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1番このnoteで伝えたい病気の話

THE うつ!!!

高田馬場の精神科に何年お世話になったか。

かみさんから紹介された病院で、舌を切った後、表向き一過性精神障害として通院していた。自分の感覚だと躁鬱と統合失調症の症状だった。その診断名は付いていない。先生はいつも大きなココロで迎えてくれた。感謝の気持ちが大きい。だが、病院にはバスや自転車で通っていたが、この行き帰りの苦痛、そしてたまに入れ替わる病院受付の対応にいつも悩まされていた。

基本的に生まれながらに敏感にできている自分は、バス、自転車の行き帰りで大きなストレスをたくさんもらう。鬱がひどいと一歩一歩踏み出すのがとてつもなくツライ。バス停を1個1個、ペダルを1こぎ1こぎ。歩く時は1歩1歩。多くの情報を収集して景色が流れていく。

情報処理はモノによって時間のかかるモノもあった。病院の行き帰りは、とてもツラかった。誰にも相談できなかった。相談してくれと先生やかみさん、友達が親切心から気遣ってくれるのだが、そういう相談が気軽にできないから鬱になるわけだ。鬱が進行すると更に相談できない。ちょっとした行動が負担になり、ちょっとした考えが全てを真っ黒に覆い尽くしてしまう。

誰もそんな状態を望んではいない。だが、そうなってしまったのだ。そんな先が全く見えない生活だったが、日々変化の起こる息子の成長と支えてくれているかみさんの気持ちだけで自分の存在を保っていた。毎日の沐浴と寝かしつけ、おむつの交換、何気ないかみさんとの会話。それで幸せだった。むしろそれだけで良かった。他のことは疲れるだけだから。友人とも一切の連絡を絶っていた。孤独な時期だが、家族という1番欲しかった関係性を手に入れることができた。だが、気が付いたら舌がなくなっていて精神がすこぶる弱っていた。

懺悔START

息子が生まれる前にも、多くの人に迷惑をかけて生きてきた。酒を飲んで暴れた。我々は先祖とつながっていて、多くの遺伝情報を引き継ぐ。アルコールの疾患は遺伝的な要素も大きい。そして生まれ育った環境でアルコールの病気は発症する。

仕事関係者、友達、彼女、かみさんなど多くの人をいろんな意味で傷つけてきた。

そこに立ち返る。

過去と向き合う。

そして自分と向き合う。

noteを通して棚卸しという作業をしてみようと思う。依存症回復プログラムの1つでもある棚卸し。自分がしてきた多くの失敗や事件事故、迷惑などと向き合う作業だ。簡単に言うなら懺悔。

次からは、自分の人生に酒が大きく関わった事件、事故、トラブルなどをこれから書き記してみようと思う。

酒のせいにするな。
と自己責任逃れを許さないと主張する
<★TVショー★のコメンテーター>
<どんな事でも知っていると思いこんでいる知識人>
<無知だろう人>

などのことは一切無視をする。
いい意味での無視だ。

いま人生に悩んでいる方、

酒で苦しんでいる方、

死にたいと思っている方。。。

だが、そんな方はこの文章を見る機会がほぼないと思う。そこも大きな問題だ。本人が目にする事が多くない。何故なら、自分は病気ではなく、お酒をコントロールできているし、いつか普通に飲めるようになると信じている。だか、そんな時間はやってこない。病気が進行していくだけだ。だから、多くの大酒飲みや、周りに迷惑をかけながらもお酒をやめない人は、自分と向き合わずに、お酒を真剣に考えない。目を向けない。

そういう人が周りにいて、この文章を見る機会があった方々、是非メッセージを酒で失敗を繰り返している人に届けて欲しい。

大切な友人知人に。

家族に。恋人に。

本人が動かないと何も起こらないが、本人が動くキッカケを周りの友人、知人が知らせることはできる。

専門的な治療が必要だと。

自殺未遂に至り、その後、鬱を発症し、処方薬をやめられない苦しい時間を過ごしたのは、ナゼだったのか。

アルコールで社会に対して多くの迷惑をかけてきたオレはなぜそうなっていってしまったのか。

そのカラクリに答えを出し、鬱、依存症を寛解させた自分自身のリアルを書こうと思う。


苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)