見出し画像

「視える」と思っていたのは、実はフラッシュバックのせいだったのかもしれない

こんにちは。
ほえーるけいこです。

ずっと書きたいと思いつつ、なかなか言語化できていなかったことがあったのですが、さっきふと「今なら書けるかも」と思ったので書いてみることにします。それは、いわゆる「視える」という現象についてです。具体的に目に見えるものではなく、直感で、あるいはいわゆる第六感的なことで拾い上げた情報をキャッチできるぞ!というアレのことです。

私は精神科の先生に診断を受けてきたわけではなく、詳しく後述しますが、自分自身が抱えていた症状の改善方法をなんとか手探りで探り当て、なんでかよくなってしまった人間です。そのため、断定できることが少ないので「いわゆる」という表現がたくさん出てきます。まどろっこしくてごめんなさい。

私の「視える」バックグラウンド

霊能者ように亡くなった人が見える、みたいなことはまったくないのですが、私はこどもこの頃から勘がいい方で、ふと顔が浮かんだ人から連絡が来るとか、その人のニュース(良くも悪くも)を目にすることになるとか、いわく付きの場所を察知しやすいとか、そういう類の情報を察知しやすいところがありました。それが嵩じると、しんどい人の状況に強く影響される「もらう」状態になったり、最悪サイキック・アタックのような状況になることもあったり。相当辛いものの長年乗りこなし方がわからず、お手上げ状態が続いていました。

30代になってから、自分がアルコール依存症患者のいる機能不全家族で育ったアダルトチルドレンであることを自覚するようになり、心身のさまざまな状況を改善していくために心理学関係の文献を読み漁ったり、大学に戻って学び直しをしたりするようになりました。その中で、「複雑性PDSD」と呼ばれる状態が自分の置かれている状況に非常に似通っていることに気づき、改善方法を参考にしつつ、自分自身の心身の状態を改善していくことにしたのです。

特に参考になったのは、この本でした。

その中には、過去の体験が蘇り、その場にいるような感覚に陥る、フラッシュバックと呼ばれる状況にどう向き合えばいいのかも書いてありました。そして気づいたのです。私がいわゆる「視える」状態だと思っていたとき、起こっていたのはフラッシュバックだったのではないか!と。

「症状」と対処法

いわゆる「症状」にも個人差があるとは思うのですが、私はよくお風呂に入ってリラックスしているときに、過去の嫌な記憶に飲み込まれるような感覚になって、過呼吸になって倒れそうになっていました。それ以外にも、過去の記憶との明確な関連を感じられなくても、不満を抱えていたりする人や不穏な状況のそばにいると、ヘロヘロになってしまうこともありました。そして、ひどいときには2、3日寝込んでしまうほどに消耗してしまうのでした。

フラッシュバックと「視える」が関連するのかもしれないと気づいてから、何かおかしなことが起こりそうだと察知したときには、フラッシュバックが起こったときと同じ対応をすることにしました。内容はこんな感じです。

・お風呂の中で起こったときには、水面をバシャバシャ叩いて水飛沫を起こすことに集中する
・外で起こったときは、脳内でマツケンサンバを再生して、ご陽気な気分に集中する(松平健さんありがとう)

ポイントは、些細な異変をしっかりキャッチする。そして、過去の記憶やネガティブなイメージの中に取り込まれるのを阻止すべく、「今、ここ」に必死でしがみつくことです。そしてそれを続けていくうちに、いわゆる「視える」状態自体が起こりにくくなりました。心身が楽になるうちに、私にこのような現象が起こるのは、子どもの頃の家庭環境を危険だと感じていて、そこに深く傷ついてきた分、異様に周囲の様子を注意深く見ようとしてしまい、些細な危険をも察知しようとしてしまうことと関連があるのだなぁと思うようになりました。特殊能力というかなんというか、生物として安全に生きるための力だったんだなぁと。

「視える」を手放す

それでも私はどこか、「視える」状態を特殊能力のように思っていて、手放し難さも感じていたのです。けれど、フラッシュバックの頻度が減り、心身が軽くなるにつれ思うようになりました。「これってそれほど大切な能力か?」と。

「言葉を介さなくても相手の気持ちが手に取るようにわかる」ことが「視える」ことのメリットだとするならば、それを自分が誰かにされて「わかるよ」みたいに言われてもちょっと嫌だよな、という気持ちが強くなってきました。私たちは言葉や表情、ボディーランゲージなど、幅広い方法で思いを伝え合えるのだし、その手段を磨くほうがよっぽど建設的ではないか?と思うようになったのです。

それに、相手にはあえて言葉にしてないこともたくさんあって、それを勝手に勘繰ることは果たして親切なのか、ということにも疑問が残るなと思いました。だとすれば、相手がが何かを話したいと思ったときに話しやすい人になることや、本音を話せる相手を見つけ、大切にする方が、よっぽど重要なのではないかと思ったのです。

もちろん、これがすべての人に当てはまるわけではないと思うし、あくまで個人的な体験をシェアしているのにすぎません。少なくとも私が調べていく中では、いわゆる「視える」能力とトラウマや複雑性PTSDの関連について調べている研究は見つけることができませんでした。(ご存知の方がいらしたら、よかったら教えてください。)それでもここ10年ほど、仮説を積み上げ、コツコツと自分の心と身体で実践し、手応えを感じた方法だったので、ここにアウトプットしておこうと思います。

今でもフラッシュバックの回数がゼロというわけではありません。ものすごく疲れているとき、なんだかモヤモヤしているときに起こる場合もありますが、対処法を知ってるので軽傷で済むようになりました。その分できることも、書ける文章も増えました。そしてそのことを今、私はとても快適だと感じています。

よろしければサポートをお願いします。いただいたサポートは、創作活動継続のために使わせていただきます。