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リリとロロ 「匂いのゆくえ」 ①

調香のロロ


マドレーヌを紅茶に浸したことがあるだろうか。


「プルースト効果」というものらしい。


本を好んで読まない私がこの言葉を知ったのは、とある本の虫から教わった20代の頃だった。

特定のにおいが、それに結びつく記憶や感情を呼び起こす現象は、プルースト効果と名づけられている。
フランスの作家マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』という小説の中で、主人公がマドレーヌを紅茶に浸した際、その香りで幼少時代を思い出す場面があり、その描写が元になっているということである。

日医 on-line 「においと記憶」 富田雅義


今でも不思議と鮮明に覚えている。


グラタンの美味しい地元の喫茶店。

螺旋階段を上った二階の角の席で、彼女はソニック・エティックや村上龍の話をしてくれた。


「どこかへ消えてしまいたい気持ちと同時に、どこでもない何処かを求めてる感じ?」


「HIRAETHはもう帰れない場所に帰りたいと想う気持ちだよ」


程なくしてその喫茶店は改修工事に伴って移転し、若者や主婦の集いやすい場所となった。

だが、私の憩いではなくなり、足は遠のいてしまった。


私にとってのHIRAETHはそこだったのかもしれない。

ただ、時たま訪れる移転先の喫茶店のグラタンの匂いを嗅ぐと、何となくあの頃の記憶が蘇る。



匂いというものは不思議だ。


鼻腔を通り電気信号として脳へと送られることは、視覚や聴覚と同じプロセスなように感じる。


幼少期から私は「映像や音楽は電子機器に保存出来るのに、どうして匂いは保存できないのだろう。」と思っていた。


買ったばかりのソフビ人形、焼きたてのベビーカステラ、近所のうどん屋さんの出汁、夏の早朝にラジオ体操へと向かう道、そして海。


今思えば幼い頃に好きだった匂いは多く、今でもぼんやりと覚えている。

こんなにも素敵な情報がいずれは消え去っていくことに、寂しさを感じるようになった。



セピア色になっていく情報の最後の砦が匂いなんだろう。

正木諧 「匂いのゆくえ」

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