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他人と比べて不安になる価値観だと、不登校はしんどい

思いを引き出すインタビュアー、鯨井啓子です。

不登校新聞に記事を書かせていただいていてから、自分の体験についていろいろと振り返ることが増えました。

学校に行けないのも会社に行けないのも、私の場合は同じ理由でした。集団行動が体質的にも気質的にも、極端に苦手なのです。だから今は、組織に属さずフリーランスで仕事をしています。そしてその働き方は性に合っているようで、生活全般に精神的な安定を与えてくれています。

学校を始めとする組織での活動が、私にとってなんであんなにしんどかったのか。ここ数日考えを巡らせる中でいろいろなポイントが見つかったので、ひとつずつここに記していこうと思います。

◆「学校に行けないこと」が劣等感を煽り続ける
◆学校に行かない時間を有効利用するために
◆オーダーメイドで自分にぴったりの世界をつくりあげる

◆「学校に行けないこと」が劣等感を煽り続ける

いちばん大きいのは、他人より自分が劣っていると感じる機会が増えたことです。人それぞれ得意不得意があるので、集団の中にいると、自分がそこそこ得意としていること、できることで、「私、他の人よりできることあるじゃん!」という自信を得ることもあったりします。

けれど、その集団に入っていけなくなると、「(みんなにとって、社会にとって普通なことである)学校や会社に行けない」というそのシンプルな事実が、私の劣等感を煽り続けることになります。「普通」なこともできない。私はダメな人間だ。まずは学校や会社に行けてから、そこから勝負が始まる。だから私は不戦敗だ。

学校や会社は平日5日間はずーっとやっているので、劣等感や罪悪感はほぼ毎日私を刺激し続けることになります。これじゃせっかく学校に行かず、身を守った意味がなくなるのです。

◆学校に行かない時間を有効利用するために

不登校というのも、人生の中にある様々な状況のうちのひとつである。だから、有効利用してはいけないという理由はない。楽しんでいけないわけもない。私はそう考えています。ではそのためになにが必要か。それは、自分自身の中に安心を見つけることだと私は考えます。

今学校に行けない、会社に行けないという現実がある。私の場合は、頭で行きたいと思っても、身体が動きませんでした。どれだけ理屈で「社会活動ができないなんて普通ではない。いけないことだ。」と自分を罰しても、それは事実なのでどうにもならないのです。だから、事実は事実として受け入れるしかない。

ただ、事実をもとに自分を罰する必要はないのです。私はこういう人なのだと現状を受け入れて、そのうえでどう生きるかを考える。やることはこれだけです。

例えば私は聴力がとても細かくできているようで、ザワザワした環境に長時間いると極端に疲弊してしまいます。そういう体質です。この体質をどうにか変えることは難しい。でも、環境や、一緒に日々を過ごす人を変えていくことや、自分自身の体質をしっかりと見極めて、まわりに配慮を求めることはできます。

そうやって「自分」が安心して生きていられる場所。それがたまたま家の人もいれば、学校、会社の人もいる。そういうことでしかないと思うのです。その人が得意な場所で咲けばいい。そのためにも、自分の中にしっかりと安心を見つけて行かなければいけない。私はそう感じています。

◆オーダーメイドで自分にぴったりの世界をつくりあげる**

しかし残念なことに、この作業は誰も代わりにやってあげることができません。自分で徹底的に自分と向き合うしかないのです。自分の中に安心を見つけるというのは、学校というある程度フォーマットの決まった社会に自分を当てはめるわけでなく、オーダーメイドで自分にぴったりの世界をつくりあげていく作業だからです。私の母の耳と私の耳は別の感じ方をするので、どんなに母が愛してくれていても、私の耳の調節は完璧にはできない、というように。

それでも、どこにあるのだか分からない「普通」と自分を比べて不安になっている時間にできることは、きっといっぱいあるはずです。今の年齢の、今の場所に住み、今の人間関係の中で感じるあなたの「今」は、この一瞬以外にない。ならば目いっぱい楽しんでいいと思うんです。あなたならではのやり方で。

不必要に自分を責める必要はなくなると思います。せっかく生まれてきたのだから、あなたらしく楽しく生きよう。過去の私に、今の私は心の底からそう伝えてあげたいです。そのためにはほかの人の与えてくれるものを待っていてはいけません。あなたがあなたの世界のリーダーです。



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