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同志や戦友。あるいは、孤独という名のパーティー

SNSに目を通すと、学生プロレス時代の先輩や後輩が社会人プロレス興行を行なっている風景が目に留まった。しかもめちゃくちゃ楽しそうなバイブスがビンビンに伝わってきた。
大学を卒業しても、こうして10年以上好きなことを好きな仲間と続けられる事は純粋に凄い。

ふと、自分にはそんな長年付き合えている仲間はいるだろうかと考えた。
同窓会に呼ばれる事はほとんんどないし、高校や大学の同級生と連絡を取ることも皆無に近い。
思えば「孤高」や「孤独」のキャリアを重ねてきたのかもしれない。
いや、そんな事は分かってはいたのだけれど、30歳を過ぎてから改めてその事について思慮を巡らす機会が増えた。

■孤高の中学高校時代


思えば、自分の人生の中でチームを組んで何かの目標に向かって一丸となったという経験が少ない。
部活動には縁がなく、学校外の活動で空手道に勤しんでいた。
ともするとそんな課外活動での実績が、自分の中で歪んだプライドを形成させてしまったかもしれない。
学校で群れている人間よりも、自分は結果を出しているんだ…という孤高で歪んだプライドが。
それは今の自分のマインドの根底にもあるかもしれない。
それが良いか悪いかはさておき。

■自身の正義を貫いた大学時代


大学時代は学生プロレスに勤しんだ。UWF関東学生プロレス連盟はインカレサークルだったので他大学の友人たちとの交流が増えた。
ゆえに自分の大学での交友関係はこれまた広がらない4年間だった。
それでも自大学の岡原ゼミのメンバーは先輩後輩問わず心を通わせられた。
岡原先生は自分の誇れる恩師です。
その話はまた次の機会にするとして。

学生プロレスでは、曲がりなりにもチームプレーに勤しんだ。
学園祭シーズンは各大学で興行を重ね、自治体のお祭りなどでも沢山イベントを重ねた。それらの経験は学生にとっては新鮮で刺激的で、沢山の学びを得た時間だった。
同時に自分の中での“正義”や“信念”というものが確立していった時間でもあった。
譲歩や協調という感覚には程遠い、どこか暴君的な自分のソレが芽生えてしまった節もある。
幸か不幸か、だからこそ学生時代にも大きいイベントを手がける事が出来たのかもしれない。
自分の目指すべき理想に対しての飽くなく探究心と、周りの人間の心情を顧みないサイコパス的な動きは、若さゆえなのかはたまた自分の本能なのか。
ゆえに、今も慕ってくれる友は少ないかもしれない。

■同志や戦友


そんな自分にとって同志や戦友と呼べる人間はいるのだろうか?
少なくとも、そう思いたい人物は自分の中で何人かいる。

本当は後輩のヌレヨンちんちゃんの話とか、
業界に入ってからは大家健さんや今成夢人さんの話とかもしたい。
KAIさんとの思い出もそうだし、
直近なら、ちゃんよたや八須との話もしたい。
遊び仲間の話だってしたい。

けれど、
今日はその中でも彼の事は書いてみたい。

大谷譲ニとは出会って12,3年が経つ。
たぶん、自分の人生で唯一途切れる事なく関係が続いている人物だ。
学生時代は良く一緒の時間を過ごした。
思い出も絶えないし、学生プロレスでは彼が居たからリングの上に対してのモチベーションが上がった。
もしかしたら彼は唯一の自分の同志であり戦友なのかもしれない。

■誰しも、孤独なのかもしれない

時は流れて、気づけば自分も彼もプロレスラーになっていた。
業界に入ってから中々交わる事はなかったが、それでも彼の活躍は見ていた。
同時に自分もキャリアを重ねた。
その中できっと、それぞれが思う自分なりの道を歩む事で、もしかしたらもう以前のような感覚で向き合う事は難しくなっていったのかもしれない。

気づけば遠くに来たもので、思い入れ自体もそれぞれが遠くに行ってしまった部分もあるかもしれない。
自分の熱量は他にあったし、そういう人生を歩んできた。

彼とは、同志や戦友という関係から、同じ業界の人というソレに移り変わっていった。

■人生という名の人間交差点

それでも、また交わる日が来た。
この事に関しては最良の記事をレンブラントさんが書いて下さっているので、今更ながら是非読んでいただきたい。

何となく自分の中で彼の事は守り続けたいという正義がそこにはあった。

■そこに魂はあるか?

また彼と交わる人生が始まった。
けれどそれはもう学生時代のソレではない。
彼を守りたいという正義自体がもしかしたら、彼にとっては邪魔なのでは?と最近考える。

自分が目指す世界と、彼の目指す道に乖離があるのでは…と。

彼には彼の人生の歩み方があり、自分には自分の人生の歩み方がある。

けれど変わらない事は彼と過ごした時間であり、思い出である。

思い出に浸るヒマはないけれど、彼とは
魂で繋がっている部分があると信じたいし、自分にはどこか、自分の人生を彼に見ていて欲しいという気持ちがある。

■だから、パーティーを続けよう

同志や戦友というテーマで記事を書いてきたが、
ともすると、人間は皆孤独なのかもしれない。
自分も孤独だし、彼も孤独なのかもしれない。

だからこそプロレスを続けている。

そうなのかもしれない。

パーティーという言葉には「仲間」という意味もある。
仲間を求めてパーティーを続けているのかもしれない。

リングの上で、満たされない何かを追い求めて闘いを続けているのかもしれない。

2023.9.21 新宿FACE

明日、彼とまた大きな舞台で闘う。
それはそれぞれが歩んできた人生の証明になり得るか。
そしてまた、同志となり得るか?

答えがないから、またたぶん闘いを続ける。

けれど、明日はいつも以上の想いを込めて、リングに臨み、向かい合いたい。

プロレスを続けているから味わえる最高のドキュメンタリーと、極上のグルメがそこにある。

人生はやはりパーティーだ。

さあ、決闘という名のパーティーを、始めよう。

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