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隅田川

修学旅行、文学フリマ、テストとハードなスケジュールを何とかこなした娘は、さすがに疲れたようで、しばらくは学校から帰ってきて少し寝るという生活になっていた。
ようやくリズムが戻ってきたところで今度は期末テストだそうで、本当にお疲れさまです。
夫の実家に行き、東京のお土産を渡し、
「どうだった?東京」
と聞かれ、
「楽しかったですよ、美術館も行きましたし」
とわたしは答えたのだけれど、娘は、
「隅田川!隅田川があった」
と言った。
義母は、なんで隅田川?みたいな顔をしていたけれど、あのとき、娘は音楽の授業で滝廉太郎の『花』をちょうど習っていたのだった。
歌のテストがあるというので、毎日、娘の『花』を聴かされ、そこ、間違ってない?休符入ってるやろ?とか言いながら練習に付き合っていた。
みんなの前で歌うという恐ろしいテストだったそうである。(無事に終わった模様)
わたしは、一度くらい滝廉太郎が日本のお札(1万円札とか千円札とか)になってもおかしくないと思っているので、浅草で案内板に隅田川と書かれているのを見たときに、あぁ、これが、と感慨深くなってしまった。
ドビュッシーやモーツァルトは紙幣やコインになっているのになぁと思う。日本における西洋音楽の歴史は浅いから、仕方がないとわかってはいても、23歳で亡くなった滝廉太郎の曲がもっと愛されてもいいし、もっと讃えられてもいいのではないかといつも思っている。
毎年、秋にある娘のピアノの発表会にわたしも参加していて(誰でも参加できるので)、今年は滝廉太郎の曲をやってみようかなんて考えている。
つべこべ言うより、聴いてもらうに限る。
演奏することが1番の供養、というか、オマージュなのだと思っている。
東京、花、隅田川、滝廉太郎、時代がいくら変わっていても、それらが繋がった瞬間は、心の中でコトリと何かが動く。その土地に染み込んだものは、何ものかに共鳴し、何度でも生まれ変わる。例えそれが一瞬の灯火だったとしても。
またゆっくり東京を訪れたい。

◎写真はみんなのフォトギャラリーからお借りしました

#エッセイ #東京 #滝廉太郎 #花 #旅行

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