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日本の佳きものを世界へ。事業創出支援・経営改善のプロフェッショナル・Josh Onishi(ジョシュ大西)の自分史

経営改善の請負人として欧米7社でCEO・CFOを務め、企業の立て直しを実現してきた日本人が、いま活躍の圏域を日本に広げ始めた。Josh Onishiジョシュ・大西)氏である。蒼穹を仰ぐようなレベルで名実ともに「実力者」と言われる彼にはどのような人生遍歴があったのだろうか。話を伺った。

【プロフィール】Josh Onishiジョシュ・大西) 起業家・投資家。コンサルティング会社FortéOneのHead of Japan。欧米1200店舗、売上800億円の和食チェーンHANA Group元・北米CEO。欧米7社で経営の立て直しを実現してきた。2018年にビジネス・インテリジェンス・グループのSustainable Hero Awardを受賞。2019、2020年に全米レストランニュースのThe Power of List CEOに日本人で初めて2年連続で選出。その間、累計約600億円の会社売却に成功した。コロンビア大学MBA卒。

――最初に、キャリア形成のギアが入った契機について教えてください。

私にはビジネス上のハッキリした原点はありません。かといって「気がつけば」現在に至っていたという戦略無しの話でもない。私が大事にしているのは「明日死ぬとしたら、今日『それ』をやりますか?」と自身に問いかけることです。この姿勢が今につながっています。また、私は「人生で起こることに『失敗』はない」とも考えています。他人が失敗だと見做すことも、私はそう捉えません。売り上げが出なかった戦略も過去にありますが、結果的には「あのとき売れなかったことが、こう活きてくるのか」という状況に必ずなっています。失敗は存在しない。後悔はしない。これが私の信念です。

――大西さんはコロンビア大学でMBA(=経営学修士)を取られています。優秀な学生だったのでしょうか。

正直そうではなかったです。中学時代はほとんどを遊んで過ごしました。高校時代もバンドを組んで夢中になり、勉強はそれなりにしかしなかった。秀才肌とは無縁だったと思います。いろいろ事情はあれど、内申点も平均以下でした。ただ、受験勉強だけは一点突破しました。高校受験も、大阪大学経済学部への進学も、自身の「弱点」を見極めて強化し、乗り切った形です。特に国語が苦手で、四百字詰め原稿用紙を埋めることもできないくらいでしたから、漠然と対策を講じていては間に合いませんでした。

――最大瞬間風速で力を発揮することに長けていたのですね。

弱点の把握が得意なんだと思います。自分に何が欠けているのか。何を補強すれば良いのか。本質をつかむ能力についてはありがたくも周囲から評価されています。コンサルティングで会社経営に関わる今でも、「ジョシュはなぜ、関係する会社の弱点をすぐに捉えられるのか?」とよく質問されます。もちろんアメリカで積んだ多彩な経験があるからウィークポイントを把握できるわけですが、育ちも影響しているかもしれません。

たとえば、超・短期で受験に合格できたことは自身にとって大きな経験でした。志望校は、「合格は無理だよ」と教師が匙を投げるようなところです。最短で成果を得る必要があった。その時に目をつけたのが自身の「弱点」でした。先に述べた国語もそうですが、弱点を集中補強して「強み」に変えた。すると、合格が実現した。優秀とはいえない私でも「ポイントを押さえて精進すれば、結果は出る」と知ったのです。そこで得た自信が「失敗は存在しない」という確信につながったと思います。

――その後、大西さんはアメリカの大学院に進学されます。なぜアメリカに渡ったのでしょうか。

「アメリカで一旗揚げる」といった漠然とした思いはあったと思いますが明確な理由はわかりません(笑)。一方で、高校時代から英語を学びたいとは思っていました。当時わたしの進路相談を担当してくれていた東京外国語大学出身の先生がこう言ってきたのです。「大学で英語を学ぶ時代はもう終わりだ。大学では経済を勉強して、英語圏に渡ってMBAを取って、生きた英語を学ぶべきだ」と。結果、私はコロンビア大学でMBAを取りました。そこまでが大変でしたが……。貧しい家庭で育ったため、学費を工面する必要があったのです。大学卒業直後からアメリカの大学院入学までの半年間で500万円の学費を貯めて渡航しました。仕事は、4つ、5つ掛け持ちです。電気通信事業者のスタッフや学習教材の販売、家庭教師などをしながら働いて、どの仕事でもトップの成果を出しました。

――弱点を見極める能力がさっそく開花したのかもしれません。

ウィークポイントというと表現が違うかもしれませんが、たとえば飛び込みで学習教材を売る時に、アポイント無しで学校に行って、「この中学校の場合は副校長に声をかけたら売れそうだ」とポイントを見極め、副校長に営業をかけるといったことをしました。これは余談ですが、そういったことが評価されてか、その会社の社長に気に入られて、渡米や進学のための仕送りまでしてくれたことが忘れられません。

――愛されるキャラクターだったことがうかがえるエピソードです。続いて、アメリカでの学びについて教えてください。

MBAを取るには実務経験が必要です。昼は働きました。ありつけた仕事は米国の高卒者が就くような業務です。それと同時に、いろいろ調べる中で「公認会計士」になった方がアメリカで有利という情報を事前に得ていたため、会計を学ぶ目的で大学に通いました。最終的に、私が通った大学は4つ。勉強時間の捻出は大きな課題でした。ですので、僭越ながら当時の上司に「仕事が早く終わったら、会計の学習をしても良いですか?」と聞いて、許諾を得ました。

もちろん、勉強があるとはいえ仕事にも全力です。私はAccessのデータベースを活用したり、Excelでマクロを組んで新たにデータベースを作成し、可能な限り業務を自動化。作業効率を上げました。8時間かかる仕事を2時間で終わらせられるように仕組みを作り、残る時間を勉強にあてたのです。その働きぶりに上司が驚いて、私はどんどん昇給していきました(仕事量も増えましたが)。

しかし――ここで意外なことが起こります。当時いた会社の親会社からCEOがやって来て「君は会計に向いていない。ファイナンスをすべきだ」と言ってきたのですしかも「フロリダで買収した会社があるから、CFOをやらないか?」とまで言い出しました。「3年やって俺が納得する成果を出せたら、その後は自由にしていい」と。突然の抜てきですよね。でも、それまで必死に会計の勉強を続けて、公認会計士の資格を取る準備も万全にしていましたから、私の衝撃は言わずもがなです。加えて彼は、CFOになる条件として「1週間後にフロリダ(州)のマイアミに引っ越せ」とも言うわけです。

――人生の岐路がいきなりやってきた……。

悩みましたね。その時に私がしたのが「明日自分の人生が終わるとしたら、私がしたいのはどちらか?」という内省です。気がつけば車に家具を積んで運転をしていました。当時いたニューヨークからマイアミまで、3日ほどかけての移動です。CFOの道を選びました

その後は与えられた役を全うするために東奔西走。当初はその会社に資金繰りのナレッジがなく、銀行などとのリレーションシップもほぼない状況でしたが、やがて(会社規模に比べて相当に高額な)10億円規模の資金調達・ファイナンスを実現、信頼を勝ち取れたと思います。そして、やることは全てやり切って退職。進学を果たしました。

MBAを取得してからは、さまざまな企業にCFOとして参画し、経営の「立て直し」をしましたね。そこで活きたのが「弱点を見極める」能力です。自動車に例えるとわかりやすいかもしれません。走行中の車が何か調子が悪いとします。運転手(=経営者)には原因がわからない。ところが助手席に座っている私には「オイル交換が必要だ」「あの部品が壊れかけている」等と理由がわかります。車のダッシュボードを見れば、スピードメーターで速度が、燃料系でガソリン量がわかるわけですが、それと同じように課題を可視化して経営戦略を次々に提案。経営改善に成功しました。 

――「戦略的CFO」の面目躍如です。

米エコノミストのパネルディスカッションでパネラーを務めるJosh Onishi氏

ただ、それを繰り返しているうちに心境に変化が起こります。CFOにもどかしさを感じるようになったのです。というのも、どんなに良い戦略を提案しても企画に乗らない経営者はいるわけです。失敗をしてしまう人もいた。そんな経過を見ていて「俺も運転席に座りたい(=CEOになりたい)」と考えるようになったのです。折しもその時はCFOのヘッドハントが3社から来ている時節でした。私は大胆にも「CFOもやりますが同時にExecutive Vice President(副社長的なポジション)にも就きたい」と交渉しました。経営に参画しつつ戦略的CFOも担わせてほしい、と。これを許してくれたのが、和食チェーンGenji(現在のHANA Group)です。

「ジョシュなら、売り上げ100億円(当時)のこの会社をもっと大きくして従業員の物心両面を満たしてくれると信じている」と言われ、最終的にはGenjiの社長に就任しましたその後、同社は売却を経てHANA Groupに。私は北米社長兼パリ本社役員を務め、3年間でグループ全体の売り上げを600億円にすることに貢献できました

そして、2019年に同社のバイアウトに成功。2021年に投資会社JO Capitalを立ち上げてCEOに就きつつ、現在はコンサルティング会社FortéOne のHead of Japanも務め、飲食などのスタートアップ投資家として後人の支援もしています。まだ着手して間もないですが、中にはアメリカでの売り上げが1年半で20~30倍になった企業もあります。そういった実績もあり、今は、上場している日本の大企業からもオファーが来ています。日本のサービスを海外展開したいという企業の手伝いができることは私の喜びです。

――まさに「破竹の勢い」です。なぜそのようにできたのでしょうか。

やはり「明日死ぬとしたら、今日『それ』をやりますか?」を徹底した結果だと思います。若い頃にマインドが育った影響は大きいです。だからこそ「教育」の大切さを実感しています。そういった意識があるからか、SDGsなどが言われ、サステナブルが注目されている今にあっては、サステナブル系の講演会でレクチャーもしています。実はHANA Groupにいた時にサステナブルな寿司・日本食が海外で受け入れられやすいことを感じていました。環境にやさしい漁法・製法などを経てにぎられた寿司は信頼されるのです。日本に比べて海外はサステナブルに対する意識が高く、取り組みも進んでいましたから、私のレクチャーにも需要がありました。

――大西さんはアメリカのサステナブルガバメントのトップが取るような「Sustainable Hero Award」も受賞されています。最後に、これからの大西さんの目標について教えてください。

私は今、ニューヨークのビジネススクールでマネジメント戦略の授業などを受け持っているのですが、人材育成に力を入れたいと思っています。後輩を育てる機会を日本でもたくさん作っていくつもりです。すでに講演も投資もしています。コンサルティングも始めています。

若い人たちは柔軟です。日本の教育はしばしば「暗記偏重」と言われ、日本のビジネスシーンで上位役職にいる人たちはその教育で結果を出した人が多い傾向にありますが、いわゆる「メモリゼーション」の成果に偏らない人材配置が日本で実現できるよう支援もしていきます。問題解決能力や学習法には、メモリゼーション以外にも多彩なものが存在します。海外には、日本人が想像もしないような思考回路でイノベーティブな仕事をする人がたくさんいる。そういった人たちと仕事を共にしてきた私だからこそ提供できるものがあるはずです。それを伝えると決めています。

また、サステナブルな食文化を広げていきたいとも考えています。地球や未来の子どもにやさしい食材を世界展開したい。日本食がそこで活躍します。寿司を始めとした日本の伝統食を、イタリア発祥のピザのようなレベル感で世界に認知されるところまで持っていきたいです。

加えて、日本の人材が世界で活躍しやすい環境も作っていきます。日本食をきかっけに日本の信頼を高めたり、海外で活躍する日本人を増やすのです。そうすれば日本の後輩が海を渡りやすくなります。「海外の良いものを日本に取り入れ、日本の良いものを世界に広める」という取り組みを続けることで、その道を開きたい。必ず、達成します。

――刺激的なお話、大変にありがとうございました。


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