膝枕リレー200日カウントダウン─受信箱入り娘が見た膝枕
2021年12月16日、Clubhouseで5月31日から続いている膝枕リレーが200日目を迎えた。
15日の23時からカウントダウンのルームを開いた。ルーム紹介で「なんか読みます」と告知した。
最初はHizastoryを見ながらあんなことこんなことを振り返ってつらつらしゃべろうと思っていたのだが、noteの下書きに入れている「世界一しあわせな物語」の原稿にならって、物語風に語ってみることにした。
「世界一〜」は、あおもり映画祭のパンフレットに寄せたエッセイ。函館港イルミナシオン映画祭のコンクールで受賞した『ぱこだて人』のシナリオが前田哲(てつ)監督に見出され、三木和史プロデューサーが資金を集めて映画化にこぎつけ、『パコダテ人』として世に送り出された経緯を昔話風に書いた。
より詳しい経緯を綴った「『ぱこだて人』から『パコダテ人』へ~魔法をかけられたシナリオ~」(「月刊シナリオ」に寄稿)とあわせて、ひとつのnoteで紹介することにした。
わたしの映画脚本デビュー作『パコダテ人』の公開は2002年。約20年前。その間にいくつも作品を重ねてきたが、作品が生まれ、誰かに届き、響き合うよろこびは今も色あせることがない。むしろ、コロナ禍の今年、より色濃くなった気がする。
今井雅子語り「受信箱入り娘が見た膝枕」
皆さん聞こえてますか。
わたし「膝枕」です。
膝枕といっても、物語の膝枕です。
とあるオムニバスドラマに提案するための、プロットと呼ばれる短い物語として、わたしは生まれました。
そのドラマに採用されるのはとても狭き門でした。一人暮らしの男が通販商品の膝枕にうつつを抜かすという奇妙なお話は、テレビドラマ向きではないと思われたのか、日の目を見ることはありませんでした。
それから14年。わたしは誰にも知られず、埋もれていました。
わたしを生んだ物書きさえも、わたしのことを忘れていました。
思い出させたのは、クラブハウスでした。
2021年5月の終わり、わたしは長い眠りから覚めました。
「枕」
電子メールの受信箱からわたしを掘り出した物書きの声が、喜びに打ち震えました。
そう、わたしは受信箱に閉じ込められていた箱入り娘だったのです。
物書きは、わたしを世の中に出せる形に整えると、noteという場所に放ちました。そこは、とても広く、ひらけた場所でした。わたしの他にも、たくさんの物語たちがひしめきあっていました。
誰かがわたしを見つけてくれるでしょうか。読みたいと思い、手を伸ばしてくれるでしょうか。それとも、一瞬、外の空気を吸っただけで、また埋もれてしまうのでしょうか。
一日経って、物書きは、一人目の語り部に声をかけました。
「新しい物語があるのですが、いかがでしょう」
「読んでみるとしましょう」
一人目の語り部は、軽やかにそう答え、わたしを声に出して読みました。
これを聞いた二人目の語り部が僕も読もうかなと続きました。
それを聞きつけた三人目の語り部が、私もと続きました。
「鉄は熱いうちに打て」
二人目と三人目の語り部は同じことを言いました。
「膝は熱いうちに打て!」と、わたしは心の中で声を弾ませました。
三人目の語り部は、わたしを読み終えた後、「この物語を読みたい人は今すぐ名乗り出よ!」と勇ましく呼びかけました。あわてたように、十六人が手を挙げました。のちに「女王様の膝蹴り」とあだ名がついた、この叱咤激励のおかげで、わたしはこの日を境に、東西の大勢の語り部たちに読み継がれることになったのです。
すると、語り部たちがわたしに質問を投げかけるようになりました。
なぜヒサコは、男が膝枕に頭を預けているのを見て「二股だったのね」と言ったのか。モノである膝枕を恋敵だと思うのは不自然ではないか。
真夜中、ゴミ捨て場に捨てられた膝枕は、どうやって男の部屋に帰り着いたのか。箱の中で膝をにじらせて帰り着くのは無理があるのではないか?
膝枕がほっぺたにくっついた後、男はどうなったのか? メーカーが裁判で訴えられたりしないのか? そもそもどんなメーカーが作っているのか?
知・り・ま・せ・ん!
そんなこと、作者に聞いてください。
ところが、面白いことが起こりました。膝枕を語ったり聴いたりした人たちが、あの謎この謎に答える物語を書き始めたのです。
男に膝枕を届けた配達員が、ゴミ捨て場に捨てられた膝枕を拾って男の家に再び届ける説。
ヒサコという女は、かつては膝枕だった説。
膝枕が製造されている会社には膝枕カンパニーという名前がつき、開発秘話も生まれました。
男に二股をかけられたヒサコが相談に行く占い師の鑑定所を舞台にした外伝が次々と生まれ、配達員や膝枕カンパニーの社員も来るようになりました。
箱入り娘側から描いた膝枕。
膝枕が競馬のように競争する話。
単身赴任夫が妻とヒサコと箱入り娘に三股をかける話。
ついにはワニが膝枕を取り寄せ、ワニと膝枕とダンボール箱が占い師を訪ねるお話まで生まれました。
ひとりぼっちだったわたしに兄弟や親戚ができました。さまざまな声、さまざまな色の語り部が次から次へと現れ、ラインナップは実に豊かです。
DJ膝枕。琵琶語り膝枕。ウクレレ語り膝枕。落語膝枕。おくに言葉膝枕。ミュージカル風膝枕。演劇調膝枕。ラップ膝枕。Mac叩き語り立体膝枕。言葉遊び膝枕。英語膝枕。インドネシア語膝枕。ロシア語膝枕。
膝枕に溺れる男は、学生になったり、絵描きになったり、編集者になったり、単身赴任の夫になったり。
わたしが世の中に送り出された2021年は、疫病が世界を閉ざす大変な年でした。物語なんて不要不急だという声と、こんなときこそ物語が必要だという声がせめぎあっていました。
ウイルスと物語はよく似ています。どちらも人から人へ運ばれ、広がるのです。ウイルスを恐れて人と人が距離を取ることを迫られた年に、わたしが解き放たれたのも不思議な巡り合わせかもしれません。
物語には羽がありません。「膝枕」を面白がってくれる人たちが、わたしの翼になってくれています。
語る人、聴く人、書く人。それをまた語る人、聴く人、書く人。
皆さんのおかげで、テレビドラマになれなかったわたしは今、メールの受信箱よりずっと大きな世界で、退屈するヒマのない毎日を生きています。
《ヒマなのか? いや、ヒザなのだ》
ありがとうございます。
14年ぶりに目覚めて200日目の膝枕より
Clubhouse朗読をreplayで
2022.1.24 まゆゆさん
2022.2.9 宮村麻未さん
2022.3.13 kana kaedeさん(小羽勝也さん一人膝枕リレー198日目代走)
2022.3.23 東千絵さん
2022.5.17 kana kaedeさん
2022.6.1 鈴蘭さん(膝枕リレー1周年記念)
2022.6.3 kana kaedeさん(膝枕1周年記念)
2022.6.4 やまねたけしさん(膝枕1周年記念)
2022.7.4 400日目記念 宮村麻未さん
2022.9.23 鈴蘭さん(「アイドルが見た膝枕」と二本立て)
2022.10.12 宮村麻未さん(膝枕リレー500日記念)
2023.5.1 宮村麻未さん(膝枕リレー700日記念)
今井雅子「世界一しあわせな物語」
昔むかし、といっても、ほんの二年ほど前。あるところに、ひっそりと息をひそめて、幸せを待っている「物語」がありました。ある日、「何だ君は? 『ぱこだて人』? 変な名前だなあ」と上から呼ぶ声がありました。呼びかけたのは、映画という世界に生きている王子でした。王子は物語を手に取り、家に連れて帰りました。
つまらなかったら、捨てられてしまう! 物語はびくびくしましたが、王子は錬金術師のもとを訪ね、「この物語を動かしてみたい。だけど、僕にはお金がない」と訴えました。貧乏だけれど心やさしい王子のために、錬金術師はほうぼうを駆け回り、お金を集めてきました。それから、「お礼はあまり差し上げられませんが、力を貸してくれた方には、幸せが訪れるでしょう」と触れ回り、映画の国の今をときめく演じ手や技術者たちを集めました。
王子は、物語をどこに出しても恥ずかしくないように、知恵をしぼり、できる限りのことをしました。王子に磨かれて、物語は、よりなめらかに、より美しく輝きだしました。ごつごつした石ころが宝石に化けるように。ぺちゃんこになって人知れず暮らしていた物語は、生き生きと動きだし、『パコダテ人』という新しい響きを授けられ、劇場という名の晴れ舞台でお披露目されることになりました。
錬金術師が言ったとおり、この映画には、見た人を幸せにする不思議なチカラがありました。客席で笑ったり、泣いたり、胸をなでおろしたりしている人々を見るたび、物語は、たくさんごほうびをもらった気持ちになりました。そして、いつも同じところで涙ぐむのでした。映画をつくった人々の名前が流れる場面です。
ちっぽけな物語だった自分に生命を吹き込むために、見えるものや見えないものを差し出してくれた、たくさんの人たち。その一人ひとりに心の中で「ありがとう」と言い、生まれてきてよかった」とつぶやく物語は、世界一のしあわせ者でした。
『ぱこだて人』から『パコダテ人』へ~魔法をかけられたシナリオ~
《原石を見出だした監督》
シナリオ『ぱこだて人』は函館港イルミナシオン映画祭第4回シナリオコンクールで準グランプリを取った作品である。だが、受賞しても映画化は約束されない。誰かが手を挙げる幸運に恵まれない限りは。風は、思いがけないところから吹いてきた。審査員宅にあった応募原稿が前田哲監督の目に留まり、「映画化したい」と連絡があったのだ。監督の名前も作品も知らなかったが、「これはイケると思います。イメージはできています」という力強い言葉に、「いい人に見つけてもらった」と思った。監督との出会いがなければ、『ぱこだて人』は受賞作品集の中に埋もれたまま、それを偶然手にする限られた人の目に触れるだけの物語で終わっていたはずだ。
《プロデューサーの魔術》
監督が前作『sWinG maN』で組んだ三木和史プロデューサーを巻き込み、映画化に向けて準備が始まった。良くいえば奇想天外、悪く言えば荒唐無稽なストーリーには、「女の子にシッポが生えるなんて、エッチっぽい」「大人の鑑賞に耐えられない」というネガティブな反応が多かった。プロデューサーは、「前田哲なら絶対に失敗しません」と得意の口八丁で太鼓判を押し、「設定の面白さは生かしつつシナリオを改訂する」という条件付きで出資や協力を取り付けていった。「世界広しといえども、この企画を映画にできるのは俺しかいない」と彼は豪語するが、誇張ではないと思う。
《ドラマティックな変身》
映画化の目途がつき、監督との本直しが始まった。主な改訂ポイントは「恋愛がない」「家族の話が弱い」「ラストが悪い」。シナリオを読んだ関係者にことごとく指摘された点である。『ぱこだて人』には、シッポ美少女ひかるのボーイフレンドは登場せず、もう一人のシッポ人間・古田には妻がいて、文子はただの詮索好きな保母だった。「シッポが生えていちばん困るのは、恋でしょう」という監督の言葉で、ひかるはクラスメートの隼人と、男手ひとつで娘を育てている古田は文子と、いい感じになりかけた矢先にシッポ!という設定に変更。相思相愛なのに距離を詰められないひかると隼人の恋の行方が、物語を引っ張る牽引力になった。無邪気なだけの保育園児だった古田の娘は、「秘密を守ったらママが来てくれる」からと父親のシッポを隠す、けなげで泣かせる女の子になった。さらに、家族の絆を強調するため、ひかるの両親の存在を濃くし、一家で困難に立ち向かうシーンを大幅に増やした。オリジナルは、シッポ人間を目の敵にする『清く正しく美しい函館を守る会』との対決で終わっていたが、「家族やボーイフレンドの愛」が強調されるラストにするため、アイデア出しを重ねた。監督は役者のチャーミングな部分を引き出すのも得意で、「徳井さんが、この仕草やったら笑える」「美由紀さんなら、こう言う」と、キャスティングと並行して、あて書きのように本直しを進めていった。
《原石を宝物に変えた魔法》
ひらがなだったタイトルは、「カタカナのほうがポップで世界観に合う」ということで『パコダテ人』と改められた。生まれ変わったのは見た目だけではない。オリジナルの 『ぱこだて人』から決定稿の『パコダテ人』に至る過程で、余計な要素はそぎ落とされ、メッセージを伝えるのに必要なエッセンスだけが凝縮されていった。函館での撮影を目の当たりにして、監督が本づくりの段階から計算していたことを確かめることができた。主人公一家は、ほんとうの家族になって、泣き笑いしていた。ひかると隼人の恋はせつなく、二人の手と手が触れるだけで、ときめくラブシーンになった。どの登場人物にも愛すべきキャラクターがあり、生き生きと物語の住人になっていた。映画『パコダテ人』は「現代のおとぎ話」だが、ひっそりと王子様を待っていた『ぱこだて人』が監督に見初められ、かわいい魔法をかけられ、スクリーンという晴れ舞台に躍り出た夢のような出来事こそ、わたしにとってはフェアリーテイルだと思っている。(今井雅子)
目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。