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はきだこ 第十二回


海の近くで生まれた。

潮騒は車輪の音に絡み、ねちっこく橋の背中を打ちつける。

青色は昔から好きではないが、海と空のそれはどちらも深く鮮やかで、対峙することで何度も確認するように安心する。


「空を飛ぶ」という行為がしばしば自由の象徴として扱われる。

人間が自力で出来ず不自由を感じているからか、天動説の時代に端まで行くと落っこちると考えられたからか。

鳥のように飛ぶことで他の種からの捕食を免れられるのは事実だが、僕はそういった動的なものだけを理由にしたくない。

太陽を真っ向から受ける植物にも自由を感じたい。

単純に他者との力量の差や捕食関係を引き合いに出して、ヒエラルキーの縦軸で語るには陳腐でナンセンスに感じる。


僕は自由を求めるという終わりのない問いに意義があって欲しい。


僕は哲学者ではない。


芸術という人生の遠回りのような、悪あがきのような、言い訳のようなものを楽しむだけの人間だ。

崇高なものではない。



どうか僕のことは信じないで欲しい。




「はきだこ」は作詞した楽曲にまつわるあれやこれやを綴ったショートショートです。

以降は有料記事になっていて、歌詞とラジオのような気の抜けた手記が読めます。
100円ポッキリに設定しているので購入していただけると、明日の僕がちょっと良いコンビニのおにぎりを食べることができます。

今時ガチャガチャですら100円は珍しいと思うので、たまには四角い袋に入ったおにぎりの封を切らせていただけると幸いです。


ロロ by リリ・シャロン

空気を刺したデリンジャーの音
ウミネコを待つ キツい目付きで
ただ吹かれるなら右手を貸すぜ
こめかみを穿つ湿気た言葉で

大気圏まで空を掴んで
離したらもう 垂れる天国
砂漠で眠るあの子 夢に見て
ウミネコに倣い海を渡った

お願いさロロ 教えておくれ
優しさっての 賢さっての
お願いさロロ 見させておくれ
国境っての 最果てっての
僕にもわかる?

軌道に乗った 青に挟まる
もう何処にでも連れて行ってよ


はきだこ 第十二回

「自由って字の中の四角形」

「空欄」

「lolo(1010)って二進数を十進数にすると10(じゅう)ってダジャレ」

「糸玉をリリ・シャロンに勧誘した時の喫茶店(これは偶然)」

色んな意味を込めてタイトルを付けた。

リリ・シャロン発足にあたって最初に書いた楽曲。

以前も書いたがリリ・シャロンは自由について歌うロックンロールバンドだ。


datkidsでMVを撮った公園の近くは、学生時代によくギターを弾きに行っていた。

海と空の青色に挟まれて飛ぶ鳥の、何かに急かされるような姿は自由とは程遠く見えた。


ちなみに気付いている人は居ると思うが「砂漠」はsundaesにも出てきたあの場所だ。

ドラムス日向子に送った歌は彼女の出身地、鳥取に思いを馳せながら書いている。(砂漠しかイメージがなくてごめんなさい)


そして、2Aシンガロング前の「もう何処にでも連れて行ってよ」は、FISHMANSのBABY BLUE 「このまま連れてってよ」を想起させるように書いた。


デリンジャーは大統領暗殺の銃だが、革新と自由は似て非なるものだと考えている。

そういった意味で赤を連想させる表現は一切出さず、貸すのは右手だった。

翼というものに目が行きがちだからこそ、僕はどちらかに偏ってバランスを崩したくなかった。


そんなリリ・シャロン、水面下で実は活動を続けている。
年内にライブをするつもりだ。


年内。

僕はあと何ヶ月生きながらえるだろう。

もしや年単位ではないだろうな。


僕の自由はそういった不透明で不確実な偶像の中に浮かんでいる。

リリ・シャロンは僕のプロデュースする「作品」ではなく、僕の心の一欠片なのかもしれない。


僕はとんでもないものを少女たちに背負わせてしまった。

彼女たちが幸せに、どこか遠くへ飛び立つことを願って、僕は僕の自由を辿りたい。



第十三回へと続く。
といいな。


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