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死のうと思い、舌を3センチぐらい根元から切りました(B)


主張をできる人できない人・比べる人、比べない人


危険な環境が好きな割には、そんな振り切れた悪をやってきたわけでもなく、世間で有名になるぐらいの武勇伝を持っているわけでもないが、この頃までは、誰が来ても、どんな状況に置かれても、自分だけは生き延びて、その経験を糧にもっとさらに大きな刺激を求めて生きていくんだろうと思っていた。


最近までそんな感じだったので、失敗も多くあり、痛い思いも、恥ずかしい思いもしてきたのだ。

そういう思考に至った原因は、幼年期の環境と逆境体験が大きく関わっている事に薄々気が付いてはいたが、どうやって問題を解決すれば良いか、そのプロセスを誰も教えてくれないので、手を付けられずに40歳を過ぎてしまうことになる。

でも俺はかなりマシな方だ。

40にしてストップがかけられた。


しかし現状、多くの人が困難に陥っているが、このnoteのようにしっかり主張できる人は数少なく、何をどうすれば良いか身動きが取れない人達がたくさんいる。


環境のせいにするなとか、いい大人が何をしてるんだとか言う方がいるが、みんな人それぞれ立ち直るチャンスを得られるタイミングが違うし、もっと言うなら、簡単に言い切るなら、


全てが違う。


全てが違う中で誰かと誰かを比較し、それについてとやかく言う事自体、無意味で、経験値が少ない、思いやりのない人達の暴力ツールに過ぎない。


人と比較して優越感を得る時代は、もうすぐ終わりを迎える。

相対的幸福ではなく、絶対的幸福だ。

自分と向き合い、自分を知る。

そいういうことだ。


(淡々と語る物語を貫くため、あえて個人的詳細見解は記載しない。語りきってから全てを話す。)


ボンドの匂が死ねる場所を探させた


部屋はデザイナーが手がけただけあってカッコよく、まだ作りたての新しい匂いがする。

この匂いがオレを悩ませる事になった。

塗装の匂いなのか、ボンドの匂いなのか、とにかく睡眠を妨げるぐらいの匂いで結局泊まった期間、まともに寝られなかった。

バンクーバーに到着してから1日1時間寝られたかどうか、気が付けば3日ぐらい寝る事が出来ず、徘徊を繰り返し、とうとうバンクーバーの街で壊れた。


バンクーバー滞在数日目、街中で突然目に見る現実と、そうでない現実の境界線に立たさせることになる。どちらも現実なので逃げることができないかった。


メイド・イン・アムスのイエロー&ホワイトのボーダーTシャツをハイセレクトがかかったショップで買ったその日、天の声が聞こえ始めた。

天の声とは、悪魔のささやき、天上人のご命令。

そんな感じだ。


地元のみんなが違うステージに行ってオレを置き去りにしている環境が頭を支配した。地元と言っても絡みが全くなくなった中学の時によく遊んだ仲間だ。


今でも楽しい思い出になっている中2夏。

俗に言う中2病の時の仲間だ。


生きる方向性に迷っていたオレは、生き方を決めないといけないと焦っていたと思う。

今思えばそんなことどうでもよく、あえて決める必要なんてない。

その場で感じた事を自由に実行すれば良い。

その積み重ねなだけだ。


地元のみんなに「やる事をやってこっちに来い」と迫られる。

妄想の話だ。

その後、命を懸けた決断を迫られる追い込みにあう事になる。

自分自身に自分が追い込まれる。

これは逃げようのない最強最悪の追い込みだ。

自分からは逃げられないから、どこまでも追いかけてくる。

しかも、自分が作り出した悪魔に命尽きるまで追い込まれる。


自殺か殺人か。


この二択を迫られた。

自分に追い込まれ自問自答している感覚は完全に精神分裂という表現が似合う状態だった。

現在の病名でいうと統合失調症だ。


誰でも良いから殺せと。


だが、人は殺せないから、自殺するとすぐに答えが出た。

人を殺す絵も思い浮かべた。

その瞬間涙がこぼれた。

むりだった。

自分で自分を処理するしかない。


処理という気薄な言葉が似合う。


その選択をした時は何をしても生き残る勇気、生存本能がない愚か者だと自分をジャッジし、生きる事を窮屈に考え、どんな方法で処理するか、その事だけを考えるようになり、さらに追い込まれることになる。

バンクーバーの坂の上のどこかの交差点、心地良い青空が広がり、澄みきってドライな空気感の中、人生史上最もドロドロした過酷な決断をした。


死ねる場所を探す、死に場所探し。

<TOP写真>2013年8月・USA・CALIFORNIA・San Diego・La Jolla

苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)