人類の苦しみを軽減するたゆみない事業【本の感想】エネルギー400年史: 薪から石炭、石油、原子力、再生可能エネルギーまで
今日、日本に生きる私が、エネルギーの入手と利用に関して、困難を覚えることは1つもない。明かりがほしいときに、照明スイッチを押して光を得ることができる。料理をしたいときにコンロを点けてガス火力の熱を得ることができる。移動が必要なときには、電車、バス、タクシー、少なくとも利用可能な交通手段であれば、それで移動することができる。いずれにもかかるコストは低い。そして何よりも安定している。清潔で、安全だ。
たかだか数百年前には、このようなとてつもなく便利な未来はとても想像できるようなものではなかった。それが本書を読むとよく分かる。
明かりが欲しくとも、ロウソクの光は脆弱だった。暖を取るための薪を燃やすことで森林は次々に消えていった。移動、輸送はコストがかかり、時間もかかり、危険なものだった。
この数百年間にわたる科学の進展と、テクノロジーの開発と普及。その両輪によって、世界のエネルギー事情は激変した。
そこに関わってきた、数多くの人々。本書に取り上げられている、研究者や経営者たちの名前の多くを私は知らなかった。そして、その時代に生きていた人々の営みの蓄積が、今に地続きでつながっている。それを想像すると、この奇跡のような進展の歴史に、深く感じ入る。
その過程は、多くの命が傷つき、環境が汚染されることを伴ってきた。しかしそれもまた、科学とテクノロジーによって克服してきた。
現時点ではまだその克服の道のりが見えない問題がある。それが地球温暖化であり、まさに本書の執筆の動機の中心でもある。
目次はこちらのサイトにあるのでメモは省く。
本書の情報量はすさまじいが、しかしそれが読みやすく読者の理解の流れを意識した物語として巧みに描かれているために、食傷気味になることがない。むしろ、もっと続きが読みたいと思わせる。先日レビューした「エネルギーの人類史」と併せて読むことで、さらに多面的なエネルギーに関する理解が得られる。
余談になるが、ほぼ同時期(2017-2018年)にかけて、このような傑作が2つ刊行されて、それを今日本語で読むことができるのは幸運だ。
特に本書の中で学びが大きく感じたのは、「19章 迫りくる暗黒時代」である。核兵器の開発ならびに原子力発電の開発と、それが社会にどのような受け止められ方をしたのかについて、科学者と政治の関わり方がどのような影響をもたらしたかを詳述している。
なぜアメリカにおいて、原子力発電が長期的に衰退したのかを、著者は「LNTモデルをめぐる論争」にあると主張する。LNTとは、linear no threshold、つまり直線閾値なしで放射線被曝の健康被害がもたらされるという学説のこと。LNT論争によって、放射線被曝の脅威が国民の中で過剰に高まったことが、原子力の活用に否定的になっていった理由だとされる。
私自身は、アメリカは原子力発電に積極的な国だとずっと思い込んでいたので、これはかなりインパクトがあった。
とりわけ新マルサス主義者たち、すなわち人口爆発に食料供給が追いつかなくなって、世界が混乱するくらいならば貧しい人間は飢えたほうがよい(ひどい話だが、主張を総括するとそうなる)という立場が、反放射線思想と結びついているタイプの「環境主義」と結果的に同調しているという理解を私は得たのだが、これは納得した。日本においても、基本的に「反原発、反放射能」を教条主義的に掲げる人々の無責任さはどういうことなのかと思っていたが、これはすなわち「安価、安定、持続的なエネルギーが得られない(主に発展途上地域などの)人のことは見捨ててよい」という差別思想があるのだと理解できる。
あとは「20章 未来への出航」からこの記述を引用する。
福島第一原子力発電所を運営していた東京電力(TEPCO)には、管理問題だけではなく、公共の 安全にかかわる問題を長年秘匿してきたいきさつがあった。工学上の瑕疵があることはわかっていたが、それが原因で福島第一の原子炉は抜き差しならない脆弱性を抱えていた。非常用電源のディーゼ ル発電機と非常用バッテリーが、津波による浸水の危険性があるにもかかわらず原子炉建屋の地下に 設置されていたのだ。これらの電源は、送電線の外部電源の供給が喪失した場合、炉心に冷却水を循 環するポンプを稼働させる。
東京電力は事故の10年前、原子力安全・保安院から1000年に一度の規模の津波——1140年前に起きたことが確認されている津波――に備えるよう警告を受けていたが、その警告に注意が払 われることはなかった。非常用電源装置を原子炉よりも低い位置ではなく、それよりも高い位置に設 置されていれば、日本列島全域を洗うような巨大な津波であっても、漏電から非常用炉心冷却装置を守ることができていただろう。
(p.540)
ごもっともである。福島第一原発事故は、人災だ。危機に対する警鐘を鳴らし、適切に対処できる組織(国家ならび企業)があるならば、起こり得なかった。
さて本書で取り上げられているグラフを貼っておきたい。
P.547にあるこのグラフは、チェザーレ・マルケッティによる「世界の一次エネルギーの歴史的進化」と題されたものだ。本書の根幹の1つをなしている。エネルギー源の変遷には、相応の時間がかかることがはっきりと示されている。言い換えるならば、再生可能エネルギーは今日の世界でいますぐ普及する手軽な魔法にはなりえない、ということだ。
ラストの著者の文章を引用する。
靴は足を守り、椅子は四六時中重力という重荷を負わされた人の体を休め、風車や原子力発電所は 人の体を暖めたり、冷やしたり、道を照らす出すために発電している。突き詰めれば、だから人間は、発明によって外の世界を新たに作り直しているのだ。どちらのテクノロジーが環境に優しいとか、あるいは世界は大きいのか狭いのかなどという、あらゆる議論の向こうにこの考えが横たわっている。スキャリーが示すように、人類の偉大なる事業とは、人間の苦しみを軽減するたゆみない進歩のことなのだ。
1850年以降、世界の人口が10億人から75億人と7倍以上に増えたのは、もっぱら科学とテクノロジーのおかげで、開発や公衆衛生、栄養状態と医療が改善されたからである。1996年、2人の人口統計学者がアメリカの人口について試算した。1996年当時、この国の人口のまるまる半分に相当する1億3,600万の人々は、こうした改善の結果、死亡率が低減したことで生を得られた人たちだった。この改善が実現していなければ、人口の4分の1、すなわち6,800万のアメリカ国民は生殖年齢に達する前に死亡していた。子供を産む前に死亡してしまうので、さらに6,800万の 人間がこの世に誕生しなかったはずである。
過去1世紀、アメリカで命が救われた人々の数は、20世紀の戦争を通じ、人為的な理由で死亡し た世界中の死者の数さえ上回っていたのだ。そして、私たちが生きる新しい世紀、新たなミレニアム の始まりであるこの世紀においても、こうした死亡率の改善はいまも続けられ、その範囲を拡大しつつある。
科学とテクノロジーは、人類に破滅をもたらす文明などではなく、むしろそれらがもたらす繁栄は、来たるべきこれからの世紀においてもわれわれを支え続けていくだろう。科学とテクノロジーこそ、人類がこれまで考案した体系のなかでも、自らの失敗から一貫して学ぶことができる唯一の制度なのである。
(pp.551-552)
「人類の苦しみを軽減するたゆみない事業」志高く、本質を突く言葉だ。
★★★★★(5/5)
エネルギー400年史: 薪から石炭、石油、原子力、再生可能エネルギーまで (日本語) 単行本 – 2019/7/23
リチャード ローズ (著), 秋山 勝 (翻訳)
[原著]
Energy: A Human History (英語) ペーパーバック – 2019/6/11
Richard Rhodes (著)
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