濃紺

いつまでもセンシティブな内容だけど、戦争の詩を書いてる。
曲を書く時、仮タイトル(テーマ)を付けてから中身を作り、最後に曲名で封をするようにしている。
なんとなくその方が書きやすいから自然に身についた。
この曲は仮タイトルが"濃紺のバラッド"だったが、あまりにも"バラッド"は合わず苦悶している。
もっと現代の与謝野晶子のようにしたいな。
日本語であることに意味が在るような気がするし、楽曲もそう求めてるように思う。
ここまで来てボツになることなんてザラだから、完成するかもわからない。

datkidsという自分のバンド以外に、リリ・シャロンというガールズバンドに楽曲提供をしているが、このバンドの裏テーマは"自由"だ。
"ロロ"は空と海に挟まれ、風に阻まれながらも進むウミネコが、不思議なことに陸からだと自由に見えたことを書きたかった。
タイトルはベースのまほと久々に会った喫茶店の名前であり、口ロロのようにどうとでも取れる、空欄のように人それぞれの自由を当てはめられるものにした。
繰り返しを除く最後の歌詞が"もう何処にでも連れて行ってよ"だけど、それって本当に自由と呼べるのかな。
本質的な自由と向き合うための切っ掛けとなった楽曲だな。

豊潤なものから渇望するもの、不自由すら感じる余裕のない日々、デオキシリボ核酸の揺らぎからもっと広く鳥瞰した人々のこと、奪うこと、奪われること。
自由を美化せずに、それこそ自由に書くことを意識していることは、メンバーにも伝えてない。
freedomもlibertyも自由も解放も踏み均した、盛大なテーマに沿った深みのある音楽に成熟すると嬉しいな。
制作中の楽曲から一部歌詞を抜粋してみた。

鬨の声
沢で混じり合う頃、夜の帳が下りていく
あぶくは日々を埋め尽くし皮膚を刻む深い溝になる

眠くなってきたからおやすみ。
良い夜を。

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