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自分らしさに悩む君へ。勇気や力につながる言葉を心の底からつむぐ

本連載の主題「GIFTに生きる」は「見返りを気にせず誰かや社会のためになることをやり続けていくこと」を意味する。人から人へ、良いコト・モノをギフトする行為は、めぐりめぐって、自分自身にも返ってくる。この連環が社会をより豊かにすることを、実践家・石丸弘と、「退職学™️」研究家・佐野創太と共に学んでいく鼎談(ていだん)、今回は「自分らしさ/個性」について深堀りしつつ語り合った(過去記事リンクは最下方

まだ「何者でもない」人が「何者か」になること

正木 石丸さんと佐野さんは個性的な人生を歩んでいます。もちろん個性のない人間なんていないわけですけれど、一般的には「個性強いな」と言われる生き方をされていますね。

石丸 正木さんは「知の越境家」、佐野さんは「退職学™️」研究家ですもんね。個性的です。

佐野 個性でいうと石丸さんは次元が違います(笑)。資本主義の外に出て「稼ぐ」という発想を手放して、ひたすら人に「与える/手渡す」を実践して生きているんですから。

正木 それぞれ市場の中でのキャラ設定があるなあ(笑)。とはいえ、自分が「何者であるか」を決めるのは大変だったと思うんです。10代、20代は「エネルギーは有り余っているけれど、まだ何者にもなっていない世代」と言われます。そこからマーケットの中でポジショニングしていく、つまり「何者かになる」わけですが、これが大ごとなんです。

佐野 市場価値はね……個性に紐づいてはいますが、個性とイコールではないですよね。

正木 純粋に「個性」というと、先ほども言ったように個性のない人間なんていません。まったく同じ顔の人間がいないように、人それぞれ個性も違う。これほどハッキリしている事実もない。あなたにはあなたの、私には私の個性がある。それぞれの性格があり、それぞれの個性がある。個性があるから人格ができる。個性があるから、その人でなくてはならない生き方があり、人生がある。人間の一生を、そんな「自分らしさや自分の個性」を思う存分に発揮し開花させていく場にできたら最高です。

佐野 自己実現ですね。ありのままでそれができたらいいのですが、僕は不器用なので、個性的な自己を実現するのに相当苦労しました。僕の「退職学™️」だってそうです。確立するまでが必死です。

正木 「知の越境家」という出版社からいただいた僕の肩書きも、血のにじむような葛藤の積み重ねからでてきたものです。

短所が長所にひっくり返ることがある

石丸 そういった"肩書き"もそうですが、人格的な個性を磨くには鍛錬が必要ですよね。たとえば口数が少ない人がいるとします。無口でおとなしくて、本人もそれで悩んでいる。でも、意識的に「必要なことを必要な時にしっかり話していける自分になっていこう」「勇気をもって言うべきことは言える自分になっていこう」と努力していくことで、その人は「おしゃべり」とは違った、重みのある、味のある話し方ができるようになるかもしれない。とつとつと語るけれど説得力がある、みたいな。今の世の中、雄弁が是とされる傾向があって、それが「個性的だ」と評価されるきらいがある気がしますが、ほんとうの個性は、トレンドに流されない、人格からにじみ出るものだと思うんです。

佐野 "とつとつ"的な個性だって立派なんですよね。

石丸 僕は極端に飽きっぽい性格で、当初はそのキャラに悩んでいました。でも、いま自由人みたいな生活になって、あれこれやれるようになると、むしろ飽き性が「あれこれ手を回せる」キャラとして活きるようになった。現在、年間80くらいのプロジェクトに参画していますが、これは飽き性ならではの仕事だと自負しています。

正木 短所が長所になったわけだ。

石丸 だから、長所・短所を見て短絡的に「俺、ダメだな……」と思う必要ってないんですよね。

佐野 「私、ダメだな……」と焦って、誰かの個性を絶対的にあがめて猿真似してしまうと、果てなき「自分らしさの迷宮」に迷い込みます。

社会不適合者の烙印を押されたような苦悩

正木 佐野さんは、かつて大きな挫折をしたそうですね。

佐野 社会人2年目の時点で早期離職を2回したんです。その時、就職エージェントから「(転職してもすぐ辞めてばかりいて)荒れてるんで、もう登録できないです」って言われて。で、無職になったんですよ。再度就職という道も絶望的になった。これはきつかったです。社会不適合者の烙印を押されたようでした。そうなると、精神的な負のループにハマっちゃって、「俺、生きてる意味あるのかな」って思っちゃいましたね。その時にやっていたのが、朝、起きられた時に「起きられた」ってメモを残すことでした。「着替えられた」「歯を磨けた」みたいな「できたことのメモ」をひたすら残しました。そうでないと、何もできない自分に押しつぶされそうだったんです。無職になる前の企業が「残業200時間」とかだったので、心身がボロボロだったんだと思います。

正木 やばっ……。そこから、どうやって抜け出したんですか。

佐野 抜け出したというか、抜け出すことをあきらめました。僕、中学生くらいから「キャラ迷子」だったんです。ずっとブレブレで「自分がないな」って感覚がずーっとあった。まさに、果てなき「自分らしさの迷宮」をさまよっていたんです。そんな時に、「分人主義」という考えに出合いました。ひとりの人間にはさまざまなキャラが混在していて、人はキャラを使い分けて生きている、と。逆に、確固たる「たった一つの自分」なんて存在しない、という考えが分人主義です。この思考に出合った時に、自分らしさについて変に考えなくなりました。「どれもこれも自分だな」「多重的な人格が混在したものも自分だな、それでいいじゃん」って思えるようになったんです。

正木 分人主義! 平野啓一郎さんが提唱された「分人主義」ですね。

佐野 それです。自分らしさって考えれば考えるほど「闇」じゃないですか。考え出すと「キャラが立ってないな、俺」ってなっちゃうんです。正木さんほど僕は本を読んでいないし、石丸さんほどギフトにも生きられていない。「キャラ立ちしてないな」と思ったら、つらいですもん。他人と比べるより、他人といかにコラボするかを今は考えています。自分らしさより、足りないところをみなで補い合う人間関係を大切にしています。

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うつ病、自殺未遂、自分らしさに殺される

正木 じつは僕にも絶望的な時期がありました。社会人になって割と早い段階で、うつ病を発症したんです。それまでも「自分らしさ」には悩んでいましたが、うつになったら、他人と比べることがあまりにも苦しくて、「こんな俺なんて存在しない方がいい。俺が消費してる食べ物も、食料に困っている人に分け与えた方が価値的だ。俺は存在自体が穀つぶしなんだ」って負のループに落ち込みました。自分で自分を追い込んで、自殺未遂もしたんです。そんな"どん底"から「自分らしさ」探索の旅に出るって相当しんどかったんですよね。

石丸 その苦悩は僕には計り知れないですけど、苦難を乗り越えて生き延びてくれて、今日こうやって正木さんと語り合えていると思ったら、超・ありがとうって感じです。

正木 ありがたいです。当時、取り立てて能力に自信があったわけでもなく、世間とも断絶して引きこもっていたので、とにかく僕は危うかったです。「何も価値発揮できない俺はこの世からいなくなった方がいい」って発想にしかならなかった。人の目を気にしていたら「死ぬしかない」という強迫観念にかられるしかなくて。だから手首もカッターでガッと切りました。たまたまその時は助かりましたけど、死にたい衝動に全細胞が突き動かされている感じでしたね。

佐野 どうやって助かったんですか。

正木 手首をカッターで刺した時、なぜか僕、テレビをつけていたんです。まさに「死ねる」と思ったその時です。テレビが、急に騒がしくなった。何が起きたかって「JR福知山線脱線事故」の速報が流れたんです。それを見て「何だこれは」と僕は思った。とりあえず尋常ではない、と。「友人知人・家族が事故に巻き込まれたかもしれない」と泣き崩れる人たちの姿もテレビに映されました。それを見て、ハッと我に返り、僕は止血を始めました。死ぬ気が失せたんです。

本音と建て前を使い分け続けることで個性を見失う

石丸 壮絶な体験ですね……。きょうは「自分らしさ」がテーマですが、苦悩のど真ん中にいる時って、そもそも「自分らしさ」を考える余裕なんてないですよね。悩みの大海でおぼれている時に、「自分らしさって何ですか?」と聞かれても、「それどころじゃねーよ!」って話で。

佐野 分人主義でいえば、「ほんとうの自分」なんて追求するのがナンセンスなんです。玉ねぎの皮むきみたいなもので、「これが自分らしさかな?」「これかな?」って皮をむいていったら、最後は何も残らないっていうのが「自分」なんだと思います。

正木 石丸さんはアイデンティティクライシスみたいなご経験はされていますか?

石丸 アイデンティティというか、いまの「ギフトに生きる」という生き方がそもそも「独自路線、行ってるなー」って周りに判断されていますからね(笑)。アイデンティティについてはさほど強く意識していないです。ただ、昔イジメられていたせいもあって、心を閉ざしていた時期が長らくありました。で、それ以降は自分の本音をひた隠しにしたので、やがて「自分のほんとう」がわからなくなった。これはつらかったです。

佐野 かりそめの自分みたいなもので生きていたんですね。

石丸 そうそう。でもその一方で、自分の本音に耳を澄ましてみると、怒りや憎しみや嫉妬なんかが渦巻いているわけです。「うわ、俺って汚いな。なんでこんなことで腹を立てているんだろう」って、僕の場合、自己嫌悪が始まりました。それからはもう「自分らしさ」が何なのかまったくわからなくなりました。混乱状態というか。でも、時を経て、いま自分がこうやって「自分らしさ」について冷静に語れるようになったのは、そういったプロセスがあったからだと思えるようになったんです。僕は、その過程も含めて「自分らしさ」だと思っています。人は多面的です。時には「自分らしくない」行動だってとります。でも、僕はそれもまとめて「自分らしさ」だと考えています。

正木 今の話で思ったんですけど、「強み」と「個性」って違いますよね。強みはスキルの話で、それこそ上には上がいくらでもいる。ある尺度でもって比較ができます。「より強い」「より弱い」という言い方ができる。でも、「個性」はその人にしかない唯一無二のキャラクターです。これは比較のしようがない。「より個性」なんてことはないわけです。そう、自分の好きなところも嫌いなところも含めて、個性です。そこをちゃんと見つめて、嫌いなところは佐野さんみたいに他の人に手助けしてもらって調整すればいい。大事なのは、「こんな俺は嫌だ」と、嫌いな側面にフタをしてしまうのではなく、あるがままに自分の個性を見つめることだと思います。

佐野 同感です。

正木 哲学者の三木清が、「成功」と「幸福」の違いを述べています。それと同じです。成功には「より上の成功」があって、比較ができる。尺度は、お金や地位などです。一方の幸福は主観的な「感じ」なので、比較のしようがない。それこそ、路傍の花に感動する感性があれば、貧乏でも幸福だということはあり得る。このあたりを混同しないことが重要ですね。

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自分の個性が活きる場所に行くことの大切さ

佐野 以前、就職相談に乗っていた時に、広告業界に1社も受からない女の子がいたんです。彼女は相当自信を失っていました。でも、「IT業界も受けてみたら?」と提案して、実際にそうしてもらったら、一気に5社くらい内定がもらえたんですよね。

石丸 すごっ!

佐野 その子自身は自分をみじんも変えていなくて、ただ挑戦する領域をスライドしただけなんです。でも、広告代理店などで合わなかった彼女のキャラが、ITではハマったんですよね。広告業界とIT業界では求められる人材像というかキャラが違うので、スライドするだけで内定ゼロから「内定がバンバン出る」に変わることができたんです。「これ、できる?」と聞かれたら、とりあえず「できます!」と答えてから「さあどうしよう?」と考えるのが広告業界で、それは彼女に向いていなかった。彼女はどちらかというと、指示があった時に「できること/できないこと」を仕分けして言うタイプだったんですね。ITではそれが活きました。

正木 面白いなあ。居る環境を変えるだけで個性が活性化するんだ。

佐野 この例を通して僕が感じたのは、自分の個性が活きるコミュニティに「行く」ことって大事だなということなんですね。僕は自己肯定感がめちゃくちゃ低くて、それこそ地面にめり込むくらいなんですけど、そんな僕でも自分が活き活きできる価値基準のコミュニティってあるんです。そういう場所で自分を活かすと、個性が輝いて、本人も精神的に安定します。自分が活きるコミュニティに「行く」が大事です。

正木 それでいうと、「行かないコミュニティ」を定めておくのも大切かもしれませんね。

自信を持てるようになるには

石丸 正木さんはうつ病から這い上がる時に、どうやって自信を身につけたんですか?

正木 僕の"恩人"は本なんですよね。うつ病の時、本なんてほぼ読めなかったんですけど、ある日ある瞬間から1行読めるようになって。それが1ページになり、1章読めるようになり、と、だんだん薄皮を剥ぐようにして1ページ1ページめくっていけるようになった。その際に「些細な話かもしれないけど、きょうも僕はこれだけ本を読めた。そこは自分で自分を褒めてあげよう」って決めて、じっくりじっくり一歩一歩あゆみを積み重ねていったんです。それが今の自信につながっています。今でこそ「15,000冊超を読んできた」なんて数字でバーンって出していますけど、この数字は僕にとって背骨なんです。

石丸 着実な積み重ねが、自信になっている、と。それって僕の実感に近いかもしれません。僕は、派手な転回があって人生が変わる、みたいなことで得る自信ってよくわからないんです。だから、僕のところに「人生変えたくて来ました」という人が来たら、「僕のところじゃ急な変身はできないよ」って言うことにしています。僕自身が「ギフトに生きる」を選ぶまでに長い時間を要しましたから、一朝一夕で自信はつかないとどこかで思っているんですね。

正木 僕は知性に過剰な期待はしていないし、知性ができることってきわめて限定的だと思っていますけど、ただ、知的蓄積が自信を与えてくれるということは体感しました。それを広められたらいいなあって思います。

佐野 「助けられる」という知性の側面って大事ですよね。

石丸 何かの蓄積もそうですし、あと、自分を認めてあげることも大事ですよね。「自信がある」とひとくくりに言っても、いろいろな自信があると僕は思っていて、たとえばプレゼンの前に自信満々に構えている人であっても、家では家族の前で自信がない自分をさらしていたりするわけです。自信って一つじゃなくて、各瞬間に、自信があるところとないところを抱えているのが人間だと思う。僕も、こうやってトークすることには自信がありますが、「即興で何か作曲して歌え」ってなったら急に自信を失います。僕にも、自信があるところとないところがあるんですね。ただ、自信のあるところが「ゼロ」という人はいないんじゃないかって僕は思っているんです。だって、「呼吸はイケるな」って自信あるじゃないですか。

佐野 呼吸(笑)。

石丸 いや、ほんとうに考えたんですよ。自己肯定感がなかった時に、生命活動についてはとりあえずいけてるなと、自信が持てたというか。

正木 生存ベースで考えると、自信が持てる部分があるという(笑)。

石丸 でも、どこかに自信がわくフックってあるんです。それを探すのをあきらめないでほしいなって思います。

[参考文献]

[アーカイブ]


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