いでいると聞いたことがあるけれど、アイヌの男性は自分の財産をどこかに隠してしまったりするそうである。子供や誰かに残しておくということはしなかったようだ。
女性が亡くなると家ごと燃やす、という儀式もあるように、物質的な継承には価値を置いていなかったんだろうと思う。
何のために私たちは所有するのか。

本当に大切なものはみんな只なのに、と書いたのは谷川俊太郎さんだった。
空も海も空気も大事な人も、所有することはできない。
けれど、目に焼き付いたあの日の雲や心が震えた夕陽、触れ合った手の温度は忘れてしまうことはない。
目には見えないけれど、誰かの声も眺めた星空も私たちの中から消えてはしまわないのだと思う。

#エッセイ #所有 #縄文 #弥生

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