「むこうのくに」の素晴らしい点とさらにアップデートを期待したい点
むこうのくに、を観る
劇団ノーミーツによる完全リモート演劇「むこうのくに」8/2(日)夜の千秋楽公演を鑑賞しました。ざっと感想をメモっておきます。
まず真っ先に、完全リモートでこれだけの長尺の演劇を作り出して
公演しきって、そして数多くのお客さんにエンターテインメントの喜びと可能性を届けた劇団ノーミーツの皆さんに、喝采を送りたいと思います。
劇団ノーミーツの活動についての私の知識としては、3ヶ月前くらいにTwitterで流れてきた「ダルい上司の打ち合わせ回避する方法考えた。」を見て、「あるあるだわー」と思っていた程度でアップデートが止まっていたので、そもそも2時間を越えるような大作演劇を作っていたことすら知りませんでした。
今回たまたまFacebookで友人が「むこうのくにを観たらすごく良かった」と投稿していたのを読んで、興味を持ちました。チケットを購入して、滑り込みで最終公演を観ることができました。
私自身は、正直演劇界に明るくありません。子供の頃は親に連れられて演劇を観たりしていましたが、おそらくこの10年くらいはまともに観劇していません。今回出演されていた役者さんも誰も知りません。
一方でというか、「リモート」についてはかなり実践しています。この数年はフリーランスとして仕事をしていますか、もう2年くらい、半分出勤半分リモートの形で仕事をしており、この3月以降は完全リモートワーカーになりました。Zoom、Slack、Microsoft Teams、Remoはじめとしたリモートコミュニケーション&ビジネスツールを使い慣れています。今年の4月には、Zoomを使った完全オンライン新入社員研修の運営にも携わっていました(↓)。
こういうバックグラウンドの私なので、今回の公演の演劇的な評価についてはイマイチ適切にできない気はしますが、少なくともツール活用(Zoom等)の点では、今回の公演の秀逸さがよくわかりました。
公演の素晴らしかったところ
もう公演終了したのでネタバレして特に問題ないと思うので、素晴らしいなと思ったことを、簡単に書いていきます。
まず、以下2点の演出が特にツール活用として巧みに思いました。
・顔フィルタのオンオフ
・人物のカメラビューの装飾ソフトのオンオフ
物語の背景部分の流れとしてはこんな感じです。
「ヘルベチカ」という名前のバーチャル・プラットフォーム(サマーウォーズの仮想世界OZとか、PSYCHO-PASSの仮想空間みたいなもの)の中に、フィルタ(自分の顔を装飾したり変形したりできる機能)を付けたユーザが1億人以上暮らしている。しかし、そこを悪用しよう、潰そうと狙う現実世界からの介入によって、ヘルベチカは本来の機能が失われ、ユーザたちは、顔フィルタを使うことができなくなり「仮想人格として生きる自由」を奪われてしまう。最終的にはまた別のプラットフォームが伸びていき、ユーザたちはそこに移ったりしていく。
ざっくり言うと、ヘルベチカが機能している前半と、機能不全になっていく後半という展開なのですが、その前半においてはSnapcamera(なのか違うソフトかわかりませんが)のフィルタがこれでもかというくらいに使われます。特に狂言回し的なキャラであるDJめがねちゃんのフィルタ芸は圧巻。また、各ユーザのカメラウインドウは、ユーザネームが付けられた特徴的な装飾が施されており、ヘルベチカのポップな仮想世界感が伝わってきます。
ところが後半になると、フィルタが使えなくなり、登場人物たちは素顔を晒すことになります。このとき、キャラクターによって、その状況から受ける精神的ダメージが異なっているという描写がされるのが面白いところです。また、ヘルベチカを使ったコミュニケーションが取れなくなり、ただのZoomでの相互通話が劇表現のメインになります。
最後の最後にはまた、別のプラットフォームが登場すると、フィルタも復活します。これにより、また仮想世界が機能し始めたことがわかります。
フィルタと、ビュー装飾のオンオフによって、物語世界の状況を観客に可視化して、登場人物たちの感情表現を補助する手法というのは、おそらく全世界でも初の取り組みなのではないかと思いました。ここが私が特に今回の公演で素晴らしいと感じたところです。
個々の役者さんの演技などでいうと、さすがプロだなぁと思うシーンも多々ありました。氷室(議員秘書)という人物は、最初は理知的な振る舞いをしているのですが、議員の逮捕以後、狂人化していきます。それを演じていた俳優さんの、特におかしくなっていってからの目が迫真でした。リアル演劇だと、各役者の表情を見続けることはできませんが、リモート演劇だと表情が並び、それを見比べることで、登場人物心理がわかりやすくなります。リアル演劇に比べて、リモート演劇では、「身体全体での演技」の重要性が下がり、代わりに「顔(特に目)の表現力」の重要性が上がる、ということかなと思います。
他にも演出としては、音楽の使い方が印象的で、見事だなと思いました。エンドムービーは特にカッコいいなぁと思います。演劇なのにエンドムービーが流せる、というのもまた、リアル演劇にはない魅力です。
さて、本公演を観ていて、ここはさらに演出をアップデートしてほしい!と思ったところについても簡単にメモしておきます。
【要望1】音割れ
俳優さんが大きな声を出すシーンで、ちょくちょく音割れが発生していることがありました。マイクを通じてデジタル変換して声を届けるというデータ通信の仕組み上、音割れは容易に発生します。
したがって、「感情が昂ぶって、大きな声を思わず出す」ということを演技するシーンであっても、実際に単純に大きな声を出してしまうと、鑑賞体験としては不快なものになってしまいます。おそらくここはリアル演劇との違いの1つです。
解決策としては、声の大きさの大小ではなくて、たとえば音の高低で感情の昂ぶりを伝えるような発声技法を使うことが考えられます。
あとはたとえばカメラに近づくことによって、顔を大写しにすることで、表情を見えやすくして、その怒りや喜びの心理を観客に見せる、とかもあるかもしれません。
【要望2】クライマックスに至る設定と表現、主人公の特別性の弱さ
細かいツッコミになってしまいますが、ヘルベチカのネットワークの内外を分けるためにファイヤーウォールを外圧的に展開させる、という物語設定と展開は正直違和感がありました。そして、最後主人公と仲間たちが外部からヘルベチカ内に侵入するために手分けして「ファイヤーウォールの穴探し」をしていましたが、ファイヤーウォールの穴探しというのはそもそもありえるのかなぁと思いました(私も情報通信知識があまりあるわけではないので、なんとも言えませんけど)。で、更にその見つけた穴が1ユーザしか通れないから、主人公にそこを通らせるというのは、展開上必要とはいえ、設定的にはご都合主義感がありました。
物語のテーマは「友情」が1つ大きなものとしてあったと思うので、友達のいなかった主人公マナブが、ヘルベチカ内で出会った人々との友情の力で困難を突破していくという描写は、展開上自然だとは思うのですが、「セキュリティの突破」を困難事象に据えてしまうと、設定の違和感がどうしてもぬぐえなくなります。
あとはマナブが高い侵入スキルを発揮するシーンとして、キーボードを猛スピードで叩くという場面があって、ちょっとこれは前世代的なテンプレ表現を感じました。
そもそもマナブは、5年前にAIを開発した「天才エンジニア」のはずなのですが、物語展開上は常に自信がなく、見ていてもその高いはずの能力について、観客としてはピンと実感することができませんでした。
たとえば、上述のサマーウォーズでは、仮想世界の危機に対してテクノロジーで戦うという描写がありますが、主人公健二は最初から数学の天才という設定が付与されているため、「選ばれし者」として困難を突破できる理由が描写されています。また、基本的に明るく、周囲の人間にエネルギーを与えるリーダーシップある存在という一貫した描かれ方があります。したがって、最後の難敵に打ち克ち、ヒロインと結ばれるというエンディングに納得感が出てきます。
↑サマーウォーズ主人公健二の数学の天才性の描写(サマーウォーズ, マッドハウス 2009 より引用)
対して本作のマナブは、上述したように天才性を担保する描写がなく、また基本的には周囲に引っ張られて行動していくタイプで、リーダーシップの見せるシーンがほとんどありません。それが最後になって急に仲間たちから応援されて、スーパーハッカーとして覚醒していくという描写が出てくることに唐突感があります。
おそらくこれが、リモート演劇の1つの難しさなのだな、と今気づきました。どういうことかというと、キャラクターたちの存在感、重要性が、基本状態ではおそろしくフラットなのです。ごく普通に演劇を作ってしまうと、「主人公の特別性」がほとんど感じ取れないのです。
ストーリーものの映画やアニメ、リアル演劇ならば「主人公」は特別の存在として、明らかに他のサブキャラクターたちより存在感が大きい形で演出がなされます。いわば、「サブキャラクターたちの振る舞いは最終的にはすべて主人公の活躍のお膳立て」という構造になっているわけです。
しかし、リモート演劇においては、どの登場人物の見え方もフラットになりやすい傾向があります。それこそ、Zoomがビジネス場面において、役職や顧客などの立場に関係なくフラットにビューが並ぶことで、古いタイプのビジネス慣習思考(上位役職者の存在感を高めてほしい等)を持つ人には不評、という話があります。その手の話は、個人的には日本企業ブラックジョークとしか思っていませんでしたが。いざリモート演劇の活用事例として見てみると、「主人公の特別性」が弱くなることは、主人公にフォーカスした物語展開を行う上ではマイナスになってしまうことに気づきました。
この問題の対処は難しいところです。1つは、そもそも物語を群像劇的なものにして、マルチ主人公型にすること。これであれば、リモートツールのフラット性はプラスに働くのではないかと思います。
もう1つは、主人公にフォーカスした物語にするのであれば、演出としてとにかく徹底して主人公の活躍を動作量を大きく見せることかと思います。動作量が大きいというのは、たとえばですが、部屋の中にいるだけではなくて、外に出て走る場面を大写しで見せるなど(ドローンの空撮と組み合わせるなどできるかもしれません)。いずれにしても主人公ならではの特別扱いを行わないと、ストーリーの収束場面で違和感が出るというのは、上述のとおりです。
終わりに
細かいツッコミを書いてしまいましたが、冒頭に書いたとおり、本作のチャレンジと興行展開に関して素晴らしいと思っていますし、私自身1観客として楽しませてもらいました。
劇団ノーミーツさんの次回作のチャレンジを応援したいと思います。また他にも、リモートの特性を生かした新しいライブ・エンターテインメントに取り組む方々がきっとこれから出てくると予想しますし、それらの取り組みの情報も知っていきたいなと思います。
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