見出し画像

音に色が宿るとき─「ギターがピアノに恋をした」

イラストと音つきで物語を楽しめるTapNovelという場で作品を発表するようになって5週間目。毎週1作品ずつ作品を公開し、5作品目の「流しのMCフジモト  両手にキャバ嬢の巻」を今日公開した。

今のところnoteで発表した作品を順次TapNovelにしているのだが、noteにまだ上げていない埋蔵作品もまだまだあるなと脳内を検索。「あれがあった」と思い出し、メールの送信履歴を検索すると、原稿を掘り出せた。

「ギターはピアノに恋をした」読み合わせを踏まえて加筆版 20151218 今井雅子

言葉と音楽のユニット「音due.(おんでゅ)」の2nd Liveに書き下ろした作品。「Heart」をテーマに 2/13(土)14(日)に上演ということで「バレンタインデーにちなんだ物語」をリクエストされていた。

さすらい駅わすれもの室のブラウニー編(男性が失恋する「彼の苦いブラウニー」と女性が失恋する「彼女の苦いブラウニー」)とあわせて書いたのが、「ギターはピアノに恋をした」だった。西村ちなみさん、大原さやかさんの声、窪田ミナさんのピアノ、当時メンバーだった小笠原肇さんのギター。4人の音色にあて書きした。

読み合わせに立ち合わせてもらい、言い回しや長さを調整し、原稿を仕上げた。

上演時にタイトルが「ギターは〜」から「ギターが〜」に変わっていて、あれっとなったが、こちらで正解だった。「ギターが」でいい、ではなく、「ギターが」が良い。

物語は「ギターピアノに恋をした」で始まり、「ピアノギターに恋をした」で終わる。

ピアノは「が」より「は」がいい。

ギターの片想いが両想いに変わるまで。
ピアノの音に色がつき、気持ちにも色がつくまで。

この物語に流れる時間がとても好きだ。

コロナ禍で物理的にも精神的にも閉じ込められることが多かったこの数年。個人も世の中も肩を丸め、縮こまってしまっているようなところがある。でも、どこにいても、気持ちを解き放ち、遠くへ飛ぶことはできるんだと、スタジオでの一夜の出来事に励まされる。

noteのタイトルをつけるにあたり、「色」を入れたかった。スタジオから出たことのないピアノに、ギターは音で外の世界を見せようとする。音に色がついたとき、世界にも気持ちにも色がつく。

上演される方はclubhouse「ものがたり交差点」clubをお使いください。
(  )内は演奏を伴う際のト書き。朗読時は読み上げる必要はありません。

【登場人物】
ギター
ピアノ
ギタリスト
ピアニスト
バイオリン奏者
フルート奏者

今井雅子作「ギターがピアノに恋をした」

リハーサルを終えると、時計は真夜中の十二時を回ろうとしていた。四人の演奏家は、最終電車をつかまえるため、急いで持ち物をまとめはじめた。

ピアニスト「ここ、鍵をかけますから、楽器は置いていけますよ」

スタジオの持ち主であるピアニストが言った。声にも髪にも肌にも艶があって、近づくと薔薇の香りがする。あるとき神懸かりな演奏の真っ最中に、彼女は突然ピアノに突っ伏した」

(ジャーンと突っ伏されたピアノが鳴る)

気分が良くなったのも、目が回ったのも、ピアノに塗ったニスのせいだった。だが、昇天ピアニストの伝説は一人歩きし、彼女の浮き世離れした美貌とあいまって、天女というあだ名がついた」

ギタリスト「じゃあ、俺は置いて行こうかな」

ギタリストは、ケースに納めかけたギターを壁に立てかけた。生まれつきという縮れ毛が好き放題に伸びて、こんもり盛り上がっている。中から鳩が出て来るという噂があるが、もちろん噂に過ぎない。ギターの腕前は確かだが、それだけでは女を口説けない。世界中を飛び回る彼に寄り添うのは、美女ではなく、ギターだ」

バイオリン奏者「ぼくは連れて帰るよ」

バイオリン奏者は、細くしなやかな指で、バイオリンをビロード張りのケースに納めた。リハーサルであろうと必ず襟のついたシャツを着て、髪には櫛目が入っている。

もちろん靴はバイオリンに負けないほど磨き込まれている。その靴を玄関で脱いだら、ぴっちりそろえるタイプだ。

穴のあいたジーンズが定番のギタリストとは、まるで話がかみ合わない」

フルート奏者「わたしも、そばに置いていないと落ち着かないんです」

フルート奏者は、布でくるんだフルートをケースに納めた。少女の面影を残しているが、恋人をとっかえひっかえしているという噂だ。

練習中は外していた指輪が薬指に戻っている。先週の指輪とデザインが違う。今夜は、その指輪の贈り主の元へ向かうのだろう」

ギタリストとバイオリン奏者とフルート奏者に続いて、最後にピアニストがスタジオの灯りを消し、ドアの鍵をかけた。

ピアノとギターが残された。

ついさっきまで音が飛び交っていたスタジオは、しんと静まっていた。しかし、ギターの胸の内では、鼓動が高鳴っていた。

ギターはピアノに恋をしていた。

一目惚れだった。このスタジオで、はじめてピアノを見たとき……

(音階を急降下して恋に落ちるギター。)

音階を駆け下りるように、ギターは恋に落ちた。

リハーサルを重ねるたび、想いは募った。けれど、ピアノとの距離はいっこうに縮まらなかった。

ギターとピアノの間にはフルートとバイオリンがいた。ピアノは気高く、近寄りがたく、ギターはフルートとバイオリン越しの彼女を眩しそうに見上げるだけだった。

なのに、それなのに……まさか、こんな真夜中に、二人きりになれるなんて。

突然訪れたチャンスを、ギターは持て余していた。何か気のきいたことを言いたいが、何も思いつかない。

下手なことを口走って、バカだと思われたくないが、何か言わないと、胸を打ち鳴らす鼓動がピアノに聞こえてしまいそうだ」

ギター「行っちゃったね」

沈黙を散らすように、ギターは明るく言った。

ピアノ「ええ。行っちゃったわね」

ピアノは凛とした声で答えた。

ギター「たいてい置きっぱなしにされるんだよなー。図体がデカいから邪魔なんだ」

ギターは軽薄すぎないぎりぎりの軽やかさを狙って、からりと言った。

ピアノ「それイヤミ?」
ギター「え?」
ピアノ「わたしなんて、いつも居残りよ。持って帰りたくても無理ね。あなたより図体がデカいから」
ギター「あ……」

なんたる失言。

ギターは激しく後悔した。

早く、なんとかして挽回しなくては。

ギター「ごめん、ちょっといじけてたんだ。バイオリンもフルートもあんなに大切にされてるのに、俺のギタリストときたら、ケースにも入れずに帰っちゃうんだからさ……そりゃバイオリンやフルートに比べれば、高価とはいえないけれど」
ピアノ「そう? あなたのその飴色のボディ、堂々のヴィンテージじゃない」
ギター「中古で安くなってたんだ。キズがついてるって値引きされてさ」
ピアノ「そのおなかのキズ、どうしたの?」
ギター「俺の最初の持ち主が道端で弾いていたら、酔っぱらいがいきなり俺の横っ腹を蹴りやがった。弾みで俺はギタリストの手から離れ、地面に体を打ちつけたんだ」
ピアノ「まあ」
ギター「そのときについたキズさ。名誉の負傷ってやつかな」
ピアノ「だったら、箔がつくってもんだわ。それを値引きするなんてひどい」
ギター「ありがとう。今のきみの言葉が勲章代わりさ。ああ、なんだか夢みたいだ」
ピアノ「夢?」
ギター「きみは俺なんて眼中にないって思ってた。きみ、バイオリンしか見てないだろ」
ピアノ「そんなことないわ」
ギター「バイオリンとからんでいるとき、あんなに音が弾んでる。同じ弦楽器でも俺とは育ちが違うからね」
ピアノ「そんなにヒクツになることないんじゃないの?」
ギター「夏にやったリサイタルのアンケートに書かれてたよ。ギターとバイオリンどっちかでいいって」
ピアノ「ギターがいらないとは書いてないじゃない」
ギター「そうだけど……俺のソロよりバイオリンのソロのほうが拍手が多い。オーケストラにだってギターはいない」
ピアノ「ギター君て、意外とヒガミっぽいのね。もっと自信家だって思ってた」
ギター「普段はね。でも、なぜだろう。きみのことになると自信がなくなるんだ。ギターって、なんかイケてないなって」

(ギターが哀しげで弱気な音色を奏でる。)

ピアノ「あ、今の音」
ギター「何?」
ピアノ「今の音、ゾクッとした」
ギター「この音?」

(ギターが先ほどの弱気な音色を奏でる。)

ピアノ「そう、いつもは強気なギター君の弱音(よわね)」
ギター「弱音?」
ピアノ「弱音って弱い音って書くのよね。弱々しくて、か細くて、情けなくて、折れそうな、ぎりぎりの音。わたしが支えなきゃって母性本能くすぐられちゃう」
ギター「じゃあ支えてもらおっかな」
ピアノ「ダメ。もっと聞かせて、あなたの弱音。ねえ、エレキギターだったら、もっとモテたのにとか思ったりする? アコースティックギターを略してアコギってイケてないとか思ったりする?」
ギター「そこまで言う?」
ピアノ「自分で言ってたくせに。ギターはイケてないって」
ギター「自分で言うのはいいけど、人に言われると傷つく」
ピアノ「ごめんなさい」
ギター「いいよ。この痛み、嫌いじゃない」
ピアノ「そう?」
ギター「かさぶたが固まりきってないのがわかっていて剥がしちゃう感じ。わかる?」
ピアノ「かわいい」
ギター「え?」
ピアノ「前から思ってたの。ちょっと生意気なとこがキュンとしちゃうなって」

(ギター、照れる音を奏でる。)

ピアノ「やだ、照れてる?」
ギター「からかってるなら、そのくらいにしてよ。期待した分、がっかりするから」
ピアノ「……」
ギター「それ以上やさしくされたら、もう引き返せないくらい、好きになってしまうから。きみのこと考えて、演奏なんてできなくなるから。楽譜なんて無視して、好きだ好きだ好きだって言い続けちゃうから」

(ギターがクレッシェンドしていく。)

ピアノ「(笑い飛ばして)」
ギター「え?」
ピアノ「嘘、嘘、ぜーんぶ嘘。冗談。ちょっとからかってみただけ」
ギター「やっぱり……」
ピアノ「ごめんね」
ギター「……そうだよね。でも、良かった。今ならまだ引き返せる。きみは、きみのピアニストそっくりな、世間知らずの天女様だ。苦労知らずの箱入り娘のまま大人になったんだ。いつだってみんなの真ん中にいて、地球は自分のために回ってるって信じてる。俺とは住む世界が違うんだ」
ピアノ「そうね。わたしとあなたとは住む世界がまるで違う」
ギター「言われなくてもわかってる。きみみたいな高嶺の花は、バイオリンみたいにステータスもプライドも高いおぼっちゃんがお似合いなんだ」
ピアノ「そうね。ルックスはバイオリンのほうが好み。声もね。あっちのほうが断然セクシーだし」
ギター「ダメ押ししてくれなくても、十分こたえてるよ。きみの本音が聞けたと思ったのに、肩すかしだったね」
ピアノ「本音?」
ギター「偽りのない、本当の音」
ピアノ「……」
ギター「じゃあ、俺はもう寝るね。今日は疲れたから。おやすみ」

(ギターが寝息を奏でる。)

ピアノ「シミがひとつ。シミがふたつ。シミが三つ……」
ギター「(目を覚まして)な、なに?」
ピアノ「天井のシミを数えてるの」
ギター「羊じゃないんだ?」
ピアノ「ひつじって何?」
ギター「え? きみ、羊を知らないの?」
ピアノ「引き継ぎなら知ってるわ」
ギター「いや、ひつじは動物だ」
ピアノ「犬や猫みたいな?」
ギター「そう。牛や豚みたいな」
ピアノ「牛や豚はわかるわ。牛肉や豚肉になって食べられる動物のことね」
ギター「羊を食べる人もいるけど、きみ、ほんと筋金入りの箱入り娘だね」
ピアノ「そうよ。わたしは苦労知らずで世間知らずの天女様。だって、わたしの世界は、このスタジオがすべてだもの」
ギター「ここがすべて?」
ピアノ「太陽の光が届かない、月明かりも射さない、地下一階の窓のない部屋。わたしは、ここから出たことがないの。防音設備完璧の音楽スタジオ。音も漏らさな
いけど、わたしも閉じ込められてる。まさに箱入り娘ね。笑っちゃう、空を見たことがない天女なんて。見上げた先にあるのは、代わり映えのしない天井。毎日毎日同じ景色。この死にたくなるほどの退屈があなたにわかる?」
ギター「死にたくなるほどの退屈……」
ピアノ「だから年下の男の子をからかうしか楽しみがないの。その子が先に寝ちゃったら、天井のシミを数えるくらいしかやることがないの」
ギター「……そういうことなら、どうぞ俺をからかってください」
ピアノ「え?」
ギター「天井のシミを数えるよりは楽しいでしょう。それであなたの死にたくなるほどの退屈が和らぐなら、喜んで餌食になります」
ピアノ「餌食?」
ギター「あ、いえ……」
ピアノ「結構よ」
ギター「遠慮はいりません」
ピアノ「ダメよ」
ギター「どうして?」
ピアノ「だって……さっき、ちょっと楽しかったから」
ギター「だったら……」
ピアノ「あなたが言ったんじゃない。期待した分、がっかりするって」
ギター「え……?」
ピアノ「あなた、どうせ行っちゃうじゃない。あのドアの向こうに。わたしを残して。あなただけじゃないわ。みんな、誰もかも。だからわたしは恋なんてしない。
したって先はないの。ときめくだけ損よ」
ギター「そっか。それでか」
ピアノ「何?」
ギター「きみの音は美しいし正しいけれど、何かが足りないって思ってた」
ピアノ「何かって?」
ギター「色がないんだ」
ピアノ「色がない?」
ギター「あ、色が何のことかわからない?」
ピアノ「それくらいわかるわ。前にここに通っていたサックス奏者が娘を連れて来ていたの。その子、お父さんを待ってる間、おとなしくお絵描きしてた。二十四色のクレヨンでね。でも、音には色なんてない」
ギター「そんなことないよ。音色は音の色って書く。きみの音には色がない。ないっていうか、変わらないんだ。ゆらぎがなくて、隙がなくて、ドキドキしなくて、
つまり色気がない。音色じゃなくて、ただの音なんだ」
ピアノ「しょうがないじゃない。ずっと同じ景色なんだもの。退屈で単調な音しか出せなくなっちゃうわよ」
ギター「そう。それが物足りない」
ピアノ「どうせわたしは世間知らずの天女様」
ギター「怒ってる? ごめん。言い過ぎたよ」
ピアノ「いいの。本当のことだもの」

(ピアノを哀しく響かせながら)

ピアノ「気づいてた。わたしには何かが足りないって。遊び。余白。色。音を彩るスパイス。そんな、ちょっとしたことだけど、決定的な何か……。スタジオに出入りする他の楽器にあって、わたしにないもの。それはドアの向こうの世界を知っているかどうかってこと」

(ピアノがクレッシェンドしていく。)

ピアノ「いっそ誰かわたしをここから連れ出してくれたらいいのに。無理矢理引きずり出して、ドアにぶつけてでも。少々キズがついたってかまわない。太陽の光を
浴びられるのなら。外の空気を吸い込めるのなら」
ギター「それが、きみの本音?」
ピアノ「そうね。ここから出たい。外の世界を見たい」
ギター「ありがとう。話してくれて」
ピアノ「だから、期待させちゃダメだって言ってるでしょう? あなたには無理。わたしを連れ出すことなんてできない。できないくせに、言わせないで」
ギター「わかった。じゃあ、俺もここに残る。きみと一緒に」
ピアノ「どうやって?」
ギター「俺のギタリストときみのピアニストが恋に落ちればいい」
ピアノ「そんなこと、できるの?」
ギター「俺たちの音が最高の相性だってことを見せつけるんだ。そうしたら、俺のギタリストときみのピアニストは、離れられなくなる。俺のギタリストはこのスタ
ジオに通う。俺をここに置きっぱなしにして」
ピアノ「ねえ、いつからあなたとわたしは最高の相性になったの?」
ギター「! いつからって……だって、みんな行ってしまうから恋なんてしないってきみが……」
ピアノ「言ったけど、あなたが残るなら、あなたに恋をするなんて言ってない」
ギター「……そうだね。じゃあ、俺に恋をしてくれなくっていい。でも、きみには、ときめいてほしい」
ピアノ「どういうこと?」
ギター「ときめいたきみの音がどんな色に染まって、どんな音色を奏でるのか、聴いてみたい」
ピアノ「どうやってわたしをときめかせる気?」
ギター「俺がきみに外の世界を見せてあげる」
ピアノ「あなたバカ? 何度も言ってるでしょう? ここから出て行くことはできないの」
ギター「わかってる。だから、外の世界をここに連れてくる」
ピアノ「どういうこと?」
ギター「どの国の話を聞きたい? きみが知りたい国の名前を言って」
ピアノ「国……?」
ギター「国がわからない?」
ピアノ「作曲家の故郷の国なら言えるわ。バッハはドイツ。チャイコフスキーはロシア。ショパンはポーランド。モーツァルトはウィーン」
ギター「ウィーンは国の名前じゃないけどね」
ピアノ「え?」
ギター「オーストリアっていう国の都だよ」
ピアノ「……とにかく、せっかくなら、名前を聞いたことのない国の話を聞きたいわ」
ギター「じゃあ、動物は何が好き? どんな動物を知ってる? 犬と猫と牛と豚の他に」
ピアノ「象とキリン」
ギター「ふうん。羊は知らないのに?」
ピアノ「今夜わたしのピアニストが着ていたでしょう? 象とキリンの柄のセーター」
ギター「そうだっけ。ごめん。きみのことしか見てなかった」
ピアノ「わたしのピアニストは同じ柄の半袖のシャツも持ってるの。だから、象とキリンは知ってる」
ギター「じゃあ象とキリンが暮らしている国のことを話そう。ここからずっとずっと南、赤道をまたぐ国なんだ」
ピアノ「セキドウ?」
ギター「赤い道って書くんだ」
ピアノ「赤はわたしのピアニストの唇の色ね」
ギター「うん。その赤い道が地球の真ん中をぐるっと一周してる」
ピアノ「そんな長い赤い道があるの?」
ギター「本当に道があるわけじゃないよ。見えない道なんだ」
ピアノ「見えない道なのに赤いの? どうして?」
ギター「どうしてなんだろう。地図では赤い色で描かれている。だからかもしれない」
ピアノ「ふうん」
ギター「赤道があるところは、地球でいちばん太陽に近いんだ。だから、太陽もとても大きく見える」
ピアノ「太陽は見たことないけど、色はわかるわ。サックス奏者の娘がクレヨンで真っ赤に塗ってた」
ギター「真っ赤とは限らないよ。だいだい色のときも黄色いときもある。きみ、虹を見たことはある?」
ピアノ「サックス奏者の娘がクレヨンで描いた虹は見たわ。雨上がりの空にかかる七色の橋でしょう? 赤色、だいだい色、黄色、緑色、青色、藍色、紫色の順に色
が並んでた」
ギター「そう。その赤色とだいだい色、だいだい色と黄色の間には、たくさんの間の色があるんだ」
ピアノ「間の色?」
ギター「同じ場所から太陽を見ても、朝、昼、夕方、時間によって違う色に見えるし、春、夏、秋、冬、季節によっても少しずつ違って見える。色が移り変わるんだ」
ピアノ「季節って、よくわかってないの」
ギター「きみのピアニストが象とキリンのセーターを着ている季節が冬、象とキリンの半袖のシャツを着ている季節が夏、冬と夏の間が春で、夏と冬の間が秋だよ」
ピアノ「春と秋には何を着るの?」
ギター「半袖のシャツにカーディガンを羽織ったりするんじゃないかな」
ピアノ「ふうん」
ギター「俺が赤道をまたぐ国に行ったとき、季節は冬だったけど、その国は一年中暑くて、みんな半袖か、それより薄着だった。そこで、キリンの赤ちゃんが生まれるのを見たんだ」
ピアノ「キリンは黄色でしょう?」
ギター「黄色っていうより茶色に近いかな。ぼくのギタリストが今夜着てたセーターみたいな色」
ピアノ「ごめん。あなたのこと、見てなかった」
ギター「そうなんだ……」
ピアノ「傷ついた?」
ギター「うん……でも大丈夫。とにかくキリンは黄色より茶色い」
ピアノ「キリンの卵もそういう色なの?」
ギター「キリンは卵から生まれないよ。キリンの形をして生まれるんだ」
ピアノ「そうなの?」
ギター「うん。それだけじゃない。お母さんから産み落とされたキリンは、四本の足を踏ん張って、立ち上がるんだ」
ピアノ「生まれたばかりなのに?」
ギター「今も覚えてる。細いひょろひょろの足を大地にしっかりと立てた赤ちゃんキリンの後ろに大きな太陽が昇っていた。命の誕生をお祝いするみたいにね。その
とき太陽の色はピンクに近いだいだい色だった。俺を抱えていたギタリストも、
俺も、どうしようもなく歌いたくなった。ほとばしるように、音があふれた」

(ギター、キリンの誕生に捧げる曲を弾く)
(ピアノ、加わる)

ピアノ「これが、赤い道の上でキリンが生まれたときの景色の色?」
ギター「そう」
ピアノ「こんな音、今まで弾いたことがない気がする」
ギター「きみの音が新しい色に染まったんだ。すごく素敵だよ」
ピアノ「次はどんな景色を見せてくれるの?」
ギター「そうだね。じゃあ、赤道をこえて、もっと南へ行こう。流れ星を見に」
ピアノ「流れ星?」
ギター「オーストラリアっていう国に行ったとき、流れ星がいくつもいくつも降ってきた。はるか彼方の宇宙からたどり着いた光が、瞬くほどの短い時間に、きら
めいて、地平線に消えていった」
ピアノ「流れ星はどんな色?」
ギター「そうだね……真っ黒に塗り込めた夜空に光のひっかき傷をつけていく感じ」
ピアノ「光のひっかき傷?」
ギター「うん。音に例えるなら、高くて、短くて、しっぽみたいに余韻をすうっと残して……」

(ピアノ、流れ星のイメージを奏でて)

ピアノ「こんな感じ?」
ギター「そう。そんな感じ! あ、また降ってきた」

(ギター、流れ星のイメージを奏でる。)

ピアノ「あ、あっちにも」

(ピアノ、流れ星のイメージを奏でる。)

(流れ星のイメージを奏で合うギターとピアノにかぶせて)

ピアノは恋をした。

見えない赤い道に。

生まれたてのキリンのたくましさに。

流れ星の光のひっかき傷に。

(モンタージュ。世界の様々な景色の色を奏でるギターとピアノ)

ギターが新しい世界を連れてくるたび、ピアノの心はときめき、新しい色を覚えた。言葉を覚えはじめた幼い子どものように。

(溶け合うように高まっていくギターとピアノ)

ギター「今わかった。俺が世界中を旅して回ったのは、きみに伝えるためだったんだ」
ピアノ「今わかった。わたしがここに閉じ込められていたのは、あなたに世界を見せてもらうためだったのね」

(クレッシェンドしていくギターとピアノ)
(高まりきったところで突然鳴り止むギター)
(少し遅れてピアノが鳴り止み)

ピアノ「どうしたの?」
ギター「気づいてる? きみの音、もう退屈なモノトーンじゃない。虹みたいに、無限の色を抱きしめてる」
ピアノ「あなたが染めてくれたのよ」
ギター「これでバイオリンはますますきみにちょっかいかけてくる。バイオリンだけじゃない。このスタジオにやって来るヤツらは、きっと入れかわり立ちかわりき
みを口説くんだ。悔しいよ。きみの色を引き出したのは、この俺なのに」
ピアノ「ギター君……」
ギター「ああイヤだ。俺はなんてちっぽけなヤツなんだ。きみが素敵になるのを素直に喜べないなんて。バイオリンより図体はでかいくせに、ハートはピックよりも
小さいんだ」
ピアノ「妬いてくれてるの?」
ギター「うん、どうしようもなく妬いてる。きみのカラフルな音色に色目を使う、まだ見ぬライバルたちにね」
ピアノ「嫉妬の色は、どんな色?」
ギター「軽い焼きもちなら、青みがかった黄色かな。それとも淡い紫色? でも、今俺の胸の内側でドロドロと渦巻いている焦りと妬みは、黒みがかった暗い赤だ。
錆びついた鉄の色。ギーギーときしんで、尖っていて、うっかりなでると、やわらかな手のひらを傷つけるんだ」

(ギター、暗い嫉妬のイメージを奏でる)

ピアノ「……うれしい」
ギター「うれしい? 俺の錆び色のギスギスした心が?」
ピアノ「その色をわたしが引き出せたことがうれしいの。おぼっちゃまのバイオリンには出せない微妙で絶妙な音色よ」

ギター「そう……なのかな?」

ピアノ「心をかき乱されて、ばらばらにほどけそうになって、ぎりぎり持ちこたえているその感じ。狂おしいほど悩ましくて、今のあなた、ハッとするほどセクシーよ」

ギター「また俺をからかってる?」

ピアノ「からかってなんか……。冗談と本音の見分けもつかないの?」

ギター「ううん……ほんとは信じたい。今のきみの言葉は、本音だって」

ピアノ「……」
ギター「どうしたの? なぜ黙ってるの?」
ピアノ「わたしも嫉妬するわ」
ギター「え?」
ピアノ「フルートがあなたに恋をするかもしれない」
ギター「何言ってるんだよ。フルートはフルート奏者に似て気が多いんだ。きっと彼女も新しい恋人に夢中さ」
ピアノ「でも、今のあなたの音色を聞いてしまったら……」
ギター「かいかぶりすぎだ」
ピアノ「あなただって悪い気はしないでしょう? あの子、わたしよりずっと若いし、お肌だってピカピカだし……若さという宝石は若いほど値打ちがあるのよ。あなたとフルートは、二人でスキップしながらこのドアの向こうに消えるの。そしてわたしは置いてけぼり」

(ピアノの音が嫉妬でかき乱される)

ギター「今のきみの音色」
ピアノ「え?」
ギター「赤の熱さと青の冷たさがまじりあって、渦を巻いて、なんともそそられる」
ピアノ「ほめてるの?」
ギター「ああ、その色に名前をつけたい。『箱入り娘の葛藤』それとも『天女様の錯乱』?」
ピアノ「意地悪な人ね。わたしの心をもてあそんでる」
ギター「さっきの仕返し」
ピアノ「で、どうなの? フルートに迫られたら、あなた断れないでしょう?」
ギター「ああいう軽い子は好きじゃないんだ。誰にでもほいほい持ち上げられるなんて、軽薄だよ」
ピアノ「もちろん重さではあの子に負けないわ。(ハッとして)もしかして、わたし、目方で選ばれたの? 持ち上げられないほど重いから身持ちがいいって? それってレディに失礼じゃない?」

(ピアノが不協和音を奏でる)

ギター「あーダメダメ、音が濁っちゃってる」
ピアノ「わたしの取り柄は重さだなんて言うから」
ギター「そんなこと言ってない」
ピアノ「言った」
ギター「せっかく二人きりになれたんだ。もっとからもうよ」
ピアノ「からむなんて、ストレートなのね」
ギター「俺たちは、誰かの音と、ううん、誰かの音色とからむために生まれてきたんだから」

(ギターとピアノ、じゃれあうように音を投げあう。その音、弾んでいく)

窓のない地下のスタジオ。外ではもう太陽が昇り、あたらしい一日がはじまっていることを二人は知らない。

ピアノはギターに恋をした。

(The Happy End)

clubhouse朗読をreplayで

2023.2 鈴木順子さん(note本文も)

2023.8.11 鈴蘭さん×おもにゃんさん

2024.2.28 鈴蘭さん×こたろんさん×YUMIKOさんのピアノ

目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。