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『週刊文春』はなぜ"文春砲"になれたのか? ゲス&ベッキー(センテンス スプリング)甘利(賄賂)は契機に過ぎない。

"文春砲"の威力といえば、もはや誰もが認めるところだろう。全国紙はじめあらゆるメディアを置き去りにし、「特ダネすっぱ抜き」を連打するさまは『週刊文春』のお家芸だ。しかも、かつてでこそ誤報等による訴訟もあったが、同誌のターニングポイントになった2016年には民事訴訟を一件も受けなかった。ファクト第一でのウラ取り。物証を押さえる。現場写真を張り込んで撮る。取材対象の言い分もしっかり載せる。それらによる報道の正確性・信頼性も認められてきており、権力と闘う舞台として文春が選ばれるようにもなった。番組『テラスハウス』に出演していたプロレスラー木村花さん自死をめぐり、母・木村響子さんがフジテレビを告発するために選んだのが文春だった。森友学園問題による近畿財務局職員・赤木俊夫さん自死関連の手記公開の場として選ばれたのも文春だった。文春は、権力者や"強者"の心胆を寒からしめている。

なぜ『週刊文春』だけがスクープを連打できるのか

なぜ『週刊文春』だけがスクープを打てるのか? インタビューを受けた現・編集局長の新谷学氏はド直球の質問にこう答えた。

「今年になってから何度も聞かれた質問ですね。答えは至って単純。それはスクープを狙っているからです」(柳澤健『2016年の週刊文春』452頁)

スクープ狙いに愚直。「新聞でもテレビでもスクープの土俵から降りはじめているような気がする」と氏は言う。なぜなら、スクープをつかむまでにあまりにも膨大なコストがかかるからだ。特ダネを追うために長期の張り込みが必要になることもある。人的リソースも時間もかかる。定点観測、ウラ取りにも凄まじい労力が要る。取材先からの訴訟リスクも負わねばならない。しかも取材が「空振り」に終わったり、掲載不可になることもある。インスタントで大衆ウケ狙いの薄っぺらい記事が跋扈する現代にあって、スクープ狙いは「降りた方が良い仕事」と思われるようになっていた。

新谷学氏はこうも語る。

「いまのメディアはコンプライアンスという言葉で自縄自縛している。現場の記者は『うちはコンプライアンスがうるさいから』と言い訳してリスクをとらなくなり、ロクに取材もしないまま、大本営発表のネタだけを書き続けている。どこのニュースを見ても横並びで非常に危うい状況です。(中略)ウチは思いっきり食い込んで、その上で書きますから。書いたことで怒られて切られても、もう一回食い込めばいい。それが『週刊文春』なんです」(同517頁)

「大本営発表のネタ」と聞いて、私は"忖度合戦"記者クラブや、政府の記者会見を想起した。

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紙のメディアが死にゆく中での文春ひとり勝ち

全国紙誌の驚異的な部数減がニュースになって久しい。紙の出版物の発行部数は急減し、街では書店が次々と潰れている。私も元新聞記者として、また現ライターとしてこの現況に胸を痛めてきた。もちろん抗い難さは知っている。だが、2020年上半期の『週刊文春』の実売部数は「ひとり前年を上回った」(2020年上半期、本書は同年12/30刊)という。文春は、売れている。とはいっても、その文春ですら長い期間でみれば部数減が続いてきた。上昇に転じたのは、ようやっとの今である。

1959年(昭和34年)4月の創刊時、週刊誌として文春は"圧倒的泡沫"だった。当時の週刊誌といえば『週刊朝日』『サンデー毎日』『週刊読売』などが主流。要するに新聞社発行のものばかりだった。出版社が週刊誌を出すこと自体に懐疑の目が向けられた。自前の輪転機もない。販売網もない。記者の数も少ない。というより、まず取材のノウハウがない。そこからどうやって勝つというのか。わずかに"先輩格"の『週刊新潮』と『週刊文春』の違いも世間にほとんど認知されなかった。その時代を知る人からすれば、隔世の感といったところだろう。現今は、文春ひとり勝ちだというのだから。文春は「所詮、週刊誌だろ」という社会からの見方をも変えている。

力を持ってしまったがゆえに負う責任倫理

文春はしばしば、倫理的な観点で非難されてきた。文春がすっぱ抜いた企業人や芸能人の人生は、掲載によって大きく変わってしまう。

「言論の自由と人権の関係は微妙であり、明確な一線が引かれているわけではない。『週刊文春』を一躍有名にした〈疑惑の銃弾〉でさえ、人権軽視だの、メディアによるファシズムだのと散々非難された」(同170頁)

責任は、重い。

タレントのベッキー氏とアーティスト川谷絵音氏の「禁断愛」を報じた時も、スクープ性を維持しながらどう矛を収めていくかが社内で議論された。ふたたび新谷学氏の言を引用しよう。

「誤解されているかもしれませんが、『週刊文春』にはベッキーさんを断罪したり、袋叩きにするつもりはまったくありません。我々が報じたのは、好感度の高いベッキーさんが恋をしていました。お相手は妻のある男性で、紅白にも出場したミュージシャンでした。意外な素顔ですね、というところまで。休養しろとかコマーシャルに出すなとは一切書いていない。大騒ぎしたのはテレビのワイドショーやスポーツ紙です。一度"水に落ちた犬"になると、みんなで一斉に叩きまくる。俺はそういうのが大嫌いなんです」(同434頁)

そもそも「週刊」である文春の性質上、ニュースをつかんでから報道するまでにはかなりの時差がある。日刊紙やウェブメディアには速報性では勝てない。その文春が、他のメディアを"後追い"させることに成功した理由こそ「他ではありえないほど徹底的にスクープを追うことにこだわったから」だ。その上で、確かに「ベッキー禁断愛」報道の第一報はかなり中立的な書きぶりだった。

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ベッキー氏を断罪するのではなく事実を伝える

ところがベッキー氏は

「不倫関係をきっぱりと否定した」(同432頁)

記事は事実無根だというのである。そうなれば文春としても事実性を示さざるを得ない。「ウソ週刊誌」のレッテルを張られるわけにはいかない。この時、文春は収益的にも部数的にも死に体に近かった。

「当初、『週刊文春』編集部には、この件を何週も引っ張るつもりなど毛頭なかった」「が、記事内容を完全否定された以上はそうもいかなくなった」(同頁)

そこで、しっかりウラ取りをして編み上げた第2報「ゲス乙女の妻 涙の独占告白」、第3報「ゲス&ベッキー"禁断愛"は終わらない」を続けて掲載した。特にこの第3報に載った二人のLINEでのやりとりは読者を驚かせ、一大センセーションを巻き起こした。

ベッキー「(記者会見では)友達で押し通す予定! 笑」
川谷「逆に堂々とできるキッカケになるかも」
ベッキー「私はそう思っているよ!」
川谷「ありがとう文春!」
ベッキー「センテンス スプリング!」(同頁)

「センテンス スプリング」(文春の珍名)は2016年上半期のネット流行語大賞で金賞にもなった。文春はしばしば、掲載した相手から「虚偽だ!」と反論を受ける。しかし今の文春の徹底ウラ取りは、虚偽のさしはさまる余地を極小にする取材力に支えられている。ウソを許さない。虚偽だといわれれば、厚みある取材から続報が出せる。当事者が事実を認めず、結果、文春砲連打をあびて最悪の事態に陥り、ようやく自らの否を認める、というパターンがよくみられるが、文春は特ダネに浮かれて誤報を流すメディアとは完全に一線を画している(そういったメディアに自らが落ちないことを強く強く意識している)。

「すっぱ抜く」ことに伴う胸の痛み

もちろん、文春・新谷学氏には「相手を殴っている」という自覚がある。胸の痛みがないなどということはない。だからだろう。文春はその後、ベッキー氏とのコンタクトを始め、手紙のやりとりもした。その際に担当だった渡邉庸三デスクは「いまでも(その手紙を)大切に持っています」と語る。

筋を通す態度は、実は誌面にも表われていた。通途のメディアであれば、「センテンス スプリング」の記事を雑誌トップに持っていくところだろう。しかし文春は当初から「『週刊新潮』とは違う路線」「つまり社会ダネを追っ」てきた。社会的な問題があれば、芸能スキャンダルよりも先にする。ベッキー氏の第3報においてもそのスタイルは貫かれた。トップを飾ったのは「実名告発 甘利明大臣事務所に賄賂1200万円を渡した」である。

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芸能スキャンダルより「社会ダネ」を先んじて

このニュースもまた、ベッキー氏のニュースに劣らず世間を騒がせた。文春側に自信があったわけではない。芸能ニュースに比べ、政治ネタは読まれない。それは新谷氏の実感でもあった。結局読み手は、固い記事よりもタレント失脚のような話に興味があるのだ――。それでも、ベッキー氏のニュースよりも優先して甘利氏の賄賂を大きく報じた。これが"あたった"。

スクープ取りは徹底している。甘利氏周辺の身辺調査と行動確認を行い、カネを渡す場所の目星をつけると、そこに10回張り込んだ。チャンスはなかなかめぐってこなかったが、たまたま(賄賂の)告発者と(甘利氏の)秘書の近くの席が空いた。会話を聞きつつ写真まで狙えるような機会が訪れたのだ。記者は彼らに背を向けて座り、カメラマンはカバンの隠しカメラを作動。まもなく決定的瞬間が訪れた。告発者が現金の入った包みを取り出し、秘書が満面の笑みで受け取ったのだ。

「『ウフフフ、私がお預かりしておきます』。まるで時代劇のようなワンシーンを、カメラは見事に撮影した」(同436頁)

賄賂報道の証拠は十分にあった。告発者は「記事を早く出してほしい」と焦っていたが、文春は、告発者に報復があったり告発者の家族に危害が及ぶのではないかと考え、タイミングを待った。担当だった加藤晃彦デスクはこう述べる。

「スクープは、他のメディアが追いかけてきて初めてスクープになるものです。当時の安倍政権は支持率も高く、新聞やテレビは腰が引けているから、簡単には後追いしてこない。でも、年明けには通常国会が開かれ、予算委員会も毎日開かれる。そのタイミングで『週刊文春』に記事が出れば、当然、野党の議員は甘利大臣の収賄について質問し、新聞もテレビも追随せざるを得ない」(同438頁)

「文春はウソを書いている」に応じて続報を出す作法

本件が世間に与えたインパクトは想像を超えた。あのNHKが週刊誌(『週刊文春』の)記事をニュースで紹介するという雑誌史上前代未聞の出来事もあった。しかし、野党からの追及を受けた甘利氏は「何の話をされて、どういうことをされたのか、今は事実関係の記憶を辿っているところ」といった体裁ではぐらかした。むろん文春は、続報を出す。首相官邸には、「甘利大臣を晴れの舞台であるTPPの署名式に行かせてやりたいという意向」があった。そのため、新谷編集長(当時)にも「何とかならないか」という申し入れがあったが、新谷氏は「何ともなりませんね」と突っぱねた。

この一件が起きる前まで、政局は「安倍一強時代」といわれていた。しかし、甘利賄賂の報道で「安倍首相はだいじょうぶか?」という雰囲気に社会がひっくり返った。その意味を、ジャーナリスト立花隆氏はこう書いている。

「雑誌の歴史に残る見事なスクープといってよい。グラビア三ページ、活字六ページにわたる一大スクープで、金銭受け渡しについては現場写真あり、渡された現金五十万円の生コピー写真あり。現場でのナマナマしいやりとりの情景描写あり(やりとりの録音あり)。領収書等の書類のコピーあり。現金を受け取って思わずニンマリしている甘利大臣の秘書の写真あり。さらに(中略)証言とともに、甘利氏とのツーショット写真におさまっている支援者の写真あり、これでもかこれでもかというほど各種の証拠証言が次から次に出てくる。甘利氏があそこで大臣を辞めなかったら、続報に次ぐ続報が出て、事態は収拾がつかないものになっていただろう」(同440頁)

ここまで掘り下げられる取材力のあるメディアがいま他にどれだけあるだろうか。本件によって文春は「社会ダネでもいける」という自信を深めた。その後の「公器たるメディアの面目躍如」はみなさんがご存じのとおりである。

職人集団の矜持。あくまでスクープにこだわる

改めて書くが、文春の強さはスクープに表われている。取材力が、群を抜いている。それは地道で泥臭い作法だ。ネットの情報を適当に集めて記事にさえできる時代である。有名人のTwitterをつなぐだけでコンテンツ化できるのだ。その現況を見て、しかし文春を「時代錯誤だ」と指摘する人はいないのではないか。それがあってこその"文春砲"なのだから。

文春にも当然「今はスクープの時代ではないのかもしれない」という逡巡があった。コスパが悪い。リスクが高い。速報性をどう担保するか――? それでも文春はスクープにこだわった。なぜ、それができたのか? メディアからIT企業に転身し、ビジネス市場に身を置く私が抱いたのは、『週刊文春』編集部がビジネス環境として「まとも」だったから、ということだった。私は同編集部を会社にみたてて本書を読んでいた。私が抱いた印象は「会社として、極めてまとも」だった。適度に自由さを残し、編集・記者に自由裁量を与えつつ、しかしブレない信念も持つ"社風"が、書き手のモチベーションをグングン上げた。

1990年代、週刊誌は「ヘアヌード」で読者を惹こうとした。その時に文春は「ノーヌード」を貫いた。現在の"文春砲"の威力的な結果からさかのぼれば、「やっぱりそういうことが経営にとって大事なんだよ」と宣うビジネスマンもいるだろう。しかし、当時その場にいて同じように信念を貫けるかというと、心もとない人がほとんどだと思う。端的に、文春は凄い。そして文春編集部が大事にしている「自由さ」は、デジタル領域、例えば「文春オンライン」などでも力を発揮し始めている。「スクープをとる」から「スクープで稼ぐ」へとビジネスコンセプトを改めつつ、同社はウェブメディア業界でも、非常に「後発」だったにもかかわらず、ダークホースとなっている。

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自由で伸びやかでおおらかな文藝春秋が好き

その「自由さ」は、『週刊文春』の思想にも表現されている。文藝春秋社を創業した菊池寛は、「文藝春秋は左傾でも右傾でもない。もっと自由な知識階級的な立場をいつまでも続けていくつもりである」という言葉を残している。右にも左にも忖度しない。あくまで特ダネをすっぱ抜く。昔から受け継がれてきた「メディアの王道」を行く。そして社会ダネを大切にし、インテリ層をうならせることにも貪欲であろうとする。

新谷学氏は言う。

「いま、いろいろなところから『文春さんと組みたい、一緒に仕事がしたい』という話がきている。単にビジネスになるだけでなく、日本には、文春のように書くべきことを書き続けるメディアが必要なんだ、と文春ブランドを評価していただいている。コンテンツメーカーである我々とプラットフォーマーとの契約も、以前よりも遥かに好条件で結べるようになりました。俺は自由で伸びやかでおおらかな文藝春秋が大好きなんです。その美風を変えないためにも、しっかり稼がなければならない。従来のビジネスモデルを大胆に変えていかなければならない。まさに第二の創業のような重大な局面だと感じています」(同512頁)

「文藝春秋が大好き」という新谷氏にもさまざまなドラマがあった。「文春、なんなんだよ!」という時期もあった。上記の本書末尾の一文だけを取り上げれば、順風満帆な成功譚が想像されるかもしれない。しかし、文藝春秋社への毀誉褒貶、同社の紆余曲折もまた尋常ではない。それは本書を手にとって確かめてほしい。艱難辛苦を知ったうえで、本稿冒頭で私が紹介した「なぜ『週刊文春』だけがスクープを打てるのか?」に対する新谷学氏の応答

「答えは至って単純。それはスクープを狙っているからです」(同452頁)

を読んだとき、私は号泣していた。元新聞記者だからだろうか。現ライターだからだろうか。経営にかかわるビジネスマンだからだろうか。そうではないと私は思う。『2016年の週刊文春』は、「ただただ理想を理想で終わらせたくない」という編集者・記者たちの意地の表出であり、彼らの「崖っぷちを行くスリリングな歩み」、社会政治、そして社内政治の応酬史、そして「これからの文春」のスタートラインを明示するものである。紙のメディアしかなかった時代のピリッとした緊張感を伝える重要資料でもある。2016年のベッキー氏・甘利氏のニュースは、文春砲が生まれるのに大きく貢献した。それは確かだ。だが、この本を読めば、文春砲が地下にたまったマグマの爆発だったことがわかる。文春砲は2016年時点で、まさに誕生のエネルギーをたくわえ切っていた。両ニュースがなくても、文春砲はいずれ生まれていただろう。

本書が、メディア関係者だけでなく多くの読者の目に触れることを切に望む。この本は、書き手、編集者、経営者、ビジネスマン他、多くの人にとって福音になる。

最後に、生前懇意にしていた菊池寛のお孫さん・ゆうきさんに、14年の時を経て改めて追悼の意を表したい。

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