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思い込んだ話

先週、選挙の日を一週間まちがえた。夜の7時ごろ、夫と一緒に小学校の前まで行き、門が閉まっていて、あれ?となったのだった。
「お前、ほんまに選挙、今日なんか。来週なんちゃうんか」
「えっ」
夫に言われるまで疑いもしなかったので、時間まちがえたのかな、場所まちがえたのかな、と考えていたのだった。
用紙を確認すると来週の日付け。
「ちゃんと確認しろよー」
「確認もなにも、思い込んでるから」
疑うことすらないほど思い込んでしまうのは、もう病気なのかもしれないと思ってしまう。そんなわたしを信用して一緒に来た夫もよくわからないけれど。
前にもそんなことがあった。そのときも思い込みで大阪まで行き、しばらく事態が呑み込めず、閉まったままのコンサートホールの前でうろうろしていて、警備員のおじさんに話しかけられたのだった。おじさんはご親切に掲示してあるチラシを指さし、
「1か月先ですね」
と真顔で言ったのだった。
あ、そうですよね、勘違いでした、と大したこともなかったようなふうを装ってホールを後にした。泣きそうだった。大きな月が見降ろしていた。
「前もあったよな、お前」
夫がすかさず言う。わたしは苦笑いをする。
「あったなぁ。あった」
何も変わっていないのだ、と真っ暗な空を見上げ、夫と並んで歩く。
「確認をせーへんからや」
「いや、確認もなにも、思い込んでるから、確認しようという意識もないんやわ。助けてよ」
どうしようもないというのは、こういうことを言うんだ。
家に帰ると、娘が、早かったなぁと言った。
「いや、日、間違えてた」
「えっ!」
思い込んでいた話をまた娘にする。
「選挙はな、国民の義務なんや、だからいかなあかんねん」
わたしは真面目な顔で伝える。娘はすかさず言う。
「義務じゃないで、権利やで」
今度は、あっと思った。あまりにも義務感だけで、権利だという感覚さえも薄れていた。義務と権利は反対じゃないか。
「そや、権利や。権利」
いろいろ忘れている、勘違いしている、思い込んでいる。
子供は先生だ、という人がいたけれど、わたしの場合、本当にそうだと思う。
今週、必ず行く。国民の権利だから、行く。

#エッセイ #選挙 #権利

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