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恋愛備忘録|子ども扱い

事実は小説よりも奇なり。
信じてもらえないようなことがいくつも重なり、
時間を共有するようになった彼とわたしの備忘録。
信じてもらえなくても、すべてノンフィクション。
ちなみに彼とわたしは付き合っていない。

 二ヶ月半ぶりの、正式なハグ会だった。

 なんだか彼は最初から楽しそうだったし、積極的だったし、ちょっぴり意地悪だった。
 真面目で誠実で優しくて穏やかでとびきり頑固なのが普段の彼だけれど、それより階段一段分くらいテンションが高かった。
 やはり二ヶ月半も空いたせいだろうか。

 わたしはわたしで、連日早朝からの勤務で疲労困憊の寝不足。約束の時間まで仮眠を取るつもりだったのに、疲れ過ぎて眠れず、くたびれ果てていたのだけれど、彼のご機嫌な様子を見たら、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。

 散々ハグをして、ベッドに潜り込んだときのこと。
 彼は仰向けで、わたしはうつ伏せで、他愛のない雑談をしていた。
 内容はもう思い出せないくらい他愛なかったのだけれど、話しながらわたしは、彼の左手を弄っていた。

 彼の手は、悔しいくらいにすべすべできれいなのだ。手は大きく、指はほっそりしている。これで「特に何もしていない」というのだから羨ましい。
 その手を撫で、広げ、手相を見ていると、突然彼の手が、がばっと、わたしの顔に張り付いた。

「ちょ、ちょ、ちょ、フェイスハガーじゃないんだから!」と抗議すると、彼は「これを望んでいるのかなって」と楽しげにけたけた笑う。

「そんなわけないでしょ! ただおてて見てたの!」
 言うと彼はさらにけたけた笑って「そうかあ、おてて見てたのかあ」と、「おてて」発言をからかう。
 接客販売の仕事柄、そして趣味で文章を書いているため、常日頃丁寧な言葉遣いを心がけているが、それが裏目に出た。しかもこの日は週末で、勤務先の店にもご家族連れが多く、子どもたちと戯れたことが尾を引いている。

「手相! 手相見てた! 生命線見てた!」
 慌てて訂正するけれど、彼は「うんうん、そうだねえ、見てたんだねえ」と、もはや子どもをあやす口調で言う。

「子ども扱いしてる!」「うんうん、そうだねえ」というやり取りをしている間も、わたしはフェイスハガーされたままである。果てしなく滑稽である。

 ようやく顔が解放され、楽しそうな彼が「サイズがちょうど良くて」と、フェイスハガーの言い訳をする。
「優さんサイズちょうど良いんだもん。身長差とかも」とも言う。
「俺小動物撫でるの好きなんだよ、猫カフェとか行きたい」とも言うが、全然言い訳になっていない。
 子ども扱いどころか、もはや小動物扱いである。

 今までも彼は度々わたしを子ども扱いして、あやすような口調で頭をぽんぽん撫でることはあった。
 半月ほど前、ショートヘア初披露の場で、風邪気味だからキスはなし、と言う彼に「こんなに可愛いショートヘアの優ちゃんにキスもしないなんて!」と抗議したときも「そうだねえ、可愛いねえ」とあやすような口調でわたしの頭を撫でた。

 けれど、まさか小動物扱いされる日が来ようとは。
 いや、小動物だとしても、フェイスハガーをする意味は分からないが。

「ごめんごめん」と笑う彼は、わたしのこめかみに手を添え、親指を使って優しく額を撫でる。
 いや、撫でていたのは額ではなく、眉だ。彼はわたしの描いた眉を消そうとしていたのだ。

 それに気付いて「眉消える!」と抗議すると、さらに楽しげに「片眉じゃ酷だから両方消してあげるからね」とけたけた笑う。

 帰りにコンビニに寄りたかったから、眉を消されるのは全力で阻止して、「もう! もう!」と抗議しつつ、彼の肩元に顔を埋める。

 フェイスハガーされようが、眉を消されようが、子ども扱いされようが、小動物扱いされようが、どれもこれも、まあいい。

 すでにいい年で、社畜気味にばりばり働くわたしをこんな風に扱い、全力で可愛がってくれるのは、彼だけなのだから。

 そして普段真面目で誠実で優しくて穏やかでとびきり頑固な彼が、楽しそうに積極的にちょっぴり意地悪してくるさまはとても新鮮であり、そうしてくれるのがたまらなく嬉しいから。


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