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おまけの人生を通り越して─とっておきのお薬

2009年と2010年のUSJクリスマス特設サイトに寄せた連作短編小説「クリスマスの贈りもの」。「クリスマスのUSJを舞台にしたお話を」と注文を受け、一気に書いた10本のうち「サンタさんにお願い」「男子部の秘密」「てのひらの雪だるま」「パパの宝もの」の4本が掲載され、2年目に「壊れたビデオカメラ」を加えた5本が掲載された。

残る5本「地上75センチの世界」「とっておきのお薬」「映画みたいなプロポーズ」「ジグザグ未来予想線」「ぺったんこの靴下」をメールの受信箱から解き放ち、公開する。

クリスマスに向けてclubhouseで読んでくださる方がいたら、耳で校正させてください。


今井雅子作「とっておきのお薬」

2週間前に救急車で運ばれた老人とは思えない足取りだった。手を引く幼い孫娘が張り合いになっているのだろうか。

父と娘のすぐ後ろを歩きながら祥子はいくぶん安心したが、まだ油断は禁物だ。発作が起きたときに飲ませる薬がバッグのポケットに入っていることを何度も確かめ、片時も父とわが子から目が離せない。

この冬いちばんの冷え込みになると家を出る前に見たテレビの気象情報が告げていた。日を改めようかとも思ったが、数日ずらしたところで春の陽気が訪れるわけではない。ただ単に怖じ気づいているだけなのだ。もし、何かあったら、取り返しのつかないことになるのではないかと。

スープの冷めない距離に一人暮らししている父とは、毎日どちらかの家で夕食を共にしている。父が胸を押さえてうずくまり、椅子から落ちて意識を失ったのは、ちょうど祥子の家で食卓を囲んでいるときだった。119番通報をし、電話口の救急隊員の指示に従って心臓マッサージを試みた。救急車のサイレンが聞こえるまでの時間がもどかしいほど長く感じられたが、実際は5分足らずの出来事だった。救急隊員に心臓マッサージを引き継ぎ、祈る思いで見つめながら、最悪の事態を覚悟した。

「じいじがしんじゃう。じいじがしんじゃう」

泣きじゃくり、父のそばへ駆け寄ろうとする娘の深雪を、夫が押しとどめていた。3歳児にも死ぬってことがわかるのかと祥子はぼんやり思った。胸に突き刺さるような娘の声が、これは悪夢ではないと告げているのに、祥子は医療ドラマの一場面に立ち会っているような現実感のなさを感じていた。

ビリビリと壁を震わせる深雪の泣き声が父の心臓に届いたのか、

「動きました!」

救急隊員のその声で、祥子の目はようやく現実の世界とピントが合い、「お父さん!」と声を上げた。

救急車で搬送された先の病院で、今後も発作の可能性があると診断した医師に、ペースメーカーを埋め込みますかと祥子は問われた。そんなに悪いんですかと祥子は取り乱したが、心臓を規則正しく動かすための見張り番のようなものですと医師は淡々と説明した。肉親の心臓に異物を埋め込む一大事を、自転車にかごを取りつけるかのようなそっけなさで告げられ、祥子は反感を覚えつつ、大して騒ぐことではないのかと悟った。実際、手術はあっけないほど短時間で終わり、数日間経過を見て、あっさりと退院許可が下りた。

退院した父に快気祝いは何がいいかと聞いたとき、まさかUSJという答えが返ってくるとは、祥子は予想していなかった。

「ミューと約束したんや。クリスマスに一緒に行こうって」

深雪と父がそんな約束を交わしていたことを祥子は知らなかった。このところ深雪が「クリスマスいく! クリスマスいく!」としきりに口にするので、「クリスマスは、行くものやなくて、来るものやで」と正していたのだが、クリスマスのUSJに行くことを指していたのかとようやく思い至った。

「お父さん、しばらくは無理したらあかんわ。病み上がりなんやから」

祥子はそう言い聞かせたが、

「クリスマスをやってるうちに行くんや」

と父はいつになく強情に言い張った。

「クリスマスは来年も来るやん」
「いいや、今年のクリスマスやないと、あかん」

今年のクリスマスやないとなんて言わんといて、と祥子は胸を締めつけられる。まるで来年がないみたいやん。

他のところにしたらと心臓に優しそうな水族館やプラネタリウムを提案したが、どうしてもUSJへ行くのだと譲らない。命に代えても孫との約束を果たすのだと言わんばかりだ。

父が思いとどまるよう説得してもらえないかと手術を担当した医師に相談すると、

「とくに外出の規制はありませんから、自己責任で行動してくだされば結構です」

とやんわりと逃げられ、祥子はますます弱った。

「この年になれば、どこかしらガタが来るもんですからね。車なんか、70年も乗れないでしょう。でも、体は乗り換えるわけにいきませんから、上手になだめて、最後まで乗り続けるしかないんです」

医師のわかりやすすぎるたとえは他人事に聞こえ、祥子を苛立たせる。あの大らかさがいい、安心感があると夫は信頼を寄せるが、主治医なのだからもう少し親身になって欲しいと祥子は思う。

「日本人男性の平均寿命は超えていますから、生まれてきた元は十分取りましたよ。あとの人生は、おまけです」

そんなことも言われた。父に万が一のことがあっても、おまけだと思えば諦めがつくとでもいうのだろうか。やはりあの医師はいい加減で、アテにならない。

「ミュー、おじいちゃんにな、USJ行くのん、もっとあったかくなってからにしようって言ってくれへん?」

かわいい孫の頼みなら父も受け入れるだろうと祥子は期待したのだが、

「いやや。ミューちゃん、いきたいもん」と予想通りの答えが返ってきた。

「おじいちゃん、こないだ手術したやろ。もっと元気になってから行ったほうが、いっぱい遊べるで」

深雪にとってもいいことなのだと必死に言い含めようとしたが、

「じいじ、ミューちゃんとあそぶと、げんきになるねん。ミューちゃんは、じいじのおくすりやもん」

娘にこう言い切られては、親の負けだ。

夫に相談すると、「お義父さんの言う通りにしてあげたら、ええやん。思い残しのないように」と言われた。

「思い残し?」

その言葉が引っかかって、「そんなこと考えてるん?」と咎める口調になったが、それは祥子も考えていることだった。

「俺はな、自分の親父で苦い思いしてるから」

一昨年の暮れのことだ。福岡で一人暮らししていた夫の父が、今すぐ帰ってきてくれと電話を寄越した。そんなことは初めてだったが、夫はクリスマスが終われば仕事が一段落するから、次の週末に帰ると返事をした。だが、その帰省の予定は、3日早まった。父親の通夜へ駆けつけるために。

死因は交通事故だったから、最後の電話と急すぎる死を結びつけることはできない。けれど、夫は、あのとき何を差し置いても帰っていれば、あんなに早く父親を喪うことはなかったのではと悔やみ続けている。

老いた親のわがままは、無理してでも叶えよ。それが胸の痛みと引き換えに夫が得た教訓だ。

「バンジージャンプするわけやないんやし、USJに行ったからて、命を縮めたりせえへんやろ」

夫の言葉にうなずきつつ、祥子の心は揺れた。長患いの末に亡くなった母を毎日のように見舞っても、見送ったときの喪失感は大きかった。できることなら、あんな思いは、一日でも先に延ばしたい。父を喪うことを怖れる気持ちも父に長く生きて欲しいと願う気持ちも、そこから来ている。だから、臆病になる。

「行かんで後悔するより、行って後悔するほうが、ええって。お前もついて行くんやし、なにかあっても対応できるやろ」

夫のその言葉で、祥子は父とその孫である娘の約束実行を引き受ける覚悟を決めた。最後の親孝行と言うと大げさだが、お互いに悔いを残さないようにという差し迫った気持ちが背中を押した。

そうして、父と娘と3人でUSJへやって来た。

父の体調を気遣いながら、あたたかい屋内で過ごす時間を長く取った。深雪の小さな歩幅は、早く歩けない父には、ちょうど良かった。深雪は父の手をしっかりと握り、「じいじ、じいじ」と話しかける。だいぶ耳が遠くなった父に、すべて聞き取ることは難しいはずだが、父は目を細めて深雪の話に聞き入り、絶妙な相槌を打っている。ふたりの間に言葉は必要ないのかもしれない。

何を見たい、どこへ行きたいとは父は一切言わなかった。年齢制限と身長制限があり、3歳児が楽しめるアトラクションは限られているので、父のせいで深雪がアトラクションを我慢する必要もなかった。

「じいじ、ぴかぴかやねえ。じいじ、きれいやねえ。じいじ、クリスマスいっぱいやねえ」

目を輝かせて、じいじ、じいじと呼びかける孫が、父にとっては、光が降り注ぐイルミネーションよりも眩しい何よりのアトラクションだった。

深雪と手をつないで歩いていれば満足なら、暖房のきいたデパートでも良かったのに。ついそんなことを思ってしまう自分に、祥子は「お父さんが喜んでいるんやから、これで良かったんや」と言い聞かせ、胸の内を誤摩化すように二人にカメラを向けた。

ファインダーの中の父と娘が、遠い日の父と自分に重なった。今の深雪より2つ3つ大きくなった頃だっただろうか。電車で3つ先の駅にあった小さな遊園地へ連れて行ってもらった記憶がある。

「おとうさん、おとうさん」と今の深雪みたいに夢中でおしゃべりしていたのだろうか。うんうんとうなずく父の優しい顔をなんとなく覚えている。でも、父は今よりもっと若々しくて、髪も豊かで、背中も大きかった。肩車されると、景色がうんと変わるほど高かった。

帰らない日々が無性に恋しくなって、祥子は鼻の奥がつんと痛くなった。

コートをはためかせるような風が吹き抜け、体温を奪っていく。日が落ち、冷え込みがいっそうきつくなっている。

「そろそろ帰ろか」と祥子が声をかけると、「いやや。もっとあそぶ」と深雪は案の定ぐずったが、

「じゃあ、ミュー。フォトスタジオに行って、写真撮ろか」と父が言うと、深雪はアトラクションの名前だと思ったのか、「うん、ミューちゃんホトスタジオ、いくう」とジャンプした。

「写真やったら、たくさん撮ったよ」と祥子がデジカメを掲げてみせると、
「ちゃんとした記念写真を撮るんや」と父が言い張る。

そんなことは、これまで一度も言ったことがなかった。観光地で金を払って写真を撮るなんて、もったいない。そう言う父に子どもの頃から我慢を強いられてきた。深雪のお宮参りの家族写真を写真館で撮ったときも、「わざわざ高い金を出さんでも」と渋い顔をした。それに懲りて、七五三の写真は家のカメラで撮った。

その父がフォトスタジオで写真を撮ることにこだわる。今日のUSJ行きといい、記念写真といい、父が何かに固執するたびに「最後の」という理由が意識されて、祥子は胸がふさがれる。

父は今日初めて案内マップを広げ、フォトスタジオの場所を探した。細かい文字を読むのに苦心する父より早く、祥子が場所を見つけた。

お宮参りの記憶がない深雪は、初めて見るフォトスタジオの中をきょろきょろと見回し、「あれなあに? ここ、おもしろいねえ」とはしゃいだ。

「はい、笑ってください」

撮影スタッフの言葉に応えて、深雪はニカッと無邪気に笑い、その笑顔につられて父も笑みをこぼしたが、いろんなことを考え過ぎて、祥子はうまく笑えなかった。

写真を撮り終え、祥子が支払いをしようとすると、「ええんや」と父が制した。父が係員に差し出したカードには「引き換え券」と印字があり、「ご当選おめでとうございます」と笑顔を向けられた。

「悪かったな。わがまま言うて」

フォトスタジを出て、父が珍しく素直に言った。USJの記念写真プレゼント懸賞に応募したのは、かわいい孫のことが頭にあったからだった。当選の通知を受け取り、深雪に「一緒に行こう」と約束した矢先に倒れ、入院となった。

「ベッドの上で、ずっと考えとった。ミューと写真撮るまでは、死んでも死にきれへんて」

祥子の苦手な主治医が「お年の割にはよく頑張られました」と褒めた回復を見せて予想外に早く退院できた心の支えは、一枚の写真引き換え券だったのだ。

「あ、ゆき!」

と歓声を上げると同時に、深雪が父の手を離れ、駆け出した。

ショーが開かれている広場で、真昼の雪が舞っていた。名前に雪が入っている深雪は、親近感があるのか、「ゆき、ゆき」と子犬のようにくるくる回って喜びを爆発させている。

「あと何回一緒に祝えるやろな」

降ってくる雪をつかもうと背伸びし、手を伸ばす深雪を見やり、父がぽつりと言った。

「お父さん、そんなこと言わんといて」

人生の残り時間を数え始めた父の弱気に祥子がしんみりしていると、

「あと十年は一緒に遊んでくれるかな。そこまで生きたら、成人式の着物も見たいし、結婚式にも出んとなあ」

残り時間の引き算かと思ったら、足し算だった。

拍子抜けした勢いで、「なんや、もう、お父さん!」と思わず父の背中を叩いていた。USJ経由病院行きの事態も覚悟して、今日一日緊張していたのは何だったのと馬鹿馬鹿しくなる。寒空の下を歩かせて心臓をびっくりさせたらどうしようと案じるあまり、自分の心臓が縮みそうだったというのに。お父さん、百まで生きるつもりなんやから。

「ママ、なに、わらってんの?」

駆け戻って来た深雪が不思議そうに祥子の顔をのぞきこむ。

「ミューちゃんのお薬、よう効いたわあ」
「おくすりがきいたら、おもしろいん?」

深雪がますますきょとんとなる。封じ込めていた安堵や希望が、笑い声となって弾け、放たれていく。さっきの記念写真のときにこれぐらい笑えば良かったとちょっぴり後悔しながら、祥子はひさしぶりに心の底から笑った。

clubhouse朗読をreplayで

2022.12.7 中原敦子さん

2022.12.23 Yuko Sanoさん 川端健一さん

2023.12.21 鈴蘭さん

2023.12.23 こもにゃんさん(「わにのだんす」も)


目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。