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うたい続けた教え子の映画『山歌(サンカ)』

こちらのnoteを大阪のナレーター小羽勝也さんがclubhouse『山歌』応援ルームにて朗読してくださいました。replayで聴けます。

また、この応援ルームで声が上がった「シネマ・チュプキ・タバタでバリアフリー上映を」が実現。音声ガイドと日本語字幕がついた形で、7/1-15(水曜休)に1日1回上映(15:10-16:27)されます。

チュプキは東京の田端にある日本でただひとつのユニバーサルシアター。座席数20ほどの小さな映画館なので事前予約(上映時間前までキャンセル・変更可能)がおすすめ。予約と詳細はこちらから。このnoteのこともご紹介いただいています。

ひたすら「サンカ」を書く

かつて日本の山々に実在した流浪の民を描いた劇映画『山歌(サンカ)』が2022年4月22日のテアトル新宿、アップリンク吉祥寺を皮切りに全国で順次公開中だ。

財産も戸籍も持たず、自然と共に生きた「サンカ」と呼ばれる人たちのことをわたしが知ったのは、日本シナリオ作家協会のシナリオ講座で2015年度後期(10月から翌年3月)基礎科を受け持ったときだった。受講生の一人が、のちに自らの脚本を監督・プロデュースして『山歌』を世に送り出した笹谷遼平さんだった。

いつも目をキラキラさせて講座に現れ、帰るときにはその目がいっそうキラキラ、ランランしているような人だった。当時赤坂にあった(現在は人形町に移転)シナリオ会館の向かいにあるアメリカンサイズのマフィンを毎回買って帰るのが楽しみなんですと言いながら、ウキウキと帰って行った。

「かなりゴキゲンさん」という印象の人だった。

半年間の講座の間に、受講生はオリジナル脚本を何本か提出し、講評を受ける。家族の話、恋愛もの、お仕事ドラマ……それぞれの受講生の描きたいものや好みは分かれるが、大抵は作品ごとに舞台や設定を変えてくる。

ところが、笹谷さんは、ひたすら「サンカ」のことを書いた。

わたしともう一人の講師の阿相クミコさんが隔週で担当し、メールで報告と引き継ぎをし合っていた。笹谷さんが阿相さんの担当回に提出する作品も、やはり「サンカ」の話だった。

「サンカ」の脚本を講評しながら、わたしは少しずつサンカに詳しくなっていった。どんな脚本でもそうなのだが、登場人物の数だけ生き方、生き様があり、そこから学ぶことができる。

山から山へ移り住んだサンカは、高度成長で生活の場を追われ、山を降りていく。住所があり、電気が通う暮らし。サンカがサンカとして生きられなくなった日本は何を得て、何を失ってきたのだろう。時代背景や日本人の意識の変化を掘り下げる議論が白熱すると、シナリオ講座というより文化人類学や民俗学の講座のようになった。

脚本を書く上で「構成の組み方」「キャラクターの立て方」「セリフのテンポの上げ方」「回想モンタージュの描き方」といった技術はもちろん大事なのだが、もっと大事なのは「自分で物語を深めていけるチカラ」だとわたしは思っている。なぜこの題材を選んだのか。この作品を通して何を描きたいのか。「なんで?」と「そんで?」の問いを自分に投げかけ、彫刻するように加筆を重ねていく。

シナリオ講座を修了してからも笹谷さんは「サンカ」を書き続けた。受賞作品を受賞者自ら映像化するのを後押しする伊参(いさま)スタジオ映画祭シナリオ大賞に3年続けて「サンカ」の脚本を応募し、3年目で大賞をつかんだ。

書き続けるには枯れない情熱と気力体力が必要だが、同じ題材を書き続けるには、出会ったときの「書きたい!」という気持ちに燃料をくべ続けなくてはならない。飽きたり疲れたり諦めたりしそうになるのを押しとどめるもの、焦りや不安やむなしさを上回る何かが必要だ。人によって、それは使命感だったり、手応えだったりする。

「サンカ」の何が笹谷さんを惹きつけ続けたのか。

シナリオ講座基礎科が修了した2016年3月から映画『山歌』が公開される2022年4月まで、足かけ6年。笹谷さんとやりとりしたメールを抜粋で振り返り、「サンカ」を書き続けた教え子のことを紹介したい。

2016年春。シナリオ講座基礎科修了

2016.3.28 笹谷遼平から今井雅子へ
半年間、本当にお世話になりました。先生には甘えっぱなしだったと思います。これから、なんとかキャラクターが動くように精進します。しかし、先生のアイデア力には毎回感嘆しておりました。見習いたいです。

2016.3.28 今井雅子から笹谷遼平へ
半年間熱心に、精力的に吸収してくれて、とても楽しかったです。基礎科とは思えないレベルの高い受講生ぞろいで、とくに意欲は素晴らしかったです。笹谷さんの独特の感性も面白かった!です。

脚本は、書けば書くほど、読めば読むほどうまくなります。語学と一緒ですね。思い浮かんだ場面を呼吸するように書けるまで、良い脚本をどんどん読んで、技を盗んでください。

2016年秋。最終選考に残る

2016.11.21 笹谷遼平から今井雅子へ
私はコソコソと書き続けております。

伊参(いさま)映画祭というコンクールがありまして、6月に中編シナリオを応募したのですが、140本中の10本、最終選考まで残ることが出来ました。受賞はならずでしたが、初の授賞式の緊張感で久々に心臓がバクバクしました。なお、短編も応募したのですが、2次選考止まりでした。

結局その中編作品もサンカをモチーフにしました。赤坂で勉強してた時から2作目で最終まで残ったので、光栄至極なことでした。

今井先生から頂いた「なんでとそんで」のアドバイスが活きたのだと思っています。しかしまだまだ人物造形も甘々で、自分でも納得いくものでは到底ないので、とにかく書いて書いて精進します。なんというか、非常に楽しいです。

2016.11.22  今井雅子から笹谷遼平へ
お名前を見て、あの日焼けした顔がパッと思い浮かびました。お元気そうですね!

そして、嬉しいご報告をありがとうございます。こういうお便りを聞けるのは、何よりの講師冥利です。

最終に残るということは、受賞する可能性があったということ。大いに自信を持ってください。また、審査の講評を聞くのは、とても勉強になると思います。

書き続けていて、しかも楽しいと思える今は伸びる時期です。どんどん書いてください。また、良い脚本や物語もどんどん読んで吸収してください。語学と同じで、表現を使いこなせるようになるほど、自分の書きたいことを思うように、呼吸するように書けるようになります。

2018年秋。大賞をつかむ

2018.11.30 笹谷遼平から今井雅子へ
私は変わらず、山の民「サンカ」を書き続けております。そして、ご報告なのですが、本年の伊参スタジオ映画祭で、なんとシナリオ大賞を頂きました

なので、このシナリオを来年の同映画祭に向けて映画化していく予定です。自分としては、制作につながるので、一番取りたい賞でした。今でも信じられないのですが、シナリオ講座で学んだことが、活きたのだと思っています。先生には心より感謝申し上げます。

2018.12.1  今井雅子から笹谷遼平へ
講座で学んだことを自分のものにして、書き続けていること、さらにうれしいです。その先につかんだ受賞、本当におめでとうございます。「自分で撮って形にしたい」笹谷さんにとって、最高の賞であり、とるべき人の手に賞が授けられた、と思います!

2018.12.1  笹谷遼平から今井雅子へ
正直なところ、先生が仰っていたように、呼吸するように書く境地にはまだまだ遠く。。。息を止めて水中で書いてるみたいです。。。。

2019年冬。ホンを直す

2019.1.8 今井雅子から笹谷遼平へ
(伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞受賞脚本「黄金」を読んで気づいたことを箇条書きで指摘したメールに追伸)

講座の頃からのテーマを貫きつつ、この数年の笹谷さんの葛藤と成長の跡がうかがえて、とてもうれしかったです。

脚本としては、「監督が書いている」ということで、「監督だけがわかっている」という印象を受ける部分がいくつかありました。

スタッフや出演者と「同じ絵」を共有できるよう、柱とト書きはより的確、明快にしたほうが良いかなと思います。たとえば「集落」と書くと、サンカのいるところのほうが「集落」のイメージなので、「街の集落」とするとか、補足が必要かもしれません。

あと、映画ならではの「膨らませどころ」があっさりしてるところもいくつかありました。指摘した部分以外にもあると思います。台詞を削ぎ落とし、絵や空気で語れるところを膨らませると豊かになると思います。

個人的には「海外の映画賞を狙っては?」という気持ちがあり、そういう視点からも台詞は極力減らし、大事な台詞を効果的に印象づけたほうがいいように思います。

「視線」も台詞のかわりになります。雑誌を見ているハナを則夫が見る、ハナがあわてて雑誌を閉じる、それも「言葉のない会話」です。

「余白」を作ることを心がけて、全体を見直してみてください。「余白とは、観客が心を寄せる隙間」です。伝えたいことを全部詰めるより、観客のほうから「どういうこと?」「それで?」と寄ってくる「隙」と「間」を作る。引き算、間合いを意識してみてください。

まだまだ良くなると思います。

2019.1.8 笹谷遼平から今井雅子へ

「余白」を作ることを心がけて、全体を見直してみてください。「余白とは、観客が心を寄せる隙間」です。伝えたいことを全部詰めるより、観客のほうから「どういうこと?」「それで?」と寄ってくる「隙」と「間」を作る。引き算、間合いを意識してみてください。

との言葉を頂き、雷に撃たれました。大げさでなく、本当です。自分のシナリオに今一番必要な言葉でした。諸手を叩きました。

撮影。クラファン。タイトルを「山歌」に

2019.10.27   笹谷遼平から今井雅子へ
もう大分経ってしまいましたが、去る日はシナリオを読んで頂き、誠にありがとうございました。お陰様で、ご指摘頂いたところを考え、考え、考えて何周もし。。。撮影の間際まで粘りました。。。

なぜか、橋口組や篠原組など映画の第一線で活躍されているベテランのスタッフばかりが集まり、キャストも含め、私以外豪華。。。という大変な状況の中撮影を終えました。

是非とも予告編をご覧頂ければと思います。

11月10日のいさまスタジオ映画祭にて初上映されます。そのあとは海外の映画祭に出していこうと思っています。改めて御礼申し上げます。

そしてエンドロールにて、ご「協力」の欄に今井先生のお名前を加えたいと思っています。今井先生は脚本家なので、協力の欄に名前が出るのは微妙なものでしょうか? どうかご検討頂きたく存じます。

本作品はタイトルを「黄金」から「山歌(サンカ)」に改題しました。

そして、現在、クラウドファンディングにて資金集めをしておりまして、もし宜しければ、ツイッターなどで拡散して頂けるとありがたいです。


2019.10.27  今井雅子から笹谷遼平へ
ご報告ありがとうございます。そして、完成おめでとうございます!「山歌」というタイトル、とても良いですね。

予告編を観る前に、クラウドファンディングのページを読みました。撮影監督が脚本に惚れ込んで映画化に弾みがついた、という経緯、実際に集まったキャストやスタッフを見ると、良いホンを書けば、人やお金が集まり、不可能が可能になる、の実証のようで、脚本家の一人として、とてもうれしく、励まされます。

サンカについては、わたしは笹谷さんの脚本から知りました。その存在を知らない人は日本国内にも大勢いると思いますし、ましてや世界ではほとんど知られていないかもしれません。海外の映画祭でも驚きを持って受け入れられるのではと想像します。賞としての評価はもちろん、サンカを描きたいという笹谷さんの一途な情熱が多くの方の心を動かし、心に残ることを祈っています!

笹谷さんのこと、クラウドファンディングのこと、広く知ってもらえるよう、わたしからもぜひ発信させてくださいね。

クレジットのお気遣いもありがとうございます。名前を入れていただき、作品に参加させていただけたら、とてもうれしいです。作品の上映の機会がありましたら、ぜひお知らせください。

2019.10.31 Amazon注文確認メール 『風の王国』(新潮文庫)
(2022.5.19 今井記)どういうきっかけだったか、「笹谷さんの書いているサンカだ!」と反応して、『風の王国』(五木寛之)という小説を手に取った。メールから購入履歴をたどると、2019年10月31日となっている。サンカだけでなく、わたしの故郷である大阪府堺市が登場する。堺とサンカに縁があったとは、とうれしくなった。


完成披露試写は結婚式のよう

2019.12.16   笹谷遼平から今井雅子へ
今回の映画で、本当にいろんなことを学びました。試練も多かったですが、今思うと映画のことばっかり考えているのが楽しくて仕方ありませんでした。

やはり、もっともっとシナリオを書きます。不勉強を何度も痛感しました。ただ、前よりもシナリオの面白さの沼にはまれていると思います。なぜか、こう書くだけで胸が踊ります。

クラウドファンディングお礼メール
映画を作るにはお金が必要です。それが強大な壁であり現実です。しかし最近になり、お金以上に、お気持ちが必要だったということも段々解ってきました。

関わって下さった皆様に並々ならぬお気持ちをこの映画に注いで頂いたからこそ、この映画が誕生しました。なんと幸せな環境で映画作りが出来たのか、今になって余計に思います。

あとは、誰かの心の宝になるような映画を届けられるように。邁進します。


2019.12.20 今井雅子から笹谷遼平へ
笹谷さんの真っ直ぐな情熱が実を結んだ一年、その報告を聞きながら、わたしもとてもワクワクしました。

講座時代から知っていた作品が、たくさんの人と出会って育って行き、スクリーンでお披露目される、その瞬間に立ち会わせていただいたのは、赤ちゃんの頃から知っていた子が大きくなって結婚式によんでいただいた感じでした。来年、国もこえて、より多くの人に「山歌」が届きますように。

2022年春。再編集して公開

2022.2.14 笹谷遼平から今井雅子へ 
2019年に撮影した、「山歌(サンカ)」(旧題:黄金)の劇場公開がようやく、決まりました。4月22日から、テアトル新宿にてレイトショーです。

つきまして、こんなご時世ですが、試写会を行う予定です。映画は、2019年に上映したものから15分ほど短くなり、内容も変わりました。不要な部分を、削り過ぎなくらい、削りました。(大阪アジアン映画祭、高崎映画祭でも上映予定です)

2022.2.14 今井雅子から笹谷遼平へ
山歌の劇場公開おめでとうございます。宣伝、ぜひぜひさせてください!笹谷さんはclubhouseをされていますか。声での宣伝は行動に結びつきやすく、話を聞いて本を買ったり映画に行ったりする人の割合が驚くほど高いです。公開前に映画紹介のルームを開いて、監督の声を届けられると良いかなと思います。よろしければわたしが聴き手をやりますよ。

『山歌(サンカ)』という「うた」

2022年4月15日。劇場公開版完成披露試写で「山歌」と再会した。会場で配られた監督の言葉に作品への想いが凝縮されていて、笹谷さんが豊かな語り手であることをあらためて感じた。

笹谷さんの承諾を得て、全文を紹介させていただく。笹谷さんを知らない人が読んでも、監督と作品の魅力が伝わり、もっと知りたくなる文章だと思う。劇場パンフに寄せられた他の言葉も実に読みごたえがある。劇場で見かけた方はぜひ手に取ってみて欲しい。

映画「山歌(サンカ)」劇場パンフ冒頭文

「歌(うた)う」の語源は、「訴う(うったう)」だという説がある。何かを伝えるという意味にも変えられる。言葉や文字だけでは伝えられないこと、それが歌なのかもしれない。映画も、歴史は浅くとも視覚的な歌だと思う。サンカ(※)の娘・ハナが本編のなかで口ずさんだ歌は「春駒」という。繭の豊作を祝うめでたい歌であり、かつて、サンカや旅芸人は村々の養蚕農家の玄関口に立ちこうした祝い歌を歌った。村人が歌うのではなく、村外の来訪者が歌うからこそ喜ばれ、価値があった。

私がサンカと出会ったのは、十年ほど前、友人宅の本棚だった。今となっては本のタイトルも思い出せない。ただ「日本のジプシー」だと友人は言っていた。

旅から旅へ。漂泊を続けた流浪の民サンカ。その存在はある程度の人が認知していたし、昭和20年代までは実際に目撃した人も多かった。しかしその実態を知る人は少なかった。だからか、サンカは清濁併せ呑むがごとく様々に人々の想像をかき立てた。ある人は犯罪者組織サンカをモチーフにしたエログロナンセンスな猟奇小説を書き、ある人は素朴な山の生活を淡々と書いた。そうしてサンカという小説、漫画、映画、ノンフィクションの一分野が確立されていった。が、私はそういったジャンルの歴史に惹かれたわけではなかった。

2014年、別の記録映画の撮影で私は岩手県遠野の山中に来ていた。何気ない朝の一人散歩だったが、突如背筋が寒くなった。見渡す限りの深い木々の美しさに、えもいわれぬ恐怖心を抱き、人外のちからを感じたのだった。京都の郊外の住宅地育ちの私にははじめての経験であり、それは自然に対する畏怖心だと直観した。同時に、人間が自然をコントロールして当たり前だという考えが自身の根底に、アスファルトのようにへばりついていることも痛感した。

その時、ふと山中で漂泊の旅を続けたサンカのことを思い出した。自然の一部として生きてきた人々の目には一体何が見えていたのだろうか。現代人とは決定的に違うはずだ。では何が違うのか。どんな身体能力、作法をもって自然と関係していたのか。様々な思いが去来した。

サンカを撮りたい。サンカの世界、山の世界の深淵に触れたい。しかしサンカはもういない。ならば書き、撮るしかない。劇映画門外漢の私はシナリオを書き始めた。習作を含め十本ほどシナリオを書いた。モチーフはすべてサンカである。こだわりというより、妄執かもしれない。

そして2018年、シナリオ「山歌(サンカ)」(旧題「黄金」)を書き伊参スタジオ映画祭へ応募した。3度目の挑戦だった。この映画祭ではシナリオ大賞(中編の部、短編の部)を受賞したシナリオ作品は、著者の手によって賞金とともに映画化される「ならわし」があり、大賞の受賞は「映画を撮る」こととほぼ同じ意味をもってくる。そしてありがたく、幸運なことに、大賞を頂いたのだ。つまり、映画作りがはじまった。

本作の撮影は2019年7月20日から2週間、群馬県中之条町の山中でおこなった。ようやくの思いでこぎつけた撮影であったが、連日の悪天候に泣き、川の増水に落胆した。夜の豪雨はセットを壊し、撮影中の突然の暴風雨はスタッフ、キャスト、機材のすべてを飲み込む勢いだった。雨は衰える気配を見せず盛り、鉄砲水のように増水する川を背に、皆泥だらけでロープをつたい岸にあがり脱出した。まさに「ほうほうのてい」を体現していた。そんな状況のなか、もちろんシナリオに書かれている全てを撮影することは不可能だった。毎夜、断腸の思いでシーンを削り、書き換えた。

うつり気な天をにらむ。この年は梅雨明けがずれ込んでいた。この時期に撮影を設定した自分を悔いた。しかし、心のどこかで今の状況に対し「我が意を得たり」と高揚している自分もいた。まるでずっと昔から自然の混沌にもまれることを望んでいたかのように。

「自然は常に完全である。彼女には一切の誤謬もない」というロダンの言葉を思いだす。思想家・柳宗悦もこの言葉を好んで引用した。

「悪」天候といっても人間が見、人間が都合のいいように価値をつけた言葉である。人間には残酷に見えても、自然に悪意はない。地震も津波も台風も、自然にとっては呼吸のようなものなのかもしれない。に対し、近代の科学の課題は、いかに自然をコントロールし、いかに便利に西洋的な文明生活を送るか、である。映画を見ることも、映画を作ることも、文明生活の申し子である。しかし、圧倒的な自然を目の前にしたときに、私は映画を作ることで自然に仕えたいという気持ちがおきた。

スタッフ、キャスト、関わってくれたすべての人が200%以上の力を出し、この映画に、山の自然に臨み、もがいた。だからこそ、自然のなかで作らせてもらっている感覚、もっというと「作らされている」ような感覚を強くもつことができた。自然は完全である。私たちは、知恵と労力を持ち寄り、自然に対応して生きるしかない。私はかつての人々が、村総出で自然と向き合い、自然の一部として農作物を作るいとなみの、ごく一端を体感した。

「山歌(サンカ)」。この映画は、主人公・則夫少年がサンカに成れない物語である。彼は(私たちは)、音にならない風の気配、水滴にならない指に残る湿度、香りにならない木々の呼吸、そして先人の足音を感じた。すべてに無数の命があり、人間もまた、根底で結び合っているように思えた。そうした山の歌(うったえ)を、この映画に託した。

笹谷遼平

※彼らは自分たちのことをサンカとは呼ばなかった。本作においては山と里の間に生きる世間師(せけんし)、転じて「ケンシ」と呼称している(五木寛之著「風の王国」を参考にした)。

「山歌」劇場パンフレット冒頭文

この文章の中で、映画も含めた「表現」を「うた」と表しているところにグッと来た。2021年12月にNHK FMの青春アドベンチャーで放送されたわたしのオリジナル脚本のラジオドラマ『世界から歌が消える前に』では、心が動いてこぼれ落ちるものを「うた」と呼び、「料理も歌だ」というセリフがある。

消費してるつもりが消費されて 
消耗してる でも どうしようもない
だけど抑えられない この気持ち
気づいてしまった 料理も歌だ

NHK FM 青春アドベンチャー『世界から歌が消える前に』

心がふるえて
こぼれ落ちるカタチ
それは わたし
それは あなた
うた うた うた
分かち合えるのは人と人

NHK FM 青春アドベンチャー『世界から歌が消える前に』

サンカの何が笹谷さんを惹きつけたのか。そして、惹きつけ続けたのか。

そこに「うた」があったから。

サンカを知った日から、笹谷さんの心は動き、揺さぶられ、うたがこぼれ続けて来た。そうして生まれた映画という「うた」に、『山歌』という名前をつけた。「サンカ」の響きに「山」と「歌」という漢字を当てて。

『世界から歌が消える前に』の初稿は、こんな風に終わっている。

エンディングテーマがわりのエピローグ。
モンタージュで描かれる表現活動。心が動かされ、それを誰かと分かち合いたくて形にする。
原始的で本能的な営み。
雨だれから生まれる音楽。
川の流れから生まれる詩。
カメラのシャッター音。
打楽器のリズム。
笑い声。拍手。
様々な楽器の音や歌や朗読が重なり合い、大きなうねりになる。
世界が音を立てて変わっていく。

NHK FM青春アドベンチャー『世界から歌が消える前に』初稿

実際の放送では「人からこぼれ落ちるうた」にとどめ、その先はリスナーの想像力にゆだねたが、生命の鼓動そのものが「うた」だという想いを込めた。今読み返してみると、『山歌』と重なる部分が多い。

『山歌』では、自然が力強くうたっている。空も風も緑も土も。その「うた」と響き合うサンカという生き方も「うた」であり、それを笹谷さんは映画という「うた」にした。

clubhouseから温かい広がり

2022.4.20夜。clubhouseで笹谷さんを迎え、「山歌」を紹介するルームを開いた。

集まってくれたのは、clubhouseで2021年5月31日から続いている短編小説「膝枕」の朗読と創作のリレー、通称「膝枕リレー」で出会った人たちが中心。知的好奇心と行動力がひざ反射な人たちで、ルームを聴いている間に「映画観たいです」「クラファン参加しました」という声が続々。笹谷さんにも作品にも興味を持ってもらえた。クラファンは撮影を応援した第1弾とは別に公開を応援する第2弾。ルーム開催時に「もう少しで100%」だったが、後に132%を達成した。

膝枕erの中でもとりわけマメで熱量の高い大阪のナレーター、小羽勝也さんにお願いし、笹谷さんの言葉を朗読してもらった。耳で読んでもやはり良い。小羽さんをはじめ何人かがスピーカーに上がってくれ、話が盛り上がって2時間超えのルームになった。replayで聴けるのでぜひ。

5月12日、大阪公開を前に、小羽さんが応援ルームを開き、再び笹谷さんの言葉を朗読。

さらに5月20日の京都公開を前に、5月19日の21時から小羽さんが再びルームを開いてくれることに。そのルームに間に合うようにこのnoteを公開し、小羽さんに朗読してもらった(replayあり)。

作品への感想も「うた」で、こだまのように「うた」が「うた」を呼ぶ。

笹谷さんの「うた」は、まだ広がる。

書いて行こう。伴走者と

このnoteを紹介するツイートで笹谷さんが「伴走の心強さ」と書かれていた。

「改訂稿」と打とうすると、日本語に弱いわがMacは「かいていこう」を「書いて行こう」と変換するのだが、脱力しつつ励まされているような気持ちになる。

パソコンは確かに伴走者で、初稿からの脚本の成長を見届けているのだが、感想は言ってくれない。直しのマラソンを走り切るには、一緒に走ってくれる誰かが必要だ。沿道から声をかけてくれる誰か、ゴールでいる見守ってくれる誰かも伴走者になる。

それはシナリオ講座の講師や仲間だったり、家族や恋人だったり、SNSで出会った人だったり。伴走者を見つけること、つながり続けること、その出会いやつながりを力に変えることも、脚本を引っ張り上げたり後押ししたりしてくれる。

チュプキで再会した「山歌」

笹谷さんの「うた」がやまびこのように広がり続けている「山歌」。clubhouseでの応援ルームで視覚障害のあるかわいいねこさんが「チュプキでバリアフリー上映できたら」と言ってくれてから、わずか2か月あまり。チュプキの方が「山歌」を既にご存じだったというご縁もあり、びっくりするスピードで音声ガイドと日本語字幕が揃ったバリアフリー上映が実現した。

わたしには視覚障害者のある家人がいて、チュプキには4年ほど前から通っている。症状が進行性なので、4年の間にどんどん視覚を使えなくなり、その分、音声ガイドが必要になっているのだが、チュプキ上映2日目の「山歌」を一緒に鑑賞した感想の第一声は「音声ガイドが素晴らしい」だった。

わたしも劇場のイヤホンをお借りして音声ガイドを聴きながら鑑賞したのだが、ガイド原稿の言葉選びの的確さと格調高さに唸った。「唇を引き結ぶ」が何度も出てくるのだが、わたしは普段使わない言い回しで、人物の見た目と気持ちの緊張がうまく伝わる表現だと感心した。原稿を読み上げる音声の聴き心地がこれまた素晴らしく、丈も色味も手触りもぴったり合う特注の言葉をまとった感があった。

視覚情報を言葉で伝えるという点では、音声ガイドは脚本のト書きにも通じる。スタッフやキャストはト書きから想像した映像を共に作り上げる。「共有できる拠り所」であるためには、無駄がなく、わかりやすく、絵が浮かびやすく、解釈が分かれないことが大事。「山歌」の音声ガイドは、ト書きに求められる普遍性を踏まえつつ詩的な響きがあり、それが作品の世界観と見事に調和していた。

「山歌」は日本の風景の美しさと豊かさを映像と音で描いているが、その音声ガイドには日本語の美しさと豊かさが結晶している。ディスクライバー(原稿執筆者)とナレーターさんが同じ人だったような記憶が。お名前を確かめて追記したい。

音声ガイドが鑑賞に必要な方はもちろん、音声ガイドとはどういうものかを知りたい方にも「山歌」の音声ガイドをぜひ聴いて欲しいし、脚本を学ぶ人にも勉強になると思う。実際わたしは大いに勉強になった。

「チュプキで上映を」と声を上げてくれたかわいいねこさんは吉祥寺シアターでの上映を観られたが、絵で語るシーンが大半なので、音声ガイドがないと、何が起きているかわからない時間が長かったのではと思う。チュプキ上映をつかまえられたら、音声ガイドありで観た感想をうかがってみたい。

以前のnote「映画を音で観る」に「映画は人をつなげる天才。音声ガイドは人と映画をつなげる天才」と書いたが、あらためてそう感じた。

2022.7.2 シネマ・チュプキ・タバタ外観
2022.7.2 シネマ・チュプキ・タバタ 劇場前に出ている上映作品紹介パネル。もちろん「山歌(サンカ)」も!


やまびこのように

2022.7.8 群馬の金井さん企画‼︎感想会




目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。