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株式会社COCOL代表・沼尻理花の自分史|インタビュー(聞き手:ライター正木伸城)

ファッションデザインや商品企画・プロデュースを長年手がけ、現在は株式会社COCOL(ココル)代表として「伝統工芸」や「再生素材」「地域開発商品」の商品企画からPR、販売まで展開する沼尻理花さん。彼女はいま、自身が得た知見を後進に伝えるために個人事業主やスタートアップ企業のサポートも行っている。また、自らも一段と飛躍することによって、世代を超えた「共創」的シナジーを生み出そうとしている。型にはまらない沼尻さんのキャリアはそのまま若い人たちの希望になるだろう。ここでは、彼女の人生の歩みとその原動力に迫っていく。

【プロフィール】沼尻理花・ぬまじりりか 株式会社COCOL代表。Z世代の起業家支援や「地域創生」「サステナブル」「SDGs」「教育」といったテーマのコミュニティデザインを推進しながら、ファッションデザイナーとしても活躍。SDGsをテーマとした4,000人のコミュニティ運営も行う。アパレル系の専門学校を卒業後、数多くの商品企画等を手がけ、チーフデザイナーとしてヒット商品を世に送り出す。独立後は「ファッション」と「サステナブル」をテーマとしたイベントの企画や学校等でのサステナブル特別講師、ブランドコンサルティングなどの活動で活躍の幅を広げ、2021年に現職。埼玉県出身。二児の母。

COCOL(ココル)の事業について

――株式会社COCOL(ココル)の人材支援は特徴的で、取り組みとしておもしろいです。人材マッチングという要素もある気がします。

とあるデザイナーのプロの方から「自身が培ってきたことを次世代に伝えたいが、若い人たちとどのように出会って、彼らとどうコミュニケーションをとっていいかがわからない」と相談を受けたんです。一方、若い世代からも「お金がないし、学びたくても学べない」という声を聞いていました。そこで「じゃあ、両者を仲介するプラットフォーム的な会社をつくろう」と考えCOCOLを立ち上げました。現在のCOCOLは「サステナブル」と「教育」をテーマに人をつなげていますが、これからさらにジャンルを広げていきます。また、ワークショップ開催のサポートはもとより、たとえばZ世代の起業支援もより充実させていく予定です。もちろん「支援」といっても漠然としたものではありません。起業経験者やリタイアされた経営者、国内外の大学教授などに参画してもらって、手厚くサポートしています。

――COCOLはある種の教育機関ですね。

若手支援の事業は、実質的には教育的な要素があると言えるかもしれません。ですので、最終的には若い起業家たちには"卒業"して巣立ってほしいと思っているんです。私たちは、彼・彼女らの可能性をできる限り発揮させられるよう後押しします。その後、彼らには自身の翼で羽ばたいていってもらいたい。

また、これ以外にもCOCOLでは商品開発事業も行っています。商品開発といっても、こちらも、実質的には地方で頑張っている職人さんや一人で奮闘している企画者の支援という展開の仕方をとっています。いまは伝統工芸品やサステナブルな素材を使った商品を扱うことが多いですが、同事業も今後ジャンルを広げていきます。各商品はブランディングまで手がけ、場合によっては開発にかけた「思い」や「経過」を情報コンテンツにまとめて発信したりもします。世のなかには、それくらい「応援したい!」と思える良質なものがたくさんあるんです。でも、人々に知られていない。もったいないなって率直に思います。

――沼尻理花さんは単身、デザイナーとしても活躍されています。

単独ではファッション企画&デザイナーをメインの仕事にしています。たとえば商社の新規事業室に入ってコンサルタントをするという感じです。それも「応援したくて応援している」という感覚でいます。博愛主義みたいな立派なものではないですけど、私、困っている人がいると応援したくなっちゃうんですね。特に、良いものがあるにもかかわらずそれ相応の評価を受けていない、みたいな状況を見かけたら、プロデュースしたくなるというか、広めたくなってしまいます。

ひたすら居場所を探した幼少期

――愛が深い。なかなかそういう発想にはならないですよ、普通は。

そこは、でも悩んでいます。こんなことを冒頭から言うと「え?」って思われるかもしれませんが、私、愛についていろいろ考えてはいるんです。でも結局、愛が何なのかがわからないんですね。別に、特段「哲学的に」考えて追求しているわけでもないんですが、ただ、実感として「あ、これが愛だ」って確信を持って言えるものがあるのか、すでに感じているのに気づいていないだけなのか、それがわからないんです。

――その感覚は出自に関係しているのでしょうか。

断言はできないですけど、特殊な環境で育ってきたとは思います。私の母が精神疾患をわずらっていて入退院を繰り返していたんですね。それが激しくて、私は当時の記憶をほとんど掘り返せないんです。妹が言うには「何回か(母に)殺されかけた」という状態だったらしいです。家中の食器が割れて散乱しているとか、母が号泣しているとか、徘徊しているなんて記憶は、確かに私にも断片的ながら残っています。

一方の父ですけど、父は父で頑固一徹というか、おだやかな気性という感じではなかったので、居心地がいい家庭ではなかった。なので、小さい頃は近くに住んでいたおじいちゃん・おばあちゃんの家によくいました。山に囲まれた自然豊かな環境のなかで、畑で採れたものや山で実っているもの、猟師の祖父が捕ってきた動物なんかを食べたりといった生活がより幸せな記憶として残っています。実の父母との交流は、正直あまりなかったです。むしろ祖父の猟師仲間がたくさん祖父の家に来て、みなで鍋をつつきながらしゃべっていたことが楽しかったです。

自分の居場所を"つくった"小中高時代

――実の家には居場所がなかった……。

だからだと思いますが、小学生になったら学校を自分の居場所にしました。学級委員をやりながら勉強もしっかりして、リーダー役を楽しんでました(笑)。で、クラスの先生のアシスタント的なポジションを獲得するという。いまから振り返ればですけど、たぶん家以外の場所で「自分の価値をどうつくるか」に必死だったんだと思います。私の主観としては、親からの愛というものをほとんど知らずに育ってきたという感覚だったので、おそらく……。ただ、かといって愛の欠落感にさいなまれるという感じでもなく、すごく冷静に、理性的にものごとを見ていました。

――愛が欲しいという情動というより、理性で動いていた、と。

たとえば、たったいま「先生のアシスタント的なポジションを獲得」と言いましたけど、それを、頑張って、狙ってやるわけです。小学校で最強のポジションといえば、先生に気に入られることですから。このポジショニングは中学生や高校生になってもやっていました。中高時代にも生徒会をやりつつイベントの委員等にもなって、勉強もガツガツ取り組みました。で、場面場面で「一番力がある人」を見極めて、その人にくっついてその人を喜ばせる、みたいなことをしていた。

ただし、一方で「打算のみのポジショニング」をしていた感じでもありません。たまたまですけど、私自身がひょうきんで明るいキャラでもあったので、かわいがられるのが好きだったし、得意だったんでしょうね。だから「媚(こ)びる」「へつらう」みたいな嫌らしい感じはしなかったし、「親の愛情の欠落を埋める」みたいな寂しさを背負っている風でもありませんでした。心底楽しんでポジショニングをしつつ、むしろ子どもの頃は「一番になる」ことにこだわっていました。勉強とか、それこそ作品づくりとかでも一番を目指しました。

「ファッションデザイナーになる」を実現

――居場所づくりを超えて、天下を取りに行くんだ(笑)。

でも、生徒会をしてはいましたが、髪の毛は染めるしエクステはつけるしカラコンはするしで、ファッションは自由にしていました。

――そのオシャレは反抗期がゆえの反抗ですか。

というより、ファッションが好きだったんです。誰よりも先にトレンドを取り入れたかった。

――その姿勢がファッションデザイナーへの道につながるんですね。

それもありますけど、祖母の影響も大きかったです。祖母の本家がまゆの製造をしていたり、着物もつくっていたので、幼い頃からファッションに触れていたんです。この意識がずっとつづいていて、小学5年生の時に家庭科の授業で裁縫をした際に、物作りが楽しくて、思わず自分で生地を買いに行き、型をとって服をつくり始めたんです。この体験が、ファッションデザイナーという職種への憧れにつながりました。

最終的に私は、大学に行かずにファッションの専門学校へ進学。卒業後、ファッションデザイナーになりました。配属されたのは新規事業を手がける部署です。そこでたくさん新規企画を経験し、またさまざまなステークホルダーと先進的な話題で意見交換をするなかで、多くのことを吸収しました。加えて、当時会社の事業コンサルに入ってくださっていた方からも「提案の仕方」などを学び、社内提案などに活かしました。

――若い時から幅広い経験をされてきたんですね。

チーフのポジションに就いていたころには、製造、営業、企画、デザインから納品までと、さまざまなことを手がけながらマネジメントもしていたので、この時に「会社のつくり」というか「経営」というものを肌感覚で知ることができました。これらの経験によって磨いた多角的な力とセンスで、いろいろな商品企画も形になり、ヒット商品を何度も世に送り出しました。

多彩な経験を経て独立へ

――そんななか、独立をされるわけですが、きっかけは何だったのでしょうか。

27歳で結婚して、現在の私は2児の母でもあるのですが、2人目の子どもが生まれて育休から戻った時に、個人事業主の方と初めて仕事をしました。31歳の時だったのですが、わたし的にはその方の働き方が相当な学びだったんです。「どうしたら個人で勝負できるようになるのか」「3倍の仕事をこなすために時間をつくる方法とは何か」といったことに関するノウハウやマインドを吸収できた。これが大きかったです。

――独立への道が見えたのですね。

私は2回の出産のたびに、産休・育休を経て働くことの大変さを実感していました。復帰というのは難しいもので、私も必死ではあったのですけれど、育児放棄状態になったり、働きすぎて病院に運ばれてしまったこともありました。そんな状態のなか、個人事業主の方の働き方を見た時、「あ、会社を辞めても、子どもを育てながら好きに働くことができるんだ」と目から鱗(うろこ)が落ちて。それでマインドが変わって、33歳の時、独立することにしました。独立後、ブランド向けトレンドMAP作成、マーケット情報MAP作成、ショップチャンネルでのブランド作成と出演などが新たな仕事となりました。

すさまじい情熱の原動力になっているもの

――とはいえ、華々しく成果も出されていた上での独立です。相当な情熱というか、原動力がないと一歩は踏み出せないでしょう。沼尻さんにとって何が力になっているのでしょうか。

「女性の働き方」という点で、より自分が活きる働き方を選んだという側面はあります。また、会社の代表という責任あるポジションに自身を置いて勝負したいという願望もありました。ただ、これらって「願い」ではあるのですけど、この願いがどこから来るのかとなると、その表現が難しいんです。家族への「愛」とか言えたらいいのでしょうけど、私の感覚を正直に表現すれば、原動力になっているのは「怒り」だと思います。いまインタビューを受けていて、あらためて思いましたね。私には、愛がとても難しい。でも、正しいか正しくないかはわかるような気がしていて、自分の正義感にのっとって不正は正すようにしています。その際に力になっているのが「怒り」なんです。間違ったことに対する怒りです。

たとえば、働き方改革が言われるようになって、女性活躍推進が叫ばれていますよね。その現象のなかで明らかになってきたのは、女性が不当に評価されている実態だったんです(そんなことは昔から感じていましたが)。私は、そういったことが許せなくて。ちなみに、いま現在の会社でサステナブルに力を入れているのも、怒りが原因です。地球環境を破壊する人たちへの怒り、動植物の生態系を壊している、人が人を殺していることへの怒りです。

――その「怒り」にも原体験があるのでしょうか。

ニュースで湾岸戦争を見た時に「人殺しなんて許せない!」と思ったことが原点だと思います。ただ、その時は「戦争関係者こそ死ぬべき」といった極端な考え方をしていました。しかも自分は自分で自己犠牲的に人に貢献して死にたいとも考えていた。当時、憧れていたのは、ジャンヌ・ダルクとスタジオ・ジブリの映画『風の谷のナウシカ』のナウシカです。死を意識していました。でも、今はそれだけではダメだと思っていて、なので、怒りを発端にはしつつも、何かをする時には皆に受け容れられる形にサービス化してブランディングして、別のアプローチをとるようにしています。怒りは、ともすると何かをやりすぎたり、壊したり、正確な判断をできないようにさせたりするものです。だから、そこは持ち前の冷静さで理性的に考えて、怒りを社会のプラスになる方向に変えています。

根っこにあるのは「怒り」と「愛」?

――「怒り」と「愛」、ちょっと哲学的な話になりますが、両者は通じているところもありますね。愛する人に危害を加えようとする人間に対して、人は怒ります。その怒りは愛ゆえの怒りです。

確かにそうですよね。それに、人が「愛情」に動かされることは頭でも理解しているし、感性でも捉えられている、そんな気がしなくもないんです。売れるものをつくることには自信があるし、ブランディングしてトレンド化することに自分が特化できて、業界で名が知られるくらいになれているのも、他人の情動を把握できるからなんですよね。ただ、愛って喜怒哀楽ほどにはやっぱりハッキリしていなくて、「わかる」っていう風には言えないんです。

――でも、愛がわからないからこそ、「愛を知りたい」とも思えるのかもしれません。愛への「不知」が力になっている、とか。むしろ、だから愛についてはあえてハッキリさせないのかも……。

愛がわからないからこそ、愛を求める力が原動力に……。それはあると思います。あと、これはまだ手探りですけど、いまちょっと思いました。私は、愛の意味をハッキリさせるのを避けているのかもしれません。もし愛の意味が自分なりにハッキリしたとしますよね。それで、定義づけしたものを父母に照らしたとしたらどうなるか。そのときに父母が果たして「愛を注いでくれた存在だったのか」って疑問視してしまうんじゃないか。そういう恐れがあるから、あえてハッキリさせていないんじゃないかって。

うーん、わからないですけどね。ただ、いま原動力になっている感情が「怒り」オンリーではなく、「愛」と呼べるものにもなっているかも、という実感はでてきました。難しい話をしているようですが、おそらく、若い世代の起業家サポートも、いいものだけど伝わらない商品も、ただ怒りだけでできることじゃないんです。むしろ、彼らの可能性に胸をわくわくさせている。彼らのもつ芽を大切にしたいとも思っている。ここは間違いがなくて、本気でもあります。気持ち的に「怒り」だけという感じはしません。

――それこそ愛情と呼べそうです。サステナブルも、ただ「怒り」だけで沼尻さんのように推進はできない。たぶん、沼尻さんは愛の意味はわからなくても、愛に生きていると思うんです。

最終的には、お客さんやみんなの喜ぶ顔が見たいんですね。小さい頃から、ひょうきんにバカをやって楽しくしてきたのも、喜ぶ顔が見たかったから。これからも私は愛については「わからない」って悩むんだと思います。でも、確かに愛の意味はわからなくても愛に生きることはできますよね。

――スマホの構造はわからくても、スマホを使って人は生きていますから。

そうそう(笑)。人やサービスや商品・モノを通じて、私はこれからもたくさん表現して、「わからない愛」を追求していくつもりです。プロデュースしている若い子たちの未来も楽しみですし、相手が信用してくれた時により応援して行きたいと感じます。環境に優しい商品プロデュースでもたくさんヒットを生み出してきたし、結果を出すことには特に自信があるので、楽しみにしていてください。何より、私自身が自分の未来を楽しみにしています。自らが成長する姿を示して、後輩たちに触発を与えられたら最高だなって思います。

――本日は、ありがとうございました。

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