見出し画像

デジャヴ送り

とても嬉しい体験感想ブログを拝見した


先日行ったルワンダからの生配信授業

休校が決まった3月2日からすぐにオンライン授業の企画を始め通算3,800人以上の子どもたちに授業を届けてきた一般社団法人アルバ・エデュさんと授業を作る機会をいただいた

その時に主催としてご一緒してくださったアルバ・エデュ広報担当の安達さんのブログだ


【本文抜粋】

「ZOOMで●●体験とか、そんなの体験じゃないじゃん」
とか思っている方っていると思うんですよ。
わかります、その気持ち。

画面をこえられないよなーって思っちゃうんですよね。
 
しかしながらワタクシ
画面越しでも体験できるって
感じちゃったんです。
ルワンダから生中継の、今日のオンラインおうち学校。

先生がスマホをもって街中をあるいてくれる。
画面の向こうに、確かに生活している人がいて
見たことのない景色があって。

町の人が話しかけてくる。
先生がお店に入って売っているものを見せてくれる。
揚げたドーナッツみたいなもの。
水筒に入っているミルクティー。
アボカド。
路上で売っている映画とCDのデータ!!
豆をむいている人。
売っているタロイモ。
マスクをしている人。
手洗いの場所。
日本人の女の人が一人で歩いても大丈夫な国ルワンダ。
ただただ、すごい。

当たり前に生活をしていて
環境はどうあれ、わたしたちと変わらないのだ。

で、思ったんです。
このバーチャルな体験の先にあるのは
「もっと知りたい」なのだと。
それは「調べること」なのかもしれないし
「実際に行ってみること」なのかもしれない。

バーチャル体験は
「実際の行動への種まき」
なんだ、と気づかされた今日の授業。


ああ、こんな風に届いてるんだ、というのを知れて嬉しかったと同時に

「あれ?これ、、、5月頭にわたしも感じたことそのまんまだ、、、」

1ヶ月間、言葉にするのをサボっていたことを、こんなに共振度高く表現してくださっていて、あぁ、これこれ、、、これが言いたかったんだよ、、、と膝を打った


5月頭に参加した「旅するzoom」

カンボジア在住のマイさんの企画で、カンボジアのバーチャル旅を体験した


安達さんがブログ冒頭で書いている通り

「ZOOMで●●体験とか、そんなの体験じゃないじゃん」

まさに、まさしく、わたしもそう思っていた
旅なんて直接訪問してなんぼ
その地に降りて、歩いて、風を感じなきゃ意味が無い
活気とか喧騒とか雰囲気とか、そういう本質が画面では伝わらない
まー、画面上で満足しちゃうような人は実際に旅になんて来ないでしょ
こういうのって一体誰が喜ぶんだ、、、?

そんなスカした気持ちでいたわたしだが、マイさんの旅するzoomはなんとなく気になって申し込んでいた

***


カンボジア旅、当日

画面に映る解像度が低すぎる風景
木は上が緑色、下が茶色っぽいモザイク画に見えるし
道はこげ色の塗りつぶし
通り過ぎる車はテトリスのブロックに見える
そのぼやけ具合が想像力を掻き立てた
(チラリズム派の男子諸君はこういう気持ちなのだろう)

たまに通信状況が改善して輪郭が見えると無性にテンション上がる

当たり前だけど、そこには人が暮らしていて
通り過ぎる人と言葉を交わしている
あぁいまなんて言ったんだろう

川べりを水牛が歩いている
いま、かの地で、歩いている、のを、いま、わたしが、ルワンダで見ている

売っているフルーツは初めて見るもので、味が気になる
その話をするとマイさんがその場で買って食べてみて感想を伝えてくれる

その目の前にある手作りのカゴには不思議な柄があって、伝統的な柄なのか、作り手のおばちゃんが考案したものなのか気になって聞いてみると、その場でマイさんがおばちゃんに質問して回答が返ってくる


なんだこれは


完全に没入してすっかりカンボジアに齧り付いていた

zoomに接続する前にもたもた頭に絡みついていた

「こういうのって一体誰が喜ぶんだ、、、?」

の疑問の答えには



わたしだよ!!!!

わたしみたいな人だよ!!!!

と児嶋さんのテンションで叫んでいた


旅した気になる
そして、やっぱり旅はしていないので
旅しに行きたい!にちゃんと気持ちが変容していくのを感じた

あんなに斜に見ていたのに、あれよあれよという間に変えてくれた大きな体験だった


それから思った
あ、こんな気持ちになるなら、自分でもやってみたいな


5月
様々な機会をいただき、ルワンダからお散歩中継の配信をすることがあった

お店を訪問したり、食レポしてみたり、ルワンダの朝食紹介してみたり、景色をお届けしたり、道端に生えているバナナの木を映したり

あまりにも日常過ぎて通り過ぎていたところにカメラを向ける
四角に切り取られたその外側にも続く生活
こんなんじゃ、どうせ総体を伝えられない
そうなんとなく諦めていた自分は、参加してくださる方の感受性を信頼しきれていなかったのかもしれないと知り、それを恥じた

<話しすぎる人間は他人の想像力を侮辱している / アパッチ族のことば>


あんなにカンボジアに没入した感覚を
人の営みがその画面から伝わってくる様子を
ちょっとした会話や挨拶から出る本当にそこに人が暮らしてるという実感を
気になって質問したことが「いま」現地の方から返ってくる喜びを
初めて目にしたものが何なのかを知る楽しみを

そういう刺激に溺れた快感を、わたしが感じたように、誰かにも届けたい

そう思ってやっていたことが
こう届いていたことは本当に嬉しい


【安達さんのブログより(再掲)】

画面の向こうに、確かに生活している人がいて
見たことのない景色があって。
町の人が話しかけてくる。

先生がお店に入って売っているものを見せてくれる。
揚げたドーナッツみたいなもの。
水筒に入っているミルクティー。
アボカド。
路上で売っている映画とCDのデータ!!
豆をむいている人。
売っているタロイモ。
マスクをしている人。
手洗いの場所。

当たり前に生活をしていて
環境はどうあれ、
わたしたちと変わらないのだ。



幾度のルワンダのお散歩中継を通して感じた別側面のことは
撮影に協力してくださる近所の方とさらに仲が深まったこと


へぇ〜日本ではこの緑のバナナ食べないの?
こんなに日本のこどもたちがルワンダのこと知りたがってるんだー!
キャッサバって売ってないんだね
いろいろ質問してきてくれて嬉しいな
炭での調理はあんまりしないんだね
ねぇ次はこの食材映してみてよ!
日本のこどもたちはこのお菓子知ってるかなぁ?聞いてみたい!

いままでしなかった会話が生まれる

ということは、いままでなかった気持ちが生まれている



人の気持ちと人の気持ちの間に入る喜びを

ルワンダの伝統アートであるイミゴンゴ工房のおばあたちと、
イミゴンゴ展に来てくださった方々のお手紙お届け役で噛み締めていたけど

今回も同じようにお届け役が芽生えている

あちらの気持ちをできるだけそのままにこちらに伝え
こちらの気持ちを崩さないようにあちらに届ける

普通の暮らしでは交わることのなかった人々の結び目になり
たくさんの阿弥陀をつくっていくこと
ほどけても、きえても、わすれてもいい
一度おきた接点は、最適な時に輝き始めると知っているから

あちらとこちらをそのまま伝えると言っておきながら
偏愛が強すぎて絶対にニュートラルは保てないのだけど
そういう癖あるつながりをつくっていけたらいいな


麦味噌が大好きです