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英語アレルギー、おさまる

ちょっと前から感じていたのですが、以前は無意識のうちになかったことにしていた英語のニュースとか映画とかの内容が、意識しなくても自分の中に入ってきて、あんまり力を入れなくても内容を理解できてることが、最近グンと増えました。

私は大学時代の4年間をアメリカで過ごしました。いい経験もたくさんしましたが、根っから海外が大好き!というタイプでない自分にも気づいた時間でした。

アメリカにいたときの「伝わらない」というストレスと、帰って来てからの、英語ができる=通訳翻訳まですらすらっとできるはず。という、周囲の誤解とリスペクトのなさと、それに付き合ってしまった自分のせいで疲れ切ってしまい、気が付いたら英語大嫌い!な、英語アレルギー状態になっていました。

原因は分かりやすかったので、その疲れが癒えたからアレルギーがおさまった。いうことなんだと思います。それにしても、ずいぶん時間がかかったな。でも、もう一生ダメかと思ってたけど、案外もとに戻ったな。ということに驚いています。

能力セーブで起こる、強制的な方向転換

似たようなことは、親子関係のモヤモヤを解消していた時期にも起こりました。今まで大好きだった活字が、まったく読めなくなりました。文字が文字であることは認識できるけど、それがちゃんと意味を持って組みあがって自分の中に入ってくることがなくなってしまったのです。

要は、外にばかり意識を向けてるんじゃないぞ!自分の中を見なさいよ!感じなさいよ!と、身体に言われていたわけです。こんなふうに、ギリギリのところにくると、身体が勝手に能力をセーブすることで方向転換を促してくる。ということなんだと思います。

人間は常に同じことをやっているからいいわけではないので、外を見たり、中を見たり、持っている力で社会貢献したりという『やること』は、その時々で変わります。そして『やること』は、ギリギリになると身体がスペックを変えることで強引に方向性を変えてくる。だからある意味では、何事もなるようになる。ということなのだと思います。

ただ、このギリギリまで待ってしまうとエネルギーロスも増えます。そうすると、本当にやりたかったことができない!という事態も起こりうるのです。

だから、大事なのはいつも自分自身のキャパシティをしっかりと把握して、身体の指し示す今『やること』を乗りこなすことなのだ、と感じています。

そして私は、昨日なぜか急激にベルギーに興味が出てきて、めっちゃ調べてしまいました。英語圏じゃないですけど。笑 まだ、行きたい!と思えるほどではないけど、今まで心身を守るために降りていたシャッターが上がって、大分軽くなってきたことを実感しています。

思っている以上に身体って賢いし、イニシアチブを持っていると思います。現代人はどうしても頭で身体を動かすのが正解だと思いがちなところがあるように思いますが、どっちも尊い。どっちもリスペクトして、これからの流れを楽しみたいと思います。


◎鯨井啓子 info

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