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超短編|淡く、幼く、頼りなくて、あっけない

 実家にある勉強机の引き出しで、プラスチックの小さなケースを見つけた。その中に入っていたのは白い糸くずが絡みついた半透明のボタンだった。
 わたしは懐かしさに目を細める。

 さらに引き出しからは中学生の頃使っていたネームプレートと、校章や学年章がいくつも出てきた。
 わたしが通っていた中学校では、好意を持った異性からは第二ボタンを、先輩や友人からは校章や学年章をもらうというイベントがあった。加えて、両想いになればネームプレートを交換したりもする。

 この大量の校章や学年章は、中学時代のわたしが、大勢の先輩や友人たちからもらい受けた証拠だ。
 そしてその中に制服のボタンらしきものはなく、自分のネームプレートが残っているということは、中学時代のわたしが、誰とも両想いになれなかった証拠だった。

 あの頃。第二ボタンをもらいたい相手はいた。もっと言うならネームプレートだって交換したかった。でもわたしはどちらも手に入らないことが分かっていた。あの頃好きだった彼には、もうボタンを渡し、ネームプレートを交換する相手がいたからだ。

 中学一年生のとき、同級生の聡志とわたしは、両想いだったと思う。
 同じクラスで席も隣。入学式の日、席に着くと同時に仲良くなった。新生活の不安と緊張で静まり返る入学式前の教室で、わたしたちだけが楽しく話していた。

 部活中に教室のベランダで楽器を吹いていると、聡志はグラウンドでサッカーボールを追って走りながらも、必ず手を振ってくれていたし、休憩に入るとダッシュで教室までからかいに来た。
 授業中は机をくっつけてずっと筆談をして、たまに揉めて机の下でパンチの応酬。そしてその延長でこっそり手を繋いだりもした。聡志が名前で呼ぶ女子も、誕生日プレゼントを渡したのも、わたしだけ。
 だからきっと両想いだろう、と。思い込んでいた。
 でもその仲の良さをクラスメイトにからかわれ、気恥ずかしさで話さなくなり、一年生が終わる頃には目すら合わなくなった。

 二年生になってクラスが離れた聡志は、うちのクラスの里香ちゃんと付き合い始めたらしい。里香ちゃんが彼と交換したというネームプレートを見せびらかしていた。毎日、毎日。何度も、何度も。事あるごとにブレザーの左ポケットから出てくるネームプレートを、わたしは視界に入れないように努力した。

 十三歳の淡い恋なんて、そんなものだろうと思った。幼くて、頼りなくて、あっけない。初恋ほどのインパクトもないから、形に残らなければきっとそのうち忘れてしまう。それくらいの淡い恋が、始まらないまま、静かに終わった。

 卒業式のあと、最後のホームルームが終わり、みんなが続々と帰って行く。わたしも真っ直ぐ帰ろうと思ったけれど、音楽準備室に自分の楽器を置いていたことを思い出し、一人輪を離れた。そのときだった。

「ちょっと」とぶっきらぼうな声が聞こえて振り返る。そこにいたのは聡志だった。驚いて「あ」だの「え」だの、返事とは言えないような言葉しか出てこない。
 聡志はそれを気にすることなく、ボタンのついていない学生服の隙間に手を突っ込みながらこちらに歩み寄り、わたしの前まで来ると、シャツのボタンを雑に取り外し、それをわたしに差し出したのだった。

 反射的にボタンを受け取ったわたしに、聡志は「じゃあな」とぶっきらぼうに言って、踵を返して行ってしまった。残ったのは、茫然とするわたしと、白い糸くずがついた半透明の小さなボタンだけ。
 廊下で立ち尽くしていたわたしを見つけた友だちが「どうしたの?」と声をかけて来たけれど、なんでもないよ、と答え、小さなボタンを隠すように握り締めた。

 こうして、きっとそのうち忘れてしまうと思っていた淡い恋は、思いがけず小さなボタンに姿を変え、十年以上、勉強机の中で過ごすことになったのだった。

 ぶっきらぼうなあいつは、元気でやっているだろうか。
 高校も別だったし、大学は県外で、成人式にも出席していない。県外で就職してからは数えるほどしか帰省できず、高校時代の友人たちならまだしも、中学時代の同級生との縁は、すっかり切れてしまっている。

 でももし今また会うことができたら、あの頃のことを笑って話せるだろうか。卒業式の日に、有無を言わせず差し出したシャツのボタンの意味を、聞き出せるだろうか。そしたらあいつは、はぐらかさずにちゃんと答えてくれるだろうか。
 そんなことを考えてふっと笑って、シャツのボタンをケースに入れ、元あった場所にきちんと戻すと、荷解きを再開した。

 もう春は目の前。新しく、でも懐かしい生活が始まるのだ。


(了)

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