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准教授として教鞭を執りながら作業療法士として現場へ――平尾文さんの自分史|インタビュー(聞き手:ライター正木伸城)

病気や事故、障がい等の影響で日常生活に支えが必要な人をサポートする作業療法士。彼らの仕事は「リハビリ支援」を想像してもらうとわかりやすいかもしれない。心身が思うままにならない中で、着替えや入浴、トイレなどをこなせるようにする。人と社会との豊かな接点を作っていく。これが作業療法士の役目である。平尾文ひらお・あや)さんもその一人だ。彼女は広島都市学園大学健康科学部・作業療法学専攻の准教授として教鞭を執りつつ子どものサポートで現場に立ち続けている。しかも最近は、刑務所の受刑者支援の道を職務として切り開いているという。多彩な活躍を見せる彼女の原動力とは何か。話を訊(き)いた。

子ども専門の作業療法士

――作業療法士の仕事について改めて教えてください。

作業療法士の業務内容は世間的にはまだまだ知られていないですよね。例えば骨折をしてギブスをはめることになったとします。生活は不自由になるでしょう。その中で日常生活をいかに快適に送れるようにするかが作業療法士の仕事になります。骨折した本人の生活スタイルや心の状態に合わせてリハビリの仕方を一緒に考え、サポートします。また、骨折によって心が傷ついていたら精神的なケアも行います。私の場合、子どものサポートが専門で、事故によるケガ、病気の後遺症、障がい等を抱えた子たちと日々触れ合っています。リハビリをはじめ講演会などで全国を飛び回っていて、毎日が楽しいです。

――講演もされているのですね。どんな話題を取り上げていますか。

障がいの有無に関係なく、子どもの中には運動が苦手だったり不器用な面を多く持つ子がいます。一例を挙げれば、馬跳びができない子がいる。そんな子どもでも、しかし実は少し関わるだけで、すぐに馬跳びができるようになるんです。それを実技で見せて親にも一緒に体験してもらって、かつ「なぜ子どもが馬跳びできるようになったのか」を会場で語っています。いわばワークショップですが、各地で実施していて喜ばれています。親御さんは、急に馬跳びができるようになったわが子を見て「魔法みたいだ」と驚きますが、子どもの能力はただ「潜在している」だけ。私は作業療法士としてその能力が開花するきっかけを共に作っています。

「できない」を「できる」にその場で変える

――平尾さんが作業療法士として得意としていることは何でしょうか。

言い方が難しいですが「結果を出すこと」を大切にしています。先ほどの例でいえば、子どもはただ私と遊ぶだけですぐに馬跳びができるようになります。4分で跳べるようになった子もいました。即「できる」を実現する。これが作業療法士としての私の強みで、同じようにできる人はほとんどいません。跳べない子がなぜ跳べないのか、何に怖さを感じているのか等を瞬時に見極め、私は各人にふさわしい方法を提供しています。基本的には師匠である中鶴真人(なかづる・まこと)先生が提唱しているアダプテーション(=くぐる、渡る、登る、ぶら下がる)を目の前の子どもに合った形にして一緒に遊ぶんです。そして結果を出した上で理論的なバックボーンに裏打ちされた語りをする。これが私の得意とするところです。

特に障がいを持つ子どものサポートを担っていて、特別支援学校で子どもとよく"遊んで"います。

――馬跳びできなかった子が4分で跳べるようになるなんて、驚きです。

直接それを見た方々でさえ「いま何が起きたの?」といった表情をしますのでなかなか信じられないですよね。当時幼稚園の年長だったA君の話をしましょう。A君は最初「馬跳びしようよ」と言っても、跳ぶ直前になって「怖い。できない」と言う子でした。ところが――。

私はまず「A君、先生と一緒に寝返りしてみよう」と提案します。一緒にゴロゴロしたんです。で、「A君、もう一回跳んでみよう」と言うと、彼は何と、手を使わない跳び方ではあったのですが、いきなり跳べました。これだけでも見ている親や周囲の方々は驚きです。次に私は「A君、手を使って跳んでみようか。先生がA君の手に魔法をかけるね」と言って実際にそれっぽい仕草をします。すると彼は着地こそグラついたものの、今度は手を使って跳ぶこともできました。周囲はさらに「えっ」となります。加えて私は「A君、先生と一緒にトンネルして遊ぼう」と言って、私がトンネルになって彼が下をくぐるという遊びをしました。結果、彼はしっかりとした着地で馬跳びができるまでになったのです。4分ほどの出来事でした。

――素人目に関連がなさそうな遊びが、しかし子どもの「できない」を「やってみよう」から「できる」に変えた――。

例えば、ある障がいを持つ子たちはおとなしく座っていることができません。しかし彼らの下に「円座の形に巻いたタオル」を置いてあげると途端に長く座っていられるようになるという事例があります。こういったノウハウは実証的なものとしてたくさんあって関係性も理論化されていたりするので、私は先人の知見を借りつつ「子どもの苦手を得意に変えて、『できた』の笑顔を引き出す」ことを意識して子どもと向き合っています。

作業療法士になろうと思ったきっかけ

――どのような哲学を持って仕事に取り組まれているのか、興味があります。まずは作業療法士になろうと思った経緯を教えてください。

きっかけは祖父のリハビリでした。と言っても、私自身が特段リハビリに関わったというわけではありません。祖父の脳卒中を見て、母が「あなた、リハビリの先生になったら?」と提案してきたのです。もともと歯科衛生士か臨床検査技師になりたいと思っていた私でしたが、そこに「作業療法士になりたい」という思いが加わりました。最終的に3種の職業すべてを目指して勉強し、合格発表の時に半ば直感で「作業療法士になろう」と決めました。

――半ば直感で……。「半ば」ということは、作業療法士を選択したことに何か思いあたる節があったのでしょうか。

もしかしたら母に気に入られたいという思いが先行したのかもしれません。心の中にどこか母に対するわだかまりがあったからです。もちろん母は愛情たっぷりに私を育ててくれたと思います。ですが、例えば母は、私を褒めることをしませんでした。また、「あやちゃん!」と言ってギュッと抱きしめることもありませんでした。母に好かれたいという気持ちがどこかに潜在していた。だからでしょう。母から言われての作業療法士、つまり自身が願って選んだ仕事ではないという心情があってか、いざ仕事が始まったら、おもしろくなくてつらかったです。

――今でこそ仕事について嬉々として語る平尾さんですが、仕事がつまらなかった時期もあったのですね。

学生時代に実習で得た知識だけでは現場で歯が立たず、わからないことだらけで悩みました。しかも就職して2年目で結婚し、育児休暇ももらったため、復職した時には知識も経験も乏しい職歴「4年」の先輩になってしまいます。苦しくて苦しくて、作業療法士になったことを後悔しました。

ところが、たまたま受けたあるセミナーが転機になりました。理学療法士の講義で先生がおもしろいことを言ったのです。これはケアの現場あるあるですが、病棟のスタッフと作業療法士が仲たがいになることが結構ありました。食事を手伝ったりお風呂に入れさせてあげたりといった患者の介助を担う病棟スタッフと、リハビリを担う作業療法士の関係がうまく行かないケースがあるんです。でも、現状を踏まえた上で理学療法士の先生は「病棟のスタッフを尊敬しなさい」と進言しました。「作業療法士は入浴介助やオムツの交換はしないだろう。病棟の人はそういうこともやって、患者の『24時間』を知っている。尊敬してごらん?」と。この言葉が目から鱗で、私はすぐに病棟スタッフへの挨拶の仕方を変えました。言葉遣いも行動も変えました。すると、病棟スタッフとの関係が信じられないくらいに良好になったのです。「学び」が思わぬ「結果」に結びつき、心が躍りました。

また、前述した話、「円座の形に巻いたタオル」を使うと障がいを持つ子が長く座っていられるという知識を教わったのも同じ時期です。実際に現場でやってみると、子どもが安定した座位がとれ、目的に合わせて手を上手に使えるようになりました。やはり「学び」が「結果」になった。作業療法士の仕事が楽しくなっていきましたね。今ではこの道を推してくれた母に感謝しています。

――知識が現場の結果にきちんと結びつく喜びがあった。「結果を出すことを大切にする」平尾さんの姿勢の淵源を見る思いです。

師匠から教わったアダプテーションの威力!

――平尾さんの師匠・中鶴先生とはどのように出会われたのでしょうか。

2016年のことです。私が広島に引っ越したばかりの時に友人から「紹介したい作業療法士がいる」と言われ、セミナーを受講しました。中鶴先生の講義です。普段は鹿児島で子どものサポートをしている先生ですが、セミナーのために広島にたまたま来ていたのです。彼の話は秀逸で、私はすぐに惹かれ、講義の後に「先生が次に保育園に行くのはいつですか。その日に合わせて、私、鹿児島に行きます」と直談判しました(笑)。で、実際に1カ月後に鹿児島に行き、彼に同伴。彼が子どもと接する機会を直接見学しました。その後もくっつき虫みたいになって先生について各県等を回りました。

そこで教わったことがあります。一つは「作業療法士は子どもに『与える』のではなくて、子どもが持っている力を『引き出す』だけ」だということ。そしてもう一つは「子どものドヤ顔は自己肯定」というセオリーです。これらは私の「仕事哲学」の基礎になっています。

――そこから平尾さんはご自身でも子どものサポートをする道に船出します。手応えとして印象に残っている実地体験にはどんなものがありますか。

歯科医院と関わっていた時に得た経験が印象に残っています。歯列矯正に来ている子どもと接しながら中鶴先生のアダプテーションを試してみました。歯並びは「呼吸」と「姿勢」の関係性が大事だと聞いたので、私は姿勢を良くするための運動として「くぐる」を実践したのです。すると子どもたちの姿勢が即、良くなったんですね。ただ「くぐって」遊んだだけで背筋の曲がりが直った。周囲から「マジですか」という視線が集まりました(笑)。私自身も感動。仕事に火がつきました。

また、これも歯科医院での話ですが、ある時から管理栄養士主催の「おやつ(料理)教室」を開催することになりました。特に私がいる時には障がいを持つ子を呼ぶことになりました。そんなある日のこと。私が会場に到着すると「平尾さん、今日は大変やで」とスタッフが言うんです。「来る子がとにかく多動だ」「ここ(医院)には触れたらいけないものがたくさんあるのに、触っちゃいけないものも触るし走り回るし、診察室にも入ってくる」と。そして次の句で「今日の平尾さんのミッションは、その子らにとにかくケガをさせないことです」と言われました。

――責任重大です。

こういう場合は最初が肝心。ファーストコンタクトですね。私は子どもが会場に到着するや否や、すぐさま適度な温度感で「今日一緒にお料理をさせてもらう作業療法士の平尾です」と挨拶をしました。すると「大変だ」「大変だ」とされていた子どもが、のっけから「この先生、好きや」と言いました。これにまず親が驚きます。続けて共にエプロンをし、手を洗った上で私が質問をしました。「これからオレンジの果汁を絞る作業をしたいのだけど、する? しない?」。するとB君という子が「する」と言いました。そして、やる気満々でオレンジを絞り始めたのです。私は、彼の肩に手を添えて後ろに立ちました。B君はしばらくすると飛び出そうとし始めます。じっとしていられないためです。でも、私がほんの少しだけ添えた手に力を入れるとB君はちゃんとわかって多動を抑え、作業を続けました。結局その日、B君は全く動き回りませんでした。それを見た通りがかりの歯科衛生士たちが「あのB君がちゃんと作業をしてる……なんで?」「いつもと全然違う」と驚いていたのを覚えています。

――冒頭から子どもの心をつかまれたのですね。

特に「おやつ教室」の料理作業については、子ども自身に「選ばせる」ことを意識しました。「する? しない?」と一つ一つ聞いて本人に「する」を選択させる。すると子どもの中に「自分が選んだんだ」というマインドが生れます。こうなれば、おもしろいことに「急に駆けださないで!」「飛び出さないで!」「逃げないで!」といった強い命令は必要なくなります。むしろ「ここにいてね」という願い程度の感覚で「余白ある対応」をするだけで子どもはおとなしくなるんです。「おやつ教室」の時の場合「肩に添えた手にわずかに力を入れる」ことでB君の力がスッと抜けました。B君が動きたがり始めるサインをしっかり受け取るところは直感ですけれど、周りから見れば手品を見せられている気分になるようなちょっとした手の入れ方で、「大変だ」と言われていた子が落ち着き、その子と良好な関係も築けるようになります。こうした経験を重ねるうちに、私にとって作業療法士が天職だと思えるようになりました。

平尾さんの「仕事哲学」の核心

――子どもとすぐに打ち解ける平尾さんですが、子どもと接する上で大事にしていることを教えてください。

大きく三つあります。一つは、一人の人間としてしっかり子どもを見ることです。中鶴先生から教わった繰り返しの話になりますが、作業療法士は決して「してあげる」存在、「与える」存在ではありません。私もそう考えています。子どもにはもともと能力があります。言葉を選ばずに言えば元来「一人前」なのです。大人が上から見下ろすべき人格ではない。私は何かを「してあげる」というより、共に遊んで、潜在していた彼らの能力が出てくるきっかけを共有し、実際に力が芽吹くのを楽しんでいます。「してあげる側/される側」という非対称な関係にはなりません。

それからもう一つ、彼らの「自信」を大切にしています。子どもたちが「ドヤ顔」になる瞬間をできる限り多く、子どもと共に作ることに心を砕いています。私と関わる子どもたちは、ただでさえ日常的に「あれができない」「これができない」に直面しています。だからこそできたの時のドヤ顔を大事にしたいんです。

そして最後の一つが、先入観を持たないようにすることです。私が対応する子どもには、やはり「大変だ」「大変だ」と言われている子が多いです。そんな子どもに対して、あらかじめ「大変な理由」や「不安要素」をインプットして私が不安を抱えて臨めば、子どもは敏感に察知して心を閉ざしてしまいます。多動の子は多動になってしまう。だから私は、例えば多動の子に対する心構えはしっかり持ちつつも、一方で先入観にしばられないようにともマインドセットして子どもと接しています。すると、やはり良好な関係が築ける。ここが大事です。

以前、先天性の重い病気を持ち、寝返りすら打てない子と接したことがありました。周りは彼の病状ゆえにいろいろなことをあきらめていたのですが、私はあえて先入観を持つことを避けて彼に接しました。私は初見で、「あ、この子は私の言っていることがわかるな」と直感。「何々君、これ、鳴らしてみる? 鳴らしてみない?」と聞きました。すると彼は私の言葉をとらえて笑顔になったんですね。意図が十分に汲めたかはわかりませんが、後日のこと、彼の病室にお邪魔したら、彼が目で私を発見した瞬間、また笑顔になってくれたんです。周りの人たちが「えっ。何々君、先生が来たのがわかったんだ」と驚いていました。全身がほとんど動かない子と長くつき合っていると、ひょっとしたら身近な人でも「この子にはアレができない」「コレもできない」という先入観に陥るのかもしれません。ですが「この子にはどうせできない」と判断して、はなからその子にいろいろなことを「やらせない」でいたら、当人の自己肯定感はどんどん下がってしまいます。実はきちんとした方法でやらせてみたら「できた」という例はたくさんある。もったいないです。先入観は、本当に捨てた方がいいと思っています。

――ちなみに先ほど「する? しない?」と聞いて子ども自らに作業の選択をさせるという話をされていました。それは子どもの自主性や主体性を引き出す問いでもあると思います。ここも大切にされていますか。

子どもはどんなに小さくても、幼児であっても、「自分で選んだことができた」「自分で選んだことをお母さんがしてくれた」という経験が得られると自己肯定感が上がるんです。ところが大人はついつい「あれをしなさい」「これをしなさい」となりがちです。本人の意思で何かをさせるというより、命令的に言うことを聞かせようとしてしまう。子どもに選ばせないで「与えて」しまう。そうすると自主性や主体性が育ちにくくなります。私は基本的に「する? しない?」の二択で聞いて、本人に選んでもらっています。本人の判断を尊重する。これも「一人の人間としてしっかり子どもを見る」ということにつながるでしょう。だから「平尾さんはとにかく子どもから好かれますね」と言われるようになったのだと思います。

これからの展望

――平尾さんがこれから成し遂げていきたいことについてお聞かせ下さい。

目前の目標として、まずは特別支援学校の先生たちに使ってもらえる作業療法「虎の巻」の冊子を作ります。アダプテーションや「円座の形に巻いたタオル」の効能といった現場の知恵をふんだんに盛り込んだ内容にします。

加えていま私が取り組んでいるのが、広島大学と広島刑務所・法務局で推進している刑務所内の受刑者支援です。具体的には、刑務所内で罰として課せられる作業を、出所後もそのまま活かせるようにしたり、所内での経験をキャリア形成の足がかりにできるようにとさまざまにアプローチしています。なぜ作業療法士の私がそこに関わっているかというと、実は刑期を抱える人の中に、知的障害や発達障害を持っている人がかなりいるという見方があるのです。作業療法士は障がい者の「ここが難しいのかな」「ここが苦手なのかな」といったことに気づきます。だから求められるのです。また、社会的な話をすれば、そもそも障がい者が子どもの頃に「自分の能力を引き出してくれる人」と出会えていたら、受刑しなくて済むかもしれないという考えがあります。私は犯罪に手を出す障がい者を一人でも減らしたいとの思いで、障がい者と支援者をめぐる社会の構造を変えていきたいと思っています。私は作業療法士として、これからより多くの障がいを持つ子どもと接していくつもりです。

――壮大な目標ですね。

私の作業療法士としての究極の目標は、「私がいなくても子どもは大丈夫」というところまで持っていく点にあります。最初はサポートが必要な子どもであっても最後は「平尾先生がいなくなっても良い」という状態に持っていきたい。あたかも、火事の根絶を目指す消防士が、でも実際に火事がなくなると仕事を失ってしまうように、作業療法士も理想を実現すれば「自分たちを社会が必要としなくなる」段階になります。私はそれでいいと思っています。むしろそういった世界を実現したいと考えています。これからも現場に立ち続け、理想を追いかけ続けます。

――今日は貴重なお話ありがとうございました。

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