柳生博さんと「Happiness is......」
先月放送されたFMシアター「アシカを待つあした」。ラジオドラマと海からの連想で、随分前に作ったFMシアター「夢の波間」のことを思い出していた。
古文書からラジオドラマ
放送は2003年6月14日。21年前だ。
大阪に帰省した折、母と話していて思いついた話だ。
古文書(こもんじょ)の研究会に入っていた母が取り組んでいたのが、廻船問屋(海運会社と商社がひとつになったようなもの)の記録だった。
「何月何日に何をどんだけ積んだ船がどこへ向かったか、きっちり記録してあるねん」
それを聞いて、「一見単なる備忘録のような古文書から、当時の人々の思いを読み取れたら面白い」と思った。
ちょうど2003年は江戸開府400年。かつて船模型をつくっていた現代の男が、江戸時代の廻船問屋の遺した古文書に出会う話はどうだろう。
二人の男の接点は、海。
海には夢があり、ロマンがある。
そこからが難航した。日本史の知識は悲しいほど乏しく、歴史小説もほとんど読んだことがない。昔の和船の構造と洋船との違い、年号や時間の呼称、鎖国について、神社について、船模型について、調べることは果てしない海のようにあった。
物語の舞台である「佐野浦」は、現在の大阪府泉佐野の辺り。母と古文書仲間のD氏が本や写真や新聞の縮刷版コピーなどをどっさり送ってくれ、二人がかりで船旅を助けてくれた。
着想から脱稿まで5か月近く。寄り道したり漂流しかけたりの長い旅だったので、印刷台本が届いたときの感激はひとしお。少しずつ島影が見えてきて、やっと船が着いたぞという感じだった。
もうひとつの夫婦の物語
柳生博さんと水原英子さん演じる初老の夫婦の話だったが、放送当日、もうひとつの夫婦の物語があった。
八ヶ岳にお住まいの柳生さん、FMの受信情況がよくないので、家から少し下ったところまでカーステレオをつけながら車を走らせてみると、ある地点で急にきれいに音が入るようになった。
自宅にいる奥様を携帯電話で呼び出すと、暗い夜道を一人で心細く下ってきた奥様は「なんでつきあわせるの」という顔。だが、放送がはじまるといつしか作品の世界に引き込まれ、柳生さんとともに涙されたという。
「妻の前で泣くなんてね。暗がりでよかったよ」
照れる柳生さんに、わたしまで泣きそうになった。
その話を聞いたのは放送翌月の2003年7月5日。「ぜひ作曲家と作家に直接感想を伝えたい」と柳生さんは東京まで足を運んでくださった。
主演俳優がほめまくる
柳生さんを囲んだのは、作曲家の大河内元規さん、わたし、主人公の祖父役でいい味を出していた田村元治さん、そして演出の保科義久さん。
宴のテーマは「お互いをほめあおう」。
「今から今井さんをほめますからね」と前置きされてから柳生さんのほめ口上がはじまった。
「本読みの前の作者からの一言がつたなくってねえ、いきなり自分の母親の話なんて、普通しないからねえ。でも、かえって思いが伝わったよ」
「書いてる話の割に妙に若いし、変わったカッコしてるし、それでいて、変に美人じゃないし。よし、この子のために頑張ろうって燃えたんだよな」
母から聞いた古文書の話を膨らませたという執筆背景を話したのだが、そんなにつたなかったのか! そして、内容の割に作家が若いのは、母と古文書仲間の入れ知恵が入っているから。
ほめられているのか同情を買っただけなのかわからないが、柳生さんの役者魂に火をつけたのは確かなようだった。
柳生さんは何度か「今井雅子のホンはそそる」と言ってくださった。
「本が穴だらけだから、役者が埋める余地がある。役者にこうしろと決めつけず、自分ならこうしようと想像させる本だから、読めば読むほど面白くなるんだ」
この言葉は素直にうれしかった。
「穴」は、良く言えば「余白」ですよね。きっと。
柳生さんは続いて大河内さんの音楽を「僕の世代が親しんだ感覚の音が見事に表現されていた」と絶賛し、野口雨情の連続テレビ小説で共演して以来の仲という田村さんを「役者の良心」とベタ誉め。最後に保科さんの演出を「的確で、あれこそが演出だ」とほめちぎった。
作曲家が本読みと収録に立ちあうのは珍しいことらしく、「できるだけ早く物語のイメージをつかみたかった」と言う大河内さんに「えらい!」と賛辞の嵐。
大河内さんは30歳を過ぎるまで広告代理店で営業をやっていたそうで、わたしがコピーライターと二足の草鞋で脚本家をやっている(※会社を辞めたのは2005年夏なので、当時はまだ在職中だった)ことを告げると、「え、あなたも代理店?」と互いにびっくり。コピーライターから脚本家というのはよく聞くが、代理店の営業から作曲家というのは初耳だった。
船長になれなくて役者に
商船大学を出た柳生さんが役者になったいきさつは、視力検査でひっかかって船長になれなかったから。「エデンの東」のジェームス・ディーンに憧れて俳優座の試験を受け、高倍率を突破して合格したそう。
「夢の波間」では、柳生さん演じる定年退職した男性が夢の中で廻船問屋の商人(演じたのは上杉祥三さん)の時代にタイムスリップする。二人の男を結びつける重要なモチーフが「船」。柳生さんは以前から船にご縁があったんですねとうれしくなった。
柳生さんが進めている「噴火で一瞬にして埋まった3500年前の森を掘り起こすプロジェクト」や、柳生さんと柳生一族の関係についてもうかがった。
柳生一族と関係は「ある!」らしく、柳生さんのおじいさんは気合で電柱の雀を落とせたとか。歴史に疎いわたしは柳生十兵衛をよく知らず、映画俳優のルイ・ジューべと柳生十兵衛がごっちゃになるお粗末さで、一同から鋭い突っ込みが入った。
Happiness is......の世界
柳生さんと田村さんがこれまで共演したスターたちの思い出話、ラジオドラマの奥深さ、などなど話は尽きず、7時間に及ぶ宴となった。
愚痴や悪口とは対極にある温かい言葉のやりとりが、お酒でぽわーっとなった頭にはとりわけ心地よく、夢の波間を漂っているような幸せな夜だった。
「僕はいま、『Happiness is......』の世界にいる」
その夜、柳生さんが何度も口にしたのが、「Happiness is...…」。横濱開洋亭に同名のバーがあると話されていた。
当時のわたしは「ビジネスよりハピネス」なんてコピーを書いていたから、「Happiness is...…」という問いかけのような言いかけのようなフレーズにグッときた。
幸せとは、作品を通して好きな人が増えることだったり、自分たちがつくった作品について語り明かせることだったり、また一緒に何かやりたいねと未来を語れることだったり。
その後、もう一度お目にかかることなく、柳生博さんは2022年に亡くなられた。
「Bar Happiness is…(バーハピネスイズ)」も、調べてみると、閉店となっていた。3点コーダは2つつなげる脚本の書式に則って「Happiness is……」と書いていたが、店名の「…」はひとつだった。一度行ってみたいと思いながら、叶わなかった。
「いつか」も「また」も、あてにならない。砂浜に書いたメッセージが波に洗われて消えてしまうように。やがては何を書いたかも忘れてしまうように。けれど、あの夜分かち合った温かな「いつか」「また」は、思い出すたび、何度でも幸せな気持ちにさせてくれる。
今からほめますよと前置きしてほめていただいた夜、わたしもHappiness is......の世界にいた。
目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。