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原発事故に見る会社の失敗とチームの成功【本の感想】恐れのない組織

ハーバード・ビジネススクールで組織学習を研究する著者による、一般向けの「心理的安全性」の解説本。
心理的安全性は原語では「Psychological Safety」となる。

心理的安全性に関してはこの数年、日本でも取り上げられるようになってきた。企業組織の中で心理的安全性が重要である。そのような言説を聞く機会も増えたように思う。
しかし実際のところ、心理的安全性とはどのようなもので、なぜそれが重要なのか。それを自分の言葉で説明ができる人はごく少ないような気もしている。私もうまく説明はできなかった。

もちろん、言葉の意味だけなら、ググればすぐに見つかる。「心理的安全性」でグーグル検索すれば、HRプロや日本の人事部といった大手人事サービスでの語句紹介記事がすぐに出てくる。

だが、この用語解説だけを読んで、概念の腹落ちに至るのは難しいだろう。なぜなら、腹落ちするのに必要なプロセスとして「エピソードでの感情面で驚き、ゆさぶり」からの「論理面での理解」、そして「自分の過去の経験や知見との結びつけ」といった段階があるからだ。
これを経ずに、心理的安全性は重要だ、と主張してもおそらくほとんど誰にも響かない。

裏を返せば、本書を読むことで、上記の腹落ちのプロセスは見事なまでに体感することができる。少なくとも私はそうだった。

ということで、上に述べたように、このnoteで私が本書の要約を語ったところでしょうがないんだと思う(笑)。気になった方は本書をじっくり読むのがよいと思う。幸いにして、翻訳もかなり読みやすい。

本書の中で印象的な箇所だけ、少し触れておきたい。

著者は世界各地の企業や組織の事例を取り上げている。その中には心理的安全性を作り出すことができずに大きな傷を社内外に与えてしまうケースと、心理的安全性を高く保つことに成功して高い成果につながっているケースと、それぞれ複数ある。それらを対比することで、心理的安全性の具体的な価値とそれを生み出し保つとはどういうことかがわかりやすくなっている。

直感的に考えると、ひとつの会社が同じ時期において、心理的安全性が極めて低いケースと、高いケースが同時に存在するというようなことは想像しにくい。低かった組織が高くなったり、あるいは高かった組織がそれを失っていくケースは想像がつくが。
だが、その想像しにくい状況とそこから起きる結果をまざまざと示した例が本書には書かれている。
それが、東京電力と、原子力発電所のエピソードである。

かんたんにまとめる。
福島の原子力発電所は地震によって大きな被害を生み出す危険性は長年にわたり指摘されてきたが、東京電力の中で、それは真面目に受け取って改善する動きがなかった。真剣な苦言を呈する者を排除し続けた歴史があった。そして3.11により発生した大津波で福島第一原発は全電源喪失し、メルトダウン、大量の放射性物質がコントロール不能という大事故を引き起こした。これが心理的安全性の欠如し続けた組織の強烈なる事例である。
そのときをおなじくして、福島第二原発でも原子炉が制御不能になる可能性にも直面していた。しかし、第二原発では増田所長以下社員たちが極めて困難な状況下で2日間にわたる不眠不休での緊急対応によってこれを乗り切った。この「チーム増田」では高い心理的安全性が維持されており、それがこの危機を克服したことにつながったと著者は分析している。

この例からよくわかるとおり、1つの会社の中がすべておしなべて「心理的安全性が高い/低い」と言えるようなものではない。ましてや、アメリカでは心理的安全性が高く、日本は低い、というなものでもまったくない。
たとえ会社全体としては「硬直した」ように見えていて、実際にそういう空気が多いとしても。組織・部門のトップが、まず対話的な姿勢を示し、恐怖や権力でのコントロールではなく自発性を重んじるマネジメントを打ち出し、働きかけを続ける。そのうちに、メンバーも対話に少しずつ踏み出すようになる。そして部門や職責を超えて対話のつながりが多様化、複層化していくことで、組織内の心理的安全性が根付いていく。

ただし著者はこう書いている。「心理的安全性は脆い」ものだと。築くのに時間はかかるが、壊れるのはたやすい。しかしながら、現代の複雑な状況下で組織が高いパフォーマンスを発揮するうえで、「あったらよい」ものではなく「欠かせないもの」になっている、それが心理的安全性だ、と著者は言う。壊れやすいとしても、なんとしてでも築き保つべきもの。
私も本書を通読して、その意見に賛同した。

別の著者の本になるが、「ティール組織」の本で語られる内容も、本書の知見と通じる点がかなりあるように思う。ティール組織として優れた事例で取り上げられた企業や組織では、おそらく高い心理的安全性が保たれているといえそうだ。
そしてティール組織の著者、フレデリック・ラルーは、既存の組織がたとえばオレンジやアンバー(ヒエラルキー型)であるなら、それをティール組織に変えていくのは難しい、と率直に書いている。しかも変えていくにしてもボトムアップ・アプローチはほぼ成立しない、とも。
私もこれはそうだろうと思う。
そしてヒエラルキー型組織の構造のもとにトップに上り詰めた人が組織改革をしようとするかというと、ほとんどしないだろう。それは自己否定ということになりかねない。仮にトップからの組織改革に手を付けられたとしても、社内の価値観を変化させるには膨大なエネルギーと時間を要する。そこで苦労しているうちにタイムオーバーとなってしまうのが関の山だ。

組織のトップでもない人にいたっては、もう自分たちの組織を諦めるしかないのだろうか?その問いに対しては、ティール組織の観点では未来につながる答えはなかなか見いだせなかった。

しかし本書「恐れのない組織」に立ち戻りたいのだが、本書を読み通してみると、もしかすると光明はあるのかもしれないとふと思えるようになった。なぜなら上述したとおり、「ひとつの組織が一様に同じ心理的安全性のレベルにある」わけではないと理解できたからだ。そして、心理的安全性を組織(のなかのチーム・ユニット)で高めていくために取り組むべきアプローチについても想像がつくようになる。
ヒエラルキー組織に身を置く人は、組織をティールに変えようと思っても無理かもしれないが、自分のいるチームやユニット単位ならば、やりようによっては心理的安全性の高く、成果を高く発揮し続けるチームに変えていくことは不可能ではないかもしれないのだ。

最後に福島原発事故の話に関連して個人的所感を書いて終わりたい。
私個人としては、福島原発事故は東京電力だけの責任ではまったくないと思っている。それはエネルギーの供給プロセスや、それがどういったリスクの元に成り立っているかを知ろうとしてアクションしてこなかった日本人全体が負っている責任なのではないかなと思っている(主語がちょっとデカイかもしれないけど…)。
かといって、これからは問答無用で原発全廃だ、みたいな安直な主張もおかしいと思っている。なぜならそれでは、何も学習をしていないからだ。そもそも世界を見渡してみれば原発をこれから建設していく国もいくつもあるし、国を超えて協力して原発を開発・制御運用・廃炉していく技術を高めていくことが、長期的リスクの低減につながる。日本国内では新規の原発関連技術の向上は難しいかもしれないけれど。
ただ少なくとも本書で取り上げられていたような「事故から学べる組織のあり方」の知見を広めたり深めたりしていくことは、それこそ日本の中だけの話ではなくて世界という観点で、そしてこれから未来を考えていく上でも大事なことだし、日本人ができることではなかろうか。

★★★★★ 5/5

参考記事


恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす

The Fearless Organization: Creating Psychological Safety in the Workplace for Learning, Innovation, and Growth


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