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恋愛備忘録|彼との距離

事実は小説よりも奇なり。
信じてもらえないようなことがいくつも重なり、
時間を共有するようになった彼とわたしの備忘録。
信じてもらえなくても、すべてノンフィクション。
ちなみに彼とわたしは付き合っていない。


 現状を一言で説明すると、彼と距離を置いている。

 彼と知り合って、不定期で「ハグ会」という名のデートをするようになり、七ヶ月。
 ハグもする、手も繋ぐ、キスも、それ以上のこともする。けれど彼とわたしは付き合っていない。

 仕事でも私生活でも、もどかしい日々を送っている彼は、わたしと「ハグ友」以上の関係になろうとしない。
 関係を進めてしまえば、わたしまで彼のもどかしい日々に巻き込んでしまう、と。恐れているのだ。そして自己評価がとても低い彼は、その日々を共に過ごす自信がないのだ。そのもどかしい日々の中で、わたしの笑顔が失われてしまうことに、怯えているのだ。

 それでも彼の気持ちは、わたしを見る眼差しからも、触れる手からも、ひしひしと伝わってくるから、今は「ハグ友」でいいと思っていた。
 今はただひたすら、彼が大事であると伝え続けようと思った。

 の、だが。

 二月中旬のことである。
 突然彼が、とても理不尽で、とても矛盾したことを言い出し、暴言を吐いた。真面目で優しく誠実な普段の彼からは想像もできないような言葉の数々だった。

 お互い長文のメッセージで続けた意見の交換を要約すると、わたしの言動はとても重く、このままでは彼が不幸になる、とのことだった。
 それを聞いたわたしは、彼の言葉を頭の中で反芻し「なるほど、分からん」状態だった。

 この半年、わたしなりに配慮はしてきたつもりだった。

 彼のシフトや私生活のスケジュールはこちらからは聞かず、ハグ会は完全に彼のさじ加減。
 クリスマスや誕生日、バレンタインといったイベントもしなかったし、プレゼントを強請ったりもしていない。
 日々のメッセージのやり取りは、彼からのレスポンスがあってから。追いメッセージも決してしないから、数日から数週間の既読スルーもよくあった。
 不規則な彼のスケジュールを考えて電話も、深夜のメッセージの返信も、家に突撃もしない。

 していたことといえば、たまのメッセージのやり取りやハグ会で彼に甘え、大事だと伝えることだけである。

 でもまあ、心当たりはある。

 前回のデートから一ヶ月が経過し、次の予定が全くの未定だったことから、「ハグしたいなー」というメッセージを送っている。
 これは「今忙しい」という簡単な一言で一蹴されている。

 その数日後、心身ともに疲れ果てることがあり、「今日もがんばった。会いたいけど、会えないから、夢の中でぎゅってしたい」というメッセージを送っている。

 忙しいタイミングで、現実でも夢の中でもハグを求めてしまったことで、重いと思われたのだろうか。
 もどかしい日々を送る彼に、こちらのもどかしい生活の報告はNGだっただろうか。

 何はともあれ、理不尽なことを言われた。
 彼は冷静ではなかったように思う。彼の言い分は明らかに矛盾しており、「じゃあもうわたしと会う意味はないよね」と訊ねたくなるようなことばかりだった。

 そしてわたしは盛大に傷付き、「わたしといると不幸になると言い切るのなら、今すぐ仕事を辞めて、連絡先を消し、家を引き払い、二度と会わないよう遠方に旅立とう」とまで思い悩んだ。
 彼の豹変に、わたしも冷静ではいられなかったのだ。

 だから一旦冷却期間を設けるべきだと考えて、彼の矛盾した言葉を受け入れ、「これからもっとあなたに合わせて、あなたの生活が落ち着くまでしばらく大人しくします」と伝え、連絡を絶った。

 ちなみに「今すぐ仕事を辞めて、連絡先を消し、家を引き払い、二度と会わないよう遠方に旅立とう」は、わたしの性格的に不可能ではない。
 高校卒業後、ふらっと地元宮城を離れ、沖縄で数年間を過ごしているし、友人や知人に会うためふらっと県外に出かけたりもする。仕事も違和感があれば退職も辞さない、フットワーク軽めな生き物である。

 家に関しても、実家での一人暮らしは部屋を持て余すので、引っ越しは常に考えている。
 彼の実家と我が家が隣同士のため、彼はこの先もずっと、帰省中はわたしの気配を感じることになるだろう。
 だから彼が「自分は不幸だ」と思わないために、消えてもいいとすら思った。こんな感情がわたしにあるのか、と驚いてしまうほどの暗闇を見た。


 それから三週間ほど経った。

 彼との冷却期間は未だ続いているが、十日に一度ほど、彼からメッセージが届く。

 まるで柱の陰からちらちらと様子を窺うようなメッセージに、「なんだこの人可愛いな」と思いつつ、まだ当分冷却期間は続けたほうが良いと判断している。
 わたしはおぞましい暗闇の感情を受け入れ、理解し、上手に消化することができたけれど、これはわたし側の問題だ。彼のタイミングではない。

 たぶん彼は、愛されることに慣れていない。

 長年色々な苦労をしてきて、自分ひとりで踏ん張り続けることが日常になってしまっているから、わたしからの惜しみ無い気持ちに、戸惑っているのだろう。

 実際「優さんは人として出来すぎてる」「ここまで合わせてくれる人に会ったことがない」「だからこそ困惑する」というメッセージが届いている。

 買い被り過ぎだ。
 わたしは彼が思うほど出来た人間じゃないし、むしろ今までの価値観が変わったのは彼と出会ってからだ。

 今まで感じたことのない不思議な気分をこれでもかというほど味わって、少し成長して、自分を好きになれた。わたしの人生の主役はわたし自身であると思い出した。
 彼がきっかけになって、わたしの人生が動き出した。だからこそ、何度でも「ありがとう」と伝えるのだ。

 まあ、感謝されることにも慣れていない彼は、口癖のように「俺はお礼を言われるようなことは何もしてないよ……」と伏し目がちになるのだけれど。

 今のわたしにできることは、彼が落ち着くまで冷却期間を過ごすことと、変わらず彼を想い続けることだけだろう。
 そしてまた会える日がきたら、目一杯の「ありがとう」を伝えるのだ。


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